2012年05月05日

元を辿れば

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連休にも関わらず、毎年この時期は中途半端に仕事があるので思いっ切り遊びに行くわけにもいかず、家族の視線がやけに痛い父親のブログへようこそ。


物事には大抵の場合、原因と結果があるわけですが、書の場合でもこれは当てはまり、しかも非常に明確な形で顕れます。

書の場合の結果とは、言うまでもなくあなたが書いたものですね。


例えば、今あなたが手本を見ながらなるべくそっくりになるように頑張って書いたとします。

その結果、

「何だか違う…」

という事になった時、そこには必ず原因があるはずです。

その原因を正確に把握しないままに次の1枚を書いてみたところで、その結果は

「…やっぱり何だか違う…」

と、先の1枚と同じ事が繰り返されるだけで、それは見るまでもありません。

この辺りの話はこのブログで何度も繰り返してきましたが、そうならないように、あなたは

「一体何処が違うの?」

と、紙に穴が空きそうなくらい手本と自分が書いたものとをよ〜く見比べますよね。(ますよね?)

その時に重要なのが、

「何処に原因があるのか」

を見定めようとする意識です。


皆さんの場合、只単に「何処が違うのか」という視点で見てしまうために、知らず知らずのうちに「原因」ではなく、その原因によって導かれた「結果」にばかり目がいってしまっている、という事になりがちです。

しかし(当たり前の話ですが)原因となった点が改善されなければ、その結果もやはり改善されてはくれません。

先ずは原因があって、その結果として次がこうなり、そのまた結果として更なる次がこうなって、という具合に、物事は時の推移の順番に、1つ前までの事象を原因とする結果の積み重ねとして起きるのですから、とにもかくにも「そもそもの原因」にまで遡らなければなりません。


「それなら具体的にはどうすればいいんだ?」

という声が聞こえてきますが、実はそれほど難しい話ではありません。

筆順の早い部分から注目していくように意識してみて下さい。

例えばあなたの書いたものが手本よりも大きくなっていた場合、その原因は最初の数画目までにある事が殆どなのですから(「最初の一歩」の回参照)、それ以降の部分をどれ程手本と見比べてみても、それは「結果」のみを見比べている事にしかならず、「そもそもの原因」はいつまで経っても見付からない、という事になってしまいます。

仮に今、10画目まである字の1画目に「そもそもの原因」があったとすると、あれやこれやの結果が積み重なった挙げ句の10画目をいくら手本と見比べてみてもあまり意味が無いのです。

ですから、それこそ1画目から、目を皿のようにして手本と見比べてみる必要があるのです。


すると、手本よりも大きくなり始めている部分が見付かるはずです。

初学者の場合、大抵1〜2画目だと思いますが、この大きく「なり始めている」というのがポイントです。

つまり、その「大きく『なり始めている』部分」こそが「そもそもの原因」なのですから、次の1枚を書く時には、先ずは何よりそこに意識を集中して書かなければなりません。


お気付きの方もいるでしょうが、今回の話、「最初の一歩」の回の話の裏返しです。

つまり、書く際には最初の数画をとにもかくにも気を付けて書くのですから、書いたものを見直す時にはその反対、先ずはそれがしっかり出来ているかどうかを見直すわけです。

只漠然と「何処が違うの?」と眺めていたのでは駄目ですよ。


さぁ、「そもそもの原因」を探し出せたなら後はもう大丈夫ですよね?(ですよね?)

このブログで再三繰り返してきた「書く前の意識」をしっかり持って、次の1枚を意味の有る1枚にしましょう。


と、ここまで話を進めておいて根底からひっくり返すようですが、今回のこの話、実は大きな難点があります。

それについては次回に。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

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2012年04月06日

書を教えるという事

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以前の反省などどこ吹く風、愚痴全開のブログへようこそ。


先日、娘が算数の問題が分からないというので教えていたのですが、その様子を側で見ていた妻が

「う〜ん…」

と唸っています。

私「どしたの?」

妻「すごいっ!教え方が上手っ!」

私「あのね〜(苦笑)、一応これでも人にものを教える事を仕事にしてるんですけど…」

妻「それにしても凄いっ!いっその事、書道教室やめて学習塾にしよう!!」

私「……(汗)」


その人の理解の状態を、教える側の人間が正確に把握しておく事は、書の先生に限らず人様に何かを教えるに際して極めて重要な事だと思います。

分からなくなっている当の本人というのは、

「何が分からないのかが分からない」

という状態である事が少なくありませんから、そんな本人に代わって教える側が、先ずはそれをはっきりさせてあげる必要がありますよね。


そもそも

「ここまではしっかりはっきり理解出来ている。」

「この辺りから理解が少し曖昧になり始めている。」

といった見極めを誤って目先の問題にばかり気を取られて教えようとしてみたところで、本当の意味での理解は得られないでしょうから。

必要とあらば遡るべきところまできちんと遡る。

ではその「遡るべきところ」とは何処なのか?(これがとっても大事)

その正確な判断の上にこそ、しっかりとした理解が得られるのではないかとも思います。


娘に算数を教えていた時の場合では、私のその判断の付け方が妻の目から見るととてつもなく早く的確なものに感じたらしく、

「すご〜いっ!学習塾やろうっ!」

となったのですが(苦笑)、まぁ、私にとっては仕事柄の習慣みたいなものですから、その時娘に教えていたのが算数であったにせよ、(得意気でも嫌味でもなく)今更わざわざ誉めてもらう程の大した話ではありません。(実は妻に誉められてちょっと嬉しい)


と同時に、

「この判断を色々な場面毎に瞬時に付けていくというのは、慣れていない人には実は難しいのかな?」

と思ったりもしました。


「将来的には書道の先生になりたい。」

という希望を持って教室に通い始める人は少なくありませんが、そういった皆さんはほぼ間違い無く、

「書道の先生になるには技術と知識が必要」

裏を返せば

「技術と知識があれば(技術と知識さえあれば)書道の先生になれる」

と思っています。

技術と知識が無くては話にならないのは当然ですが(技術も知識も無い「先生」も星の数程いますが今は触れません。)、実際の話、人様に教える時に一番必要なのは、前述の判断力なのではないかと思うのです。


更に言えば、教える側というのは

「その人にとって最善のアドバイスとは何か?」

という判断が問われ続けるわけで、そこでは教えられる側の十歩先百歩先まで見越した上での

「今、この時に指摘すべき事」

が求められます。


似たような話はこれまでにも書いた事がありますが、十歩先百歩先まで見越した上では、

「今は敢えて言わない。言うべきではない。」

という事もたくさんありますし、質問された事にそのまま答えられればそれで良い、という程単純な話ではないのです。

書は非常に複雑で広範な要素を含んでいますから尚更です。


つまり、仮に技術と知識がある程度自分の中に用意出来たとしても、「人に教える」ためにはそれだけではどうにもならない、というのが現場の実情なのです。

自分自身が上達するのと人に教えるのとでは話が全く別なのですから。


たかが書の先生ですが、されど、書の先生なんですよ(笑)


自分で「書の先生」などと呼ばれる仕事をしておきながら妙な話になりますが、正直言うと、皆さんどうして「書道の先生になりたい」などと思うのか、私にはそれが全く理解出来ません(笑)

私の感覚としては「なりたい」と思ってなるようなものではないような気がしますし、「なりたい」と思ってなれるようなものでもないように思えます。

何と言えば良いか分かりませんが、とにかく「なりたい」と思ってなるというのには、私には何だか違和感があるのです。

教職としての書の先生というのは話がまた別ですし、

「長年書を続けてきた結果として、人に教えるようにもなった。」

というのならよく分かるのですが…


仮に技術と知識だけに限ってみても、一通りの範囲(どこまでをこの範囲内とするのかは非常に難しい問題ですが)ですらそれを身に付けるのには皆さんが想像するよりも遥かに膨大な時間と労力と(更にはその前提としての熱意と忍耐と)が必要になりますが、その割には、結果として身に付けたものを活用する「仕事(商売)」として考えた場合、書の先生という仕事はあまりにもお金になりません(苦笑)

しかも、せっかく苦労して身に付けた技術と知識もそれだけでは役に立たないとなれば、皆さん尚更やりきれないでしょう。

尤も、以前にもどこかの回で書いたように商売としてのやり方は別問題ですから、お金にならないというのは私に商才が無いだけの話なのでしょうが、それにしても、今5歳の息子が仮に将来やりたいと言ったとしても、私は絶対に反対します。


「趣味を活かして副業として」

「主婦業の空いた時間を使って」

「定年後の収入として」

というのもありそうな発想ですが、同じ時間と労力とをかけるのなら、他にいくらでも実際の収入に結び付けやすい技術や知識があるのではないかと思いますし、

「何も好き好んで面倒で厄介な世界を選ぶ必要もないでしょうに」

と思ってしまうのです。


恐らく今回の話の根本的な問題は、書の技術や知識というのは皆さんが思っている程簡単には身に付かないという現実や、しかも苦労して技術や知識を身に付けたとしても、「人に教える」にはそれだけではどうにもならないという実情からは余りにもかけ離れた、「比較的容易なもの」としてのイメージを、「書道の先生」というものに対して持たれてしまっている事にあるように思います。


以前たまたまネットで

「書道の先生って楽な感じしない?座って丸付けしてるだけで月謝貰えてさ。」

といった内容の話を読んで何ともやりきれない思いになった事がありますが、世間一般から見た「書道の先生」に対するイメージなどというものは、大同小異この程度のものでしかないのでしょう。


しかし、以前にも書きましたが、皆さんから見えている私達「書の先生」の姿というのは、私達の本体からすればそのほんの僅かなごくごく一部分に過ぎません。

その一部分だけを捉えて安易にイメージされて(無理もない事ではあるのですが)

「書道の先生になりたいです!」

と言われても、こちらは戸惑うばかりなのです。


誤解の無いようにお願いしたいのですが、私は何も書が特別に凄いとか偉いとか言いたいのではありません。

それがどのような種類の仕事であろうと、極めて専門的な内容で成り立っているものを仕事にするには、大変な努力が必要である事は私がここで改めて言うまでもない事です。

只、

「同じ苦労するなら書の先生は割に合わないですよ」

と、皆さんに言いたくなってしまうのです。


つまり、

「みんなが考えている程簡単なものじゃないんだよ!」

という、普段の教室ではなかなか言えない苛立ちにも似た不満をここにぶちまけた、という、愚痴全開ブログの本領を発揮した話なのでした。

それではまた。

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2012年04月04日

問題に対する視点

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いや〜、今年の冬は厳しくて長かったですね〜。

桜の開花がこんなに遅くなったのはいつ以来でしょうか。

桜…

花見っ!

部屋に閉じ籠もって筆持ってる場合じゃありませんぞ!

とか何とか気分だけは浮かれつつ、人混みが大の苦手な出不精ブログへようこそ。


前回の話とも絡みますが(前回っていつだっけ?は禁句)、書とは単に筆の使い方を覚えれば良い、という程単純なものではありませんし、かと言って字形だけを学ぼうとしてみても、やはりそれだけでどうにかなるようなものでもありません。

前回は筆法と字形と、その両方に対する意識が分離しないように、という話でしたが、実際にはもっともっと広範な領域の内容が視野に入っている事が求められます。

それらについて具体的にここで話し始めると際限無く話が拡がってしまいますので、今は止めておいて、皆さんにももう少し身近なところで。


私は普段教室で、

「書が上達するためには総合力の底上げが必要」

という話をよくします。

更に言えば、書の上達には総合力の底上げ以外に方法は無い、というのが私の考え方です。


書の上達を考えた時、無理もない事ながら、皆さんはどうしても目前の個々の問題にばかりとらわれてしまいがちです。

それこそ「楷書のはね方が上手くいかない」「はらいが駄目だ」といった具合です。(私が時々枝葉末節と呼ぶような事ですね)


ところがこれ、あまりよろしくありません。


今ここで、話を単純化するために(総合力とか言いつつ早速話が矛盾するようですが)内容を敢えて筆法に限定してみましょう。

「はねが上手くいかないから、はね方を練習する。」

この事自体は自然な話ですし、問題はありません。

しかし、問題に対してもう少し俯瞰した視野を持ってみると、

「筆で字を書く際に必要となる肉体的感覚全般」

が不足しているからこそ、はねもやっぱり上手くいかない、という、広い意味での問題が見えてきます。

つまり、上手くいっていないのははねばかりではない、という事ですよね。

今はたまたま目前のはね方に意識が向いているというだけであって、全般に於ける力量不足は当然のように、はね方だけではなくはらい方や止め方、更にはありとあらゆる場面に於いて、筆の動きの未熟さとして露見しているはずなのです。

この状態ではね方ばかり練習して、「はねを完璧にしてから次に」などと思ってみても、皆さんが期待するような成果はなかなか上がってくれません。

全般的な底上げ無しに末節的な部分のみ完璧にしようと思っても、そもそもそれは無理な話なんですよ。

何故なら、感覚全般に於ける総合力こそが、結果としてその一端であるはねをも可能とするのですから。

本当に必要なのは「感覚全般の底上げ」なのであって、全般から見たらその一端に過ぎない末節的なはね方ばかりを練習してみたところで、結局は対処療法にしか(実際には対処療法にも)ならず、根本的解決にはならないのです。


この辺りの話、発想の順序が皆さんと私とでは反対になっているのがお分かりになるでしょうか?

末節的な解決をいくつも積み重ねる事によって全般的な力を蓄積を出来ないか、と考える皆さんに比して、全般的な底上げさえ出来ていけば、末節的な部分は自然と出来るようになる、というのが私の考え方です。


今は話を筆法に限定していますが、視野を更に「字を書く事に関わる全般」にまで拡げた場合、皆さんにとっては話が余計に漠然としてしまうのかもしれません。

ですが(繰り返しになりますが)、全般的な問題を棚上げしたままの末節的な解決というのはやはり無理な話です。


確かに感覚全般の底上げをしようとすると、目前の問題はその場では解決されませんし、極めて地味で地道な蓄積が要求される事も事実です。

目前の問題とは一見無関係に思える事(実際には深く関係するのですが)に時間と手間を費やす事にもなりますから、何だか遠回りをさせられているように感じる事も少なくないのでしょう。


しかし、例えば積み木をなるべく高く積み上げようとするには、一番下の段を可能な限り広く隙間無く並べておかなければなりません。

ところが一番下の段を並べている間はちっとも積み木の高さが変わりませんから、皆さん自らの変化を実感する事が出来ず、その停滞感に堪えきれなくなるのでしょうね。

すると皆さん、一番下の段をちっとも並べていないうちに、とにかく上へ上へと積み上げようし始めてしまいます。

しかしそんな事をしてみても、積み木はすぐにぐらつき、結局は全て崩れてしまいますよね。

それと同じような事なのです。


ではどうすれば良いのか?

全般的な総合力と言われても、皆さんにとっては何をどうすれば総合力の底上げになるのかが分からないでしょう。

ですから話を日常の練習場面に落とし込んでみます。

先程も書いた通り、例えば筆法についてでしたら、目前の問題にばかり固執しないように気を付ける事が重要です。

具体的に言えば、「とにかくはねを完璧にマスターしてから次に」みたいな考え方を捨ててしまう事が出来るかどうかです。

目前の問題にばかり固執しないようにするには、以前触れた事のある、「とりあえず保留」という意識の持ち方も必要でしょう。


字形で言えば、「この字の形が上手く取れない」といった問題意識の持ち方も一考しなければなりません。

今はたまたま目前の字が気になっているだけなのであって、形が上手く取れていないのは、決して目前のその字ばかりではないはずなのですから、これまた一歩引いた視点から「字形を取る際に気を付けるべき様々な要素全般」についての力量不足、といった広い意味での問題意識を持つような心掛けが必要です。


つまり、様々な場面に於いて、目前の問題よりも一歩引いた視点から問題を捉え直そうとする意識を持つ事が重要と言えるでしょう。

理想的にはもっと大きく俯瞰した視点を持ち得れば良いのですが、いきなりそれは無理と言うものですから、先ずは一歩引いてみる、という事から始めてみては如何でしょうか。


尤も、教室での実際で言えば、この辺りの指摘は当然の事ながら先生の側からあるはずですから、その指摘をどこまで素直に聞いて実践出来るのか、という事になるのだと思います。

これまでにも度々このブログで触れてきましたが、先生からの指摘を本当の意味で素直に聞く事が出来る人って、実は非常に少ないのが実情です。

本人は無意識だとしても

「先生は『そこは取り敢えず保留にしておいて下さい』って言うけど、やっぱり気になる」

と、せっかくの指摘を受けながらも、目前の問題に固執して自ら視野を狭めてしまっている人、本当に多いですから。


視野を広く持つ事が出来るようになればなる程、冒頭に触れたような単に筆の扱いや字形の取り方だけではない部分、分かりやすい例では書道史に対する理解の必要性などといった事も、自然とその視野の中に入ってくるでしょうし、それによって、書の広さや深さに改めて気付かされるという事もあるでしょう。

「何でペンで書いた字が上手くならないのか?」

「どうして最初から小筆での実用的な細字の練習をやらせてはくれないのか?」

「何故日常で使う事のない草書の練習をさせられるのか?」

といったような、普段皆さんが抱きがちな疑問の数々も、一歩引いた視点から問題を眺め直してみると、また少し違った意味で捉える事が出来るのではないかと思います。


この地味なブログも、皆さんの視野を広げる一助になれば嬉しいのですが。

今回はここまで。

それではまた。
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2012年03月19日

意識

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今回、文中に「筆法」という語が何度も出てきます。

筆法という語が示す範疇を明確にするというのは、実はそう簡単な話ではないようにも思いますが、初学者の皆さんは「はね方」とか「はらい方」とかいった、狭義での「筆の使い方」としてこの語をイメージされる場合が多いようです。

ここではそれよりも少し広い意味での「筆の使い方全般」と、それに伴い要求される肉体的感覚をも含めた意味としてのイメージを持たせています。


さて、書を学び始めてから暫くの間というのは、誰しも筆法を意識する事に精一杯で、字形に対する意識が疎かになってしまいがちのようです。

かと言って、字形を気にしようとすると、今度は途端に筆法があやふやになってしまう、という感じで、なかなかこの2つの意識を同時に保持する事が出来ません。

こちらとしては、筆法と字形と、その両方が車の両輪のようになって進んでいって欲しいのですが、これがなかなか難しいのでしょう。


それならどちらかを先に、と考えたいところですが、困った事にそうもいきません。

筆法は「線の形」を決定付ける役割をその一面に持ちますが、線の形と字形との関係性を簡単に言えば、線の形が字形を導き出し、字形が線の形を要求する、といった、いわば表裏一体の関係です。(「形の話」の回参照)

つまりは、(線の形を決定付ける)筆法と、字形と、このどちらかのみを先に扱おうとしてみても、どうしても片手落ちの状態になってしまうのです。


例えば、料理を覚えるには包丁の使い方を覚えなければなりませんが、かと言って包丁の使い方ばかり練習しているのでは、やはり駄目でしょう。

それと同じ事だと思ってもらえれば良いと思います。


そうは言っても、初学者の場合には先述の通り、意識がどちらか一方に偏ってしまうのはどうにも仕方がありません。

重要なのは、

「偏ってしまいながらも、それでも両者を同時に意識しようとし続ける」

という事なのだと思います。

更に言えば、「同時に」ではなく、「2つで1つ」として、つまりは「切り離せない1つ」として捉える事が出来るようになれば、と思います。

「書を学ぶとはそういうものなのだ」

と思い込んでしまうのが一番手っ取り早いかもしれません。


先程「車の両輪」などと例えながら無責任で何とも感じの悪い言いぐさになりますが、私の場合、両者が意識の中で分離した事がありません。

自分の記憶と感覚を可能な限り遡ってみても(筆を持ち始める前の記憶は残っていませんが)、それは私にとって最初から「1つ」のものだったように思います。

ですから皆さんの意識の分離状態については想像するよりありません。

ですが日頃教室で見ていると、皆さんこの分離した意識がなかなか1つの意識として集約されていかないようなのです。

その結果、私から見ると何だかやけにぎこちない状態で練習をしているように感じてしまうのです。


要は日頃の意識の持ち方です。

いきなり出来なくとも、先述の通り「意識しようとし続ける」事によって、少しずつでも出来るようになっていくのではないでしょうか。


今回は何とも漠然とした話になってしまいました。

それではまた。

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2012年03月04日

平坦な道程

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相変わらずの放置しっぱなしが度を過ぎて、今更思い出したようにアップするのに何だかやけに気後れしている小心者のブログへようこそ。


今回の話、いつもの事ながら書に限った事ではないのですが。


初学者が書を学び始めて暫くの間というのは、全ての面に於いて新鮮な気持ちで学ぶ事が出来るのだと思います。

技術的な面に於いても、とにかく初めて練習する事だらけの筈ですから、

「新しい事を学んでいる」

という実感も強いでしょうし、練習の成果についても、ゼロからのスタートと比較してみれば自分なりに上達を実感し易くもあり、その実感が新たなモチベーションになったりもする事でしょう。

自分の周りの景色が次々と目まぐるしく変化していくような感じがして、勿論

「書、なかなか難しいぞ」

とは思いながらも、飽きる暇など無いのではないかとも思います。


ところが、です。


ある程度上達していくと、ある時点から少々様子が変わってきます。

以前は稽古に行く度に新しい発見がたくさんあったような気がしたのに、最近の先生ときたら毎回同じような指摘ばかり。

自分としても、

「分かっちゃいるけど・・・」

と感じる事ばかりだったりして。

ふと気付くと、行けども行けども同じように平坦で変化の乏しい景色が延々と続くばかりで、ちっとも前に進んでいる気がしない。

その証拠に、遥か遠くに見える山はいつまで経っても遠いまま。

歩けども歩けども一向に遠くに見える山が近付いている感じがしない。


そんな感覚に襲われます。

まぁ、言ってみれば一種の倦怠期のようなものでしょうね。

皆さんも思い当たりませんか?


実はこの辺りが、一般の皆さんが書をその先もずっと続けていく事が出来るかどうかの大きな分岐点であるような気がします。

この期間というのは、人によっては数年間続くような場合もあり、そうそう簡単には乗り越えられないのも事実です。


基本的には、安易に結果を求めたりせず、辛抱して地味で地道な努力を日々積み重ねていく以外に道は有りません。

それでも、平坦で果てしなく思えた道を着実に前進してきたのだという事を、自分自身で実感する為の方法が無いわけではありません。


私が教室の皆さんによく話すのが、

「今日書いたこの1枚、捨てずに大事にしまっておいて下さい。そして今から半年後なり1年後なりに、これを引っ張り出してきて眺めてみましょう。」

というものです。


日々の景色の変化は乏しいようでも、半年なり1年なりの蓄積の上では、やはりそれなりの変化を遂げています。

すると

「え〜!?こんな字書いてたの〜?」

と素直に思って頂けたりするのです。


つまり、今まで歩いて来た道程を敢えて振り返って見てみるわけですね。

そうすると、

「気付かないうちに随分と進んできたじゃない。」

と実感出来たりするのです。


この実感を何度も繰り返していくうちに、平坦に思える道を地味に地道に進む事自体に対する疑念が徐々に払拭されていって、いつの間にか、本当の意味でのその人の歩き方が身に付いている、という具合です。


一方、この時期を上手く乗り越える事が出来ないと、代わり映えのしない景色と代わり映えのしない自分の書に嫌気がさし、辛抱しきれず辞めてしまう、という結果になってしまいがちです。


「最近ちょっと倦怠期で・・・」

とお悩みの皆さん、以前書いたものを引っ張り出してきて眺めてみましょう。(因みにこの方法、「仲良くやっていた頃の写真を引っ張り出してくる」という応用により、男女間の倦怠期にも一定の効果があるとかないとか(笑))


因みに。

今回の方法、ちゃんと地味に地道に「正しい練習」を積み重ねてきた人にしか使えませんので悪しからず。


今回はここまで。

それではまた。(「また」っていつ?は禁句です。)

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2012年01月08日

禁止令

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今回は、普段私が教室で初学者の方に教えている時によくある話です。


私の教室では、その日教室で練習した事を次回までに自宅でも練習してきてもらいます。(普通かな?)

その際に私がよく言うのが、

「筆の使い方について『あれっ?』と思ったら、必ずそこで練習を止めて、それ以上は絶対にやらずに次回まで放ったらかしにしておいて下さい。」

という話です。

つまり、「練習禁止令」です。

先生が「練習するな」と厳命するのですから、いつもながら極論ですよねぇ(笑)


例えば楷書の筆法、まぁ何でも良いのですが、例えば転折の部分の筆使いが分からなくなってしまったとします。

ここでの「分からない」とは「分かっちゃいるけど上手くいかない」という状態の事ではなく、「あれ?どうやるんだっけ?」と本当に分からなくなってしまった状態の事です。


この状態で分からないまま無理矢理「こんな感じだったかな?」と練習を続けてみても、初学者は大抵の場合、全くの見当違いの自己流で筆をこねくり回してしまうのがオチですし、更にそのまま間違った練習を続けてしまうと、その自己流が悪癖として体に染み付いてしまいます。

悪癖というのは染み付いてしまうまではあっという間ですが、一度染み付いてしまったそれを払拭するのは容易な事ではなく、それは皆さんが思っているよりも遥かに困難なものだという事を肝に銘じておいた方が良いでしょう。


こうなると話は極めて厄介で、正しい筆法を覚えようとしても、染み付いてしまった悪癖が邪魔をしてなかなか話が進まない、という難題を抱えてしまう事になります。


これはこのブログでお馴染みの(笑)勝手な自己判断(本人にはその自覚が無いのですが)をしてしまいがちな人の場合、特に起こりやすい問題と言えるでしょう。

そんな事になってしまわない為にこその

「練習禁止令」

なのです。


当然の事ながら、初学者には自分が正しい練習が出来ているかどうかの判断が付きません。

正しい練習が出来ているかどうかの判断が付かないという事は、裏を返せば、間違った練習をしてしまっているかどうかの判断も付かないという事であり、仮にそのまま間違った練習を続けてしまったとしても、本人はそれを自覚する事が出来ません。(間違った練習をしているという自覚を持ったまま間違った練習を続ける人などいないでしょう。)


「間違った練習をしているという自覚が無い」

というのは、実は最も危険な状態なんですよ。


ですから、「あれっ?」と思った時にはいっその事、練習自体をストップしてしまう方が賢明なのです。


「あれっ?どうやるんだっけ?」

という感覚は、間違った練習に足を踏み入れてしまうかどうかの分かれ道に立ったという事を知らせてくれているサインなんですね。


ところがですねぇ…

私の言う事を聞いてくれない人、少なくないんですよねぇ(苦笑)


「もっと練習しなさい」と言われると、何だかんだと言い訳ばかりでちっとも練習しないくせに、「練習しちゃダメ」と言われると練習してくるというのは、一体どういう事なのでしょう(笑)

尤も、そもそも勝手な自己判断をしがちな人というのは、基本的にこちらの話に対して馬耳東風なので(これまた本人にはその自覚がありません。)、私の言う事を聞いてくれないのはいつもの事なのですが。


このブログで度々書いてきましたが、私は正しく(この場合の正しいの概念についてはここでは触れません。)書けているかどうかではなく、正しい練習が出来ているかどうか、についてしか問題視しません。

間違った練習をいくら重ねてみても、正に百害あって一利無し。

「間違った練習ならしない方がまし」

というのが私の考え方ですし、間違った練習をしているという自覚の無いままに無駄に筆を持つ時間を費やして

「いや〜、今日も練習頑張った!」

と誤った自己満足に浸って「練習したような気分」になってしまうくらいなら、

「分からない」

と、自分が出来ていないという現状をはっきりと認識出来ている方が、遥かに健全な学習状態です。

その意味では今回の「練習禁止令」はその健全性を保つ為の典型的な処方箋と言えます。

この処方箋、私の指導方針を端的に示したものかもしれませんが、皆さんにとってはなかなか納得し難いもののようですね。


実はここ2〜3カ月、教室である人にこの辺りの話をさんざん口を酸っぱくしながら繰り返し繰り返し話して聞かせているのですが、その人ときたらいまだに

「はぁ…そうですか…」

と、何とも歯切れの悪いリアクションしかないまま、間違った自己流の練習を続けてきてしまいます。


「も〜っ!イライラするっ!!何回繰り返し同じ事話せば分かるんだっての!!アホかっ!!」

と、まさか本人を目の前にして言うわけにはいかないので、実のところ今回はその憂さ晴らしなのでした(笑)

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

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2012年01月06日

独り言(負け惜しみ)

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「書に関するブログでありながら、これ程までに肝心の書の画像が出てこないブログなど、他には何処を探しても無いだろう!」

と、妙な自負を持っているブログへようこそ。


最近こんなサイト(にほんブログ村)の「書道」のカテゴリーを怖いもの見たさで(よせばいいのに)覗いてみました。

するとまぁ、たくさんありますねぇ(汗)


個々の内容については触れませんが、とにかくい〜っぱいあります。

しかもそれらのブログのどれもこれもが画像が豊富(笑)


「それに比べて…」

という意味も含めての今更ながらの冒頭の感想(負け惜しみ)なのですが、それではこのブログでは殆ど画像を使う事もなく一体どのような話をしてきたのかと言えば…


早い話が「お説教」ですね、こりゃ(笑)

このブログを改めて読み返してみると、よくもまぁ、こんなにも理屈っぽいお説教の数々をあれこれと書き連ねたものだと我ながら感心しますが、こんなにお説教ばかりでは読んでいる側は面白くないですよねぇ。

画像が山程あると思いきや、ひたすら小篆千字文ですし。


『集字聖教序』とか『高野切』とかいった検索でやって来た皆さんにとっては、何とも期待外れのブログだったに違いありませんし、一瞥しただけでニ度と訪れない人の数の方が遥かに多いのだろうとも思います。


ですが。

間違い無く、私は私が伝えたい事だけを書き続けてきたのだとも思います。

書を学んでいる人達(特に初学者)にとって、無駄な記事は一つとして書いてこなかったと思っていますし(「拍手」の回だけは余談過ぎたかな?)、安易な自己満足の垂れ流しにだけは背を向け続けてきました。


そんな頑固な思いを持ってこれからもこのブログを続けていきたいという気持ちは今も変わりません。(ならアップ率をもう少し上げろよ、と言われそうですが…)


それにしても、色々読み返していると、今の自分が思っていたよりもずっと、私自身このブログをとても真面目に、そしてある種の熱意を持って続けてきたという事に改めて気付かされました。

特に「考え方」のカテゴリーにある記事にはその傾向が強いですね。

数々の話の中から一つでも、興味を持ってじっくり読んで下さる人がいてくれたら。

心からそう思います。


好んでこのブログの読者になるような皆さんはある意味では特異な人達だと思いますが(失礼)、このブログの場合、それこそ相性というものがあるでしょうから(「相性」の回参照)、結局いつまで経っても読者は増えないのでしょうね(笑)

「出来るだけ一般論として成立するような内容」を目指してきたつもりが、結果として、対象となる読者層を「広く浅く」ではなく「狭く深く」といった傾向に限定してしまったのかもしれません。

それでは目指したものと正反対ですが、仕方が無いですね。


え?

ランキングに参加しないのかって?

しませんよ、勿論(笑)


というわけで、遅くなりましたが新年の挨拶代わりの独り言でした。

今年も宜しく御願い致します。

皆さんにとって、今年一年が実り有る年でありますように。

それではまた。


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2011年12月27日

反省文

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今年も残り数日、今年は今までに無い程に放置しまくってしまったこのブログですが、さりとて完全放棄したわけでも閉鎖するつもりでもなく、只単に日常の余力がこのブログの分まで残っていなかっただけ、という何とも情けない話に過ぎません。

このブログで(このブログだからこそ)書きたい事、伝えたい事はまだまだたくさんあるのですが、その多くが画像を使っての説明が必要になりそうなものばかり。

早い話が画像の準備が面倒だったのです。(忘れてはなりません。私は元来怠け者なのですよ。)


こんなやる気のかけらも感じられない緩過ぎるブログですが、それでも今年もこのブログを通して数名の方達と関わりを持たせて頂く事が出来ました。

通信添削を受けていらっしゃる方達は勿論ですが、以前お伝えしたNさんとの関わり(「ブログを再開する前に」の回参照)については、私にとってとても大きな意味を持つものとなりましたし、それに対し頂戴した幾つかのコメントも、私の心に深く残るものとなりました。


震災の傷痕が今尚深く広く残るこの国で、まがりなりにも自分の選んだ道で生きて行けている私は紛れも無く幸せ者なのでしょうし、その事実に対する感謝を忘れる事なく、もっと日々を丁寧に生きなければ、と改めて深く強く自戒せずにはいられません。

正直に白状すれば、今年程に筆を持たなかった年はこの仕事を始めてから無かったでしょう。

厄年などというものは気にし過ぎても仕方無いのでしょうが、気にせずにはいられない程に、次から次へと(仕事以外の)難題が持ち上がり、心身共にボロボロにもなりました。

しかしそれとて被災者の方々の辛苦を思えばまだまだ歯を食いしばれたはずですし、それら難題を理由に仕事のクオリティを維持出来なかったのは、やはり私の怠慢に他なりません。


逃げたくなった時、そのまま背を向けてしまうのか、逃げずにしっかり地に足を着けて対峙するのか、その蓄積が私の書を作り上げていくのでしょうし(安易な精神論で言っているのではありません)、その意味では今年の私は完全に落第です。

今の自分の足りない部分については嫌と言うほど自覚していますし、それに対してすべき事についても理解認識しています。

後は「やるか、やらないか」の問題です。

「出来るか、出来ないか」の話ではありません。

であれば何としてもやらねばなりません。

「来年こそは」などと言っていたら怠け者の私はきっとやらないでしょう。

ですから今日から、気合いを入れ直して頑張ります。

今年の残り数日を来年に繋げるものにする為に。


今年最後のアップが書とは全く関係無い個人的な反省文になってしまいました。


それでは皆さん、良いお年をお迎え下さい。

それではまた。

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2011年10月29日

気にする。

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最近、教室で初学者の人達を教えていると今更ながらに改めて痛感する事があります。

それは

「本当に注意すべき点にのみ意識を集中させる事の難しさ。」

という問題です。


この辺の話はこれまでにもこのブログで度々触れてきましたが、これは本当に難しい問題だと思います。


「本当に注意すべき点にのみ意識を集中させる」

という事は、裏を返せば

「注意すべきではない点を、可能な限り意識の中から排除する」

という事になりますが、しかしこれがなかなか容易ならざる事なのです。


ここでの「注意すべきではない点」とは、もう少し単刀直入に言えば「気にしてはいけない点」という意味ですが、初学者の場合、困った事に「気にしてはいけない点」ばかりが気になってしまいがちです。


尤もこれは仕方の無い話で、ある意味では当然とすら言えるかもしれません。

初学者の場合、本人が自らの感覚に基づいて抽出した問題点というのは、残念ながら十中八九見当違いの的外れ、つまりは「気にしてはいけない点」であるというのが実情です。

そもそもその判断が正しく出来るくらいなら、極論すれば教室に通う必要など無いわけで、その判断力を付ける為にこそ先生の存在意義は有るのだとも言えます。


まぁ、見当違いの的外れな判断というのは初学者にとってはどうやっても避けようがありませんし、どれ程「余計な自己判断などするな」と言ってみたところで、これまた無理な話です。

問題は、否応なしに生み出されてしまうそれら間違った判断に基づく「気にしてはいけない点」についての先生からの

「それは気にしてはいけませんよ。」

という指摘を、どれだけ本当に忠実に守れるかどうか、という点にあると言えるでしょう。


勿論理想としては、先述の通りそれら「気にしてはいけない点」は、全て意識の中から排除されなければなりません。

しかし、間違った判断を下したその瞬間、既に意識してしまっているのですから、一度意識してしまったものを排除するというのは簡単ではないという事も事実でしょう。


ですから、「気にしてはいけない点」が頭をよぎる度に、

「極めて意図的にそれを振り払う努力をし続ける」

という事が肝心なのです。


ところがですねぇ・・・(苦笑)

皆さん何度言っても、「気にしてはいけない点」に捉れてしまうんですよねぇ。


結果として、本当に気にすべき点が意識の外に追いやられ、いつまで経っても見当違いな練習を繰り返す羽目になってしまうのです。

それでは上達しませんよ。


このブログの通信添削を受けていらっしゃる方達はお分かりかと思いますが、私はその時点で正しく書けているかどうかについては全くと言っても良い程に重視しません。

大切なのは

「正しい練習が出来ているかどうか」

だからです。


正しい練習さえ出来ていれば、後は出来るまでやるかやらないかの話になりますので、そこでは人によって筆を持つ時間に違いがあるのと同様に、人によって上達の速度にも違いが生じる事はあるでしょうが、それ相当の時間さえかければ必ず(必ず、です。)出来るようになるのですから。

しかし見当違いの練習をしていたのでは、どれだけ時間を費やしてみたところで、結果は見るまでもありません。(「20年間」の回参照)


そんな事になってしまわない為にも、「気にしてはいけない点」について、皆さんもっともっと気にすべきではないのかという、何ともややこしい事を考える今日この頃なのでした。

今回はここまで。

それではまた。

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2011年10月12日

非日常への思いやり

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書とは全然畑違いの長話です。

今年の5月頃、仕事で長年使っていたノートパソコンが遂に壊れてしまいました。(ホントに長い話なので、興味が無いと思った方はここで止めておいて下さいね。)

もう随分長い間使っていたパソコンで、搭載OSがWindows95からバージョンアップした98だったと言えばどれ程古かったか分かると思います。

一応ダメ元でメーカーに持ち込んでもみましたが、交換部品の保持期間などとっくに過ぎている事を理由とした「直しようがない」という予想通りの回答。


まぁ、早い話が再起不能ですよ。

以前からあちこちガタがきていたのは承知してはいたものの、本当に駄目となると大ショック・・・

正直途方に暮れました。


このパソコンでは、教室の会員の住所や電話番号などの基本的な情報の管理は勿論の事、競書の段・級位や昇級の管理、更には青色申告の為の税務会計処理などを行っていました。

問題は、それらを行っていたのが「市販のソフトウェア」ではなく、Access97をデータベースエンジンとしてVBAで自分でコーディングした「自作のソフトウェア」だった事です。(チンプンカンプンの人、ごめんなさい。)


幸い、いつか来てしまうであろうこの時の為にこまめにバックアップは取ってあったので、自宅用のパソコンに最新バージョンのAccessを入れて(仕事用のパソコンを新しく買うお金など無いので)、その上でバックアップしてあった自作のプログラムが走るようにデータと共に移植する事にしたのですが、何と言っても元のプログラムはAccess97で書いたものですから、最新のAccess2010とではバージョンが違い過ぎます。

果たしてそのまま移植可能なのかどうかすら分かりません。

かと言って最新のAccessでまた1から作り直すのでは、今の私にとって心身共に余りにも負担が大き過ぎます。


で、あれこれネットで調べたところ、何とAccessのバージョンの問題の前に、Windowsの問題がある事が判明。

問題の詳細はバッサリ割愛しますが、結局、先ずは自宅用のパソコンのWindows7にXPモードをインストールし、その上でAccess2010にAccess97のファイルを読み込ませてバージョンをコンバートしてから、プログラムコード上で修正が必要になる部分を書き直す、という何とも面倒臭い手順を経る事で、何とか解決出来るのではないかと見当を付けました。

この時点ではAccess2010にAccess97のファイルを読み込ませる事が出来ると確信していたわけではなく、あくまで希望的観測にしか過ぎませんでしたが、出来ると仮定しないと話がどうにも進まない事に苛立ち、「やってみるより仕方がない」といった感じで見切り発車する事にしたのです。


さて、おおよその見当を付けたところで実際に作業を進めてみたところ、ここに書いた以外にもハード面ソフト面共に様々な問題が次から次へと重なり合ってしまった為、厄介極まりない状態を一つ一つ慎重にクリアしていかざるを得ず、しかも通常の仕事や日常の用事の時間をこの問題解決の為に割くわけにはいきませんから、睡眠時間を削って毎日フラフラになりながら少しずつ作業を進めるはめになりました(泣)

不幸中の幸いだったのは、多少の設定の変更こそ必要だったものの無事にAccess2010にAccess97のファイルを読み込ませる事が出来た事と、最も心配していたコード上の修正が覚悟していたよりも遥かに少なく済んだ事でした。


それでも移植したプログラムとデータがようやく以前と同じように仕事で使えるような状態にまでなった時には、何と既に9月ですよ。(一体何度徹夜した事か。ホントにウンザリです。)

但し、申告関係の方のソフトについてはまだ殆ど手付かずで、ちょっと見たところそちらの方はかなりの修正が必要になりそうです(汗)

まだまだ悪夢は覚めそうにありません・・・


ところでこの悪戦苦闘の間、私を最も悩ませたのが、「頭の使い方」の感覚がなかなか取り戻せない、という問題です。

コンピュータに関わる事で、しかも内容がプログラムにまで及ぶような場合、現在の普段の私とは「頭の使い方」が大きく異なります。

記憶の引き出しの使い方が違うと言えば良いかもしれません。

私は元々頭の使い方が器用ではないので、プログラムをいじるとなると、自分の中での感覚が切り替わらないと駄目なんですよ。


これまでにも自作のプログラムにバグ(不具合)が見付かった時には、自分で書いたプログラムを自分で修正するという事が時々あったのですが、その度に「頭の使い方」の感覚を取り戻すのに苦労してきました。

ある専門的な世界から何年も離れていると、久し振りにその世界に触れようとした時に知識や技術がひどく錆び付いているのは当然の話ですが、私の場合それ以前に、「頭の使い方」の感覚を取り戻すのに四苦八苦する事になります。


具体的に言えば、頭の使い方の感覚が戻らないと、自分で書いたプログラムなのに何をやっているのかチンプンカンプンなんですね〜(苦笑)

作った当時は知識も技術も今の私程には錆び付いていませんでしたし、とにかくそっちモード全開でかなり気合いを入れて作ったものですから、今の私がたまにちょっと覗いた程度ではち〜っとも理解出来ません。

一時的にであれ、頭の使い方の感覚をその世界にどっぷり浸らせてしまわない事には、全くと言って良い程に内容が頭に入ってこないのです。

散々苦労して内容を思い出し、理解し直しては、

「俺ってよくこんなややこしい事をスラスラやってたよなぁ。」

と他人事のように心底感心するのですから困ったものです(笑)


そんなこんなでようやく「コンピュータ用の頭の使い方」に馴染んできた頃には、大抵の場合何とかバグも潰れて(修正されて)います。

バグさえ潰れてしまえばこっちのもの、それ用の頭の使い方を維持しておく必要など無くなってしまいますから、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の如く、頭の使い方の感覚もすぐに元に戻ってしまいます。

結果、バグが見付かる度に毎回同じような苦労を繰り返すという、至極残念な私なのでした。

今回のトラブルはその苦労の度合いがとんでもなく桁外れだったんですね。


さて、ここから急に(無理矢理)話を書に振り向けます(笑)

今回の騒動(私にとっては正に騒動以外の何者でもありませんでした)の間、ふと、ある考えが頭に浮かびました。

それは

「教室に来ている人達にとっては、書の世界に触れるという事はこれに近い感覚なのかもしれない。」

というものです。


久し振りにその世界に触れた今回の私と、普段は馴染みの無い書の世界に時々触れる皆さんと、状況的には似ているのではないか。

そう思ったのです。

つまりは「日常」と「非日常」との違いです。


だとすると、私の場合は少なくともある時期その世界に暮らし、それが日常となっていたのですから(初耳でしたか?)、話はまだ「思い出せない」とか「思い出した」で済みますが、皆さんの場合、思い出すも何も、そもそも思い出せるだけのものが無いのですから(酷な言い方でごめんなさい。)、状況としては余計に難しいものとなるはずです。


今回長々とパソコンのトラブルについて書きましたが、皆さんにとってはそれを延々と読まされるのと、王鐸についての話をあれこれ聞かされるのと、感覚としては大差無いのではないかと。

もしそうならば、これまでの私は皆さんに対して少々辛口に過ぎたのではないか?

馴染みの無い(薄い)非日常的な世界に触れた時に感じる違和感や戸惑いについて、もっと思いやりがあってしかるべきだったのではないか?

と思い始めたのです。


その昔、大学を卒業後、パソコンになど指一本触れた事のないままソフトウェア開発関連の会社に就職するという暴挙にでた私は、入社後の新人技術研修で大きな衝撃を受けました。

それは私に「ここは地球とは違う惑星か?」とすら思わせる程に強烈極まりないものでしたが(苦笑)、あの時に私が感じた違和感と戸惑いと居場所の無さとが混沌としたような息苦しいまでの感覚を、もしも皆さんも感じる時があるのだとしたら、どうにかしてそれを払拭する事こそが、私の役目なのでしょうし、その為にも、私はあの時の感覚をこれから先も決して忘れてはいけないのでしょう。(本当は思い出したくもないのですが。)


とは言うものの、そもそも何をどう思いやれば良いのやら、それが分からず、そんな事を考えていたら、段々と自分がひどく馬鹿に思えてきて、どうにもやりきれなくなりました(苦笑)

それでも今の心境をここにこうして記しておく事によって、自分への宿題としての意識を自分の中に少しでも定着させる事が出来るのではないかと思い、皆さんにとっては退屈な長話になる事を承知の上でダラダラと書いてみました。


「それなら別にパソコンのトラブルについての話まで長々と書く必要は無かったんじゃないの?」

と思うでしょうが・・・


どれだけ大変な目に遭ったのか、それをとにかく誰かに聞いて欲しかったんです!(笑)

皆さんには何の役にも立たない話でごめんなさい。


今回はここまで。

次回はちゃんと書に関係した話にしましょうね。

それではまた。


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