2012年10月29日

知らないよりは

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
最近、少々思い立って中国史のうち古代〜BC221までを勉強し直してます。(実は先日長女が緊急入院するなど色々な事が重なりまくり、ブログのアップを含めホントはこんな事している場合ではないのですが・・・何かしていないと気分的に余計しんどいので)

まぁ、勉強なんて言っても手持ちの本を数冊読み直しながらカードにあれこれまとめているだけなので、大げさな話ではありません。

春秋辺りというのは特に、様々な国同士の関係が複雑に絡み合い、それらの国の時系列が複数同時進行するわけですが、それらの時系列を個々に踏まえた上での横の繋がり(各国間の関係)が頭の中で今一つ整理されていないように感じていたので(ダメじゃん)、その辺りをすっきりさせておきたいと思ったので。


とにかく、先ずは縦の流れの重要事項を国別にカードに書き並べて、カード間で横の繋がりを確認し、それぞれの関連事項について書き入れていく、といった事をやっています。

Windows8が発売されて話題になっている(初期ロットに飛び付く気持ちが分かりません)昨今、何ともアナログ極まりない方法ですが、この作業を通して縦横の関係性を頭の中に定着させたい、というのが目的ですから、カードそのものは丁寧に作っているわけではなく、乱雑&テキトーです。

実際にやってみると、今までの自分の記憶がどれ程曖昧なものであったのかを思い知らされますね〜(笑)


ところで、古代から戦国辺りのきっちりした知識というのは、

「そんな事など知らなくても書を書くのには困らない。そもそも書を学ぶ上では直接的には必要とならないじゃないか。」

という意見もあるでしょう。

確かに、私が普段教室で書を教えている時でも、周の東遷があーだこーだ、斉桓公がどうした楚荘王がこうした、韓魏趙が晋を三分したからなんだかんだ、などといった話をする事などまずありません。(興味を持っている人が相手なら余談程度に少しはしますが。)


でも、知らないよりはやっぱり知っている方が良いと思います。

知っているからこそ見えてくる事も少なくない、というのも一方の事実であると思いからです。

極論すれば、中国に於ける思想や統治形態は、この時代までに殆どの原型が出尽くしているわけで、それ以降はそれらの焼き直しをしているに過ぎません。(ホントに極論。でもさすがに科挙は別ですね。)

三皇五帝も周文王も周公旦も、その人物像が後世の諸家によって都合の良いように脚色されている全くの虚像に過ぎないにしても、そこに彼らの主張する理想が仮託されてきた事は事実なわけで、それを知っておく事は、それ以降の価値基準の根底を押さえておく事にもなるはずです。

多少無理やり書に結び付けて考えれば、例えば周王の権威失墜と反比例して増大する諸侯の力と、青銅器製作の拡散と供に進む国(地域)ごとの文字造形の多様化とが、ほぼリンクしているように見えるのは決して偶然ではありませんし、その多様化した文字造形が、結果として小篆という1つの形に強制的に集約されてしまう過程は、所謂戦国の七雄が最終的に秦によって統一される姿そのままです。

ついでに言えば、あの小篆という造形を生み出した秦という国が採ったのが、他の諸家ではなく法家であり韓非子だったという事実は、私には極めて象徴的に思えるのです。

そのような国であったからこその造形、とでもいうべきでしょうか。

もっと皆さんに馴染みのあるところで言えば、張懐瓘の『書断』の中で『孔子廟堂碑』が『九成宮醴泉銘』よりも上である理由とされた、「虞則内含剛柔、欧則外露筋骨。君子蔵器。以虞為優。」という価値観の原型がこの時代にあると思えば、無条件で素通りしてしまうわけにはいかなくなるというものではありませんか。


繰り返しますが、このような話を全く知らずとも書は書けますし、直接的には関係ありません。

しかし、知らないよりは知っている方が良い、でしょう。

特に、普段「先生」などと呼ばれ、人様に書を教える立場にある人間であるのなら尚更です。


教室で余談ついでに歴史の話をすると、時々

「先生って書の先生ですよね?書の先生ってそんな事まで知らないといけないんですか?」

みたいに言われる事があります。

尤も、(いつも白状するように)私の歴史の知識自体は全くの素人レベル、まさに「知らないよりは知っている方が」といったレベルに過ぎませんが、それでも皆さんにとっては「書の先生」から聞く話としては随分とイメージを超えた範囲に思えるのでしょう。

そんな時には

「知らないよりはやっぱり知っている方が良いでしょ。」

と答える事にしています。


文字学の知識を身に付けようとする場合なども同様ですが、机に向かって出来る勉強と、実際に筆を持つ時間とは、そのバランスが難しいところです。

私達は文字学や歴史の研究者ではないのですから、筆を持つ時間を忘れてしまっては偏り過ぎですし、かといって普段の私達を省みると、ついつい筆を持つ事だけで済ませてしまいがちです。

「最低限の知識」と一言で言っても、それではその「最低限」という一線をどこに画するのか、というのも一概には言い切れない問題です。

ですから、いつでもその時点の自分自身にとって、一回り広い知識を求めようと意識し続ける事が大切なのではないかと思います。

それが、結果としてそれまでよりも深い理解と面白さを書に与えてくれるのではないでしょうか。

知らないよりは、です。

それではまた。
----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:通信添削 書道
posted by 華亭 at 08:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月22日

原寸大臨書について

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
先日通信添削についてのお問い合わせを頂いた方から

「初心者が原寸大臨書をやる事についてどう思いますか?」

といった内容の御質問を頂きました。

このブログの読者の皆さんの中にも同様の疑問を持たれる方がいらっしゃるかもしれません。

この辺りの話については、普段の教室や通信添削では色々な場面で何度も話してきているので、てっきりこのブログでも書いたとばかり思い込んでいたのですが、どうやらきちんと書いた事がなかったようですね。

せっかくなので、私の考えについて書いておこうと思います。

実はやっぱり何処かに書いてあるのかもしれませんが、正直な話、過去記事全てを読み直したわけではないので、もし見付けた人も殊更に指摘のコメントをしたりせず、黙ってそのまま見なかった事にしておくのが大人のマナーというものですね(ウソ)


さて、結論から言えば、初心者の方には原寸大臨書はお勧め出来ません。

何故でしょうか?


先ずは半紙4文字大に書く場合を考えてみます。

このくらいの大きさですと、例えば自分の書いたものが手本よりも長くなり過ぎたり短くなり過ぎたりした時、その違いはすぐに数センチの違いとして顕れますから、この数センチという違いであれば、初心者でも自分自身で「違い」として認識する事が可能です。

そしてその認識の上で、その数センチの違いを修正していこうとする事も出来ます。

尤も、以前にも書いたとおり(「元を辿ろうにも」の回参照)、私に指摘されてすら尚その違いがなかなか実感出来ない、という場合も少なくないというのが実情なのですが、それでも手本と自分が書いたものとを重ねたりすれば、「あ〜なるほど。確かに随分違ってる。」と思ってもらう事は出来ます。


ところが、これが原寸大のような大きさ(小ささ)になってしまうと、途端にその違いが1ミリあるかないか、という微細な話になってしまいます。

すると、仮に私にその微細な違いについて指摘されたとしても、その1ミリあるかないかの違いが実質的にはどれ程「大きな違い」であるのか、という事が初心者には実感認識出来ないのです。

何といっても見た目には1ミリあるかないかの違いにしか過ぎません。

数センチの違いですらなかなか気付かないのですから、1ミリあるかないかの違いに気付けと言われても、それは無理な話というものですし、ましてやそれを「大きな違い」として実感認識しろと言われても、全くピンとこないでしょう。

となると、この微細な(実質的には極めて大きな)違いについて、自分自身でしっかり実感認識したその上でそれを修正していく、などという事は、初心者には至難の技ですし、更に正直に言えば殆ど不可能な話なのです。


世間に溢れているボールペン字講座(通信は特に)に対して私が極めて否定的な意見を持っているという事については、このブログの読者の皆さんはお気付きだと思いますが、その理由の1つがこれです。(他にも理由はありますが、その話を始めると際限無く話が脇道に逸れてしまうのでここでは触れません。)

一般的なボールペン字の手本の字粒と比べると、例えば『九成宮醴泉銘』などの字粒は随分と大きなものになりますが、その大きさですら無理なのです。

更に小さい字粒に対しての0.数ミリの長さや位置の違いについて、しっかり実感認識した上でそれを修正していく、などという事が、ボールペン字を習い始めたばかりの人達に出来るわけがありません。

そんな事が出来るくらいなら、世の中の人は皆とうの昔にきれいな字が書けるようになっていますよ(苦笑)


閑話休題

原寸大臨書についてはもう1つ、筆の扱いについても先程の話と同様の問題が起こります。

私は普段、教室でも通信添削でも、筆のバネが効いた線(私は立った線と表現します)が引けているかどうか(引けるようになるような正しい練習をしているかどうか)という事を何より最重要視して指導しますが、この「筆のバネ」を身体(筆を持っている指先)で体感するという事自体、初心者の人達にとってはそう簡単な事ではありません。

半紙4文字大を書くには一般的には4号程度の太さの筆を使う事が多いと思いますが、その程度の太さの筆で半紙に4文字大程度の大きさを書く時ですら、筆のバネを体感しながらというのは初心者の人達にとっては簡単ではありませんし、実際に「立った線」をある程度体得出来るようになるまでには、どんなに早い人でも数ヶ月〜半年、人によっては数年間という時間が必要です。

それを原寸大で書くような細さの筆でやろうとする場合、当然の事ながら筆が細くて書く字が小さい分だけ極めて繊細なコントロールが要求されます。

初心者の人達がいきなりそれをやろうと思っても、結局いつまで経っても「筆のバネが体感出来ない」という事になり、結果、いつまで経っても「立った線」というものが理解体得出来ない、という事になってしまうのです。

それこそ気付かない人は何十年経っても気付きません。


以上の理由から、私は初心者の人達には原寸大臨書をお勧め出来ないのです。


今回の話からすると、当然漢字だけではなく仮名でも全く同じ事が起こります。

一方で私の通信添削では仮名の場合には基本的に原寸大臨書という事でお願いしているのですが、これは、

筆を持ったばかりの人がいきなり仮名の原寸大臨書をやろうとする事は殆どない、というのが実情。

大抵の場合、大きな字から小さな字へと段階的に練習を積んできた人が更なる段階として原寸大臨書に取り組む、という場合が殆ど。

もともと仮名を学ばれている方は原寸大への指向が極めて強く、「あの古筆を書けるようになりたい」といった憧れや希望を持っている人が多い。

という理由から、仮名の場合には基本的には原寸大臨書で、という事でお願いしています。(但し、私から見て「この人にはまだ無理」と判断した場合には、原寸大臨書はひとまず止めてもらっています。)


それから今回の話というのはあくまで、

「初心者がいきなり原寸大臨書をやる事には無理がある。」

という話であって原寸大臨書そのものを否定したものではありませんので、そこは誤解しないようにお願いします。

「臨書は原寸大で」といった考え方を持った人がいる事は当然私も知っていますし(金田心象氏などが有名ですね)、原寸大臨書の重要性も十分理解しています。

長年書を学んでいながら原寸大臨書をやった事がない、という人に対しては、「それは如何なものか」と苦言を呈したくもなります。

ただ、初心者がいきなり、という事にはやはり賛成出来ないのです。

色々な考え方があるでしょうが、その中の1つとして、今回の話も聞いて頂けたらと思います。

それではまた。
----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:通信添削 書道
posted by 華亭 at 03:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月13日

夏休みなので

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------

世の中所謂お盆休みですが、毎日暑いですね〜!

私は暑いのが大の苦手なので、夏は辛〜い季節です。

心頭滅却すれば、なんて無理無理、ぜ〜ったいムリッ!

暑いものは暑いのです!

私は普段1日1食(夕食)か殆ど食べない日が多いのですが、ただでさえ慢性的な睡眠不足の上にこの暑さが加わるので、食事をしっかり採らずに適当に済ませていると、立ち上がる度に頭がク〜ラクラします(笑)

このままでは夏バテ必至か!?

あ〜早く秋にならないかなぁ…(と、梅雨明け前から毎年同じ事をぼやいて周囲に笑われているのは内緒)


さて、夏と言えば勿論夏休みですが、大人の場合、子供のそれとは違い日数的にもごく限られていますから、

「夏休みの目標!」

みたいに、夏休みをきっかけに何かを始めてみたり頑張ってみたり、というわけにはなかなかいきませんよね。

ましてやその限り有る休みに帰省だの家族サービスだのとなれば尚更です。

それでも折角ですから気分だけでも「夏休みの目標」という御題目に乗っかってみたくもあります。


そこで今回の提案ですが、

何処か1箇所だけでも博物館や美術館に行ってみる。

1冊だけでも良いから何か書に関する本を買ってみる。

というのは如何でしょうか?


博物館や美術館となると、この暑さの中で実際に足を運ばなければなりませんし、諸事情あって自分だけ出かける事などとても許されない、という人もいるでしょうが、本ならネットで家にいながら探せますし買えますから、こちらの方がより現実的かもしれませんね。


「書に関する本っていってもどんな本?」

と思われるかもしれませんが、書に関するものならこの際何でも良いではありませんか。

字書でもテキストとしての影印本でも、このブログで紹介してきた本でも、とにかく何でも良いです。

普段なら意識を素通りさせて済ませてしまっているような、つまりは気持ちの上で見て見ぬ振りをしているような本なら更に良いかもしれません。

無論、折角買うのですから買っただけで満足してしまうのではなく、少しは中身も見ましょうね(笑)

まぁ、買った本がすぐさま直接的に役立つ事などなかなか無いのかもしれませんが、新たな興味の扉を開くきっかけくらいにはなるかもしれませんから、あまり深く考えずに選んでしまうというのも一興です。


「何かお薦めの1冊は?」

と訊かれそうですが、そもそも万人向けの1冊など有りませんし、自分であれこれ探してみるのもこの機会こそ、という事で、敢えて不親切なままに(笑)


というわけで今回はさらっと。

皆さん良い夏休みを。

----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:通信添削 書道
posted by 華亭 at 20:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月25日

アプローチの違いに関する考察。その5

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
独学の皆さん、大変お待たせ致しました。(汗)

今回のテーマを独学の皆さんに当てはめて考えてみると、自分自身がA、B、どちらの傾向に沿って学んでいるのか、という問題として捉える事が出来ます。

換言すれば、自身が学ぶ上での意識の優先順位の問題です。

その4で書いた、Aの

1・書を楽しむ
2・書を学ぶ

なのか、それともBの

1・書を学ぶ
2・書を楽しむ

なのか、という話ですね。


そもそもこのブログの読者の皆さんというのは、傾向としてはBに近い人達が多いのではないかと想像しています。

完全にBの立場から書かれているこのブログに共感して頂いているのだとすれば、それはやはり皆さん自身がAではなくBであるからだと考える方が妥当でしょうから。

だとすると、「Aしか知らない人達に伝えたい」という私の意図はなかなか叶わないという事になってしまいますが、それはそれ、今の話の中心は独学している皆さんですので。


さて、皆さん自分自身を考えてみるとどちらに近いでしょうか?


「私はAかなぁ。」

と思ったのでしたら、話は簡単です。

前回までに書いたような「Bという進め方もある」という事実を、よ〜く覚えておいて下さい。

その事実を知った上で、自分がどうするのか、という事については、私が口出しすべき問題ではありませんので、皆さん各自が自分自身で選択すれば良いのだと思います。

Aを選択したとしても、これからもこのブログは御贔屓に。(と、さりげなく宣伝も忘れない)


意外に思われるかもしれませんが、本当に問題なのは、

「私はB」

と思っている人達です。

「Bと思っているなら問題無いんじゃない?」

と思われるかもしれませんが、実は、自分ではBと思っていて、普段の練習でもBの進め方をしていると思っているにもかかわらず、実情がAになってしまっている、という「隠れA」とでも呼ぶべき人が極めて多いのです。

「人を隠れ肥満みたいに言うな!」

と叱られそうですが、本人にその自覚が全く無い、という点では正に共通していますので御勘弁を。


隠れ肥満の事はさておき、何故「隠れA」という状態が起きてしまうのかについて考えてみましょう。

「隠れA」かどうかにかかわらず、「自分はB」という自覚のある人は、例えば古典の臨書をするにしても、「ただ何となく書いてみる」といったような態度ではなく、「出来るだけ古典に忠実に迫ろう」という姿勢で望んでいるのだろうと思います。

前回までの話で言えば、「詳細な視点」を意識しながらの練習を心がける、という事になるわけですが、ここで独学ゆえの問題が生じます。


自分が書いたものに対する客観的な視点の絶対的な不足です。


前回までお話してきた「詳細な視点」というのは、先生からの「段階に応じた細かな指摘」という客観的な視点の存在を伴ってすら、その獲得、蓄積醸成は容易な事ではありません。

「段階に応じた細かな指摘」を受け続けていたとしても、そう簡単にはいかないのですから、それを自分1人の視点だけでやろうとすれば、その難しさが桁違いに増してしまう事は避けられません。


これまで私の通信添削を受けた事のある皆さんの中には、独学の人もそうではない人もいらっしゃいますが、どちらの皆さんも、最初はそれまでの自分の学び方について、完膚無きまでに叩きのめされたような思いをしたはずです。

要はそれだけ皆さんの視点が甘かったという事なのですが、「良薬口に苦し」である事を信じて、いつも敢えて遠慮せずにダメ出しをさせて頂いてきました。

幸いな事に、私の苦言がきっかけとなり、その後の学書の姿勢がガラッと変化した人も少なくありません。


しかし、これまでずっと独学を続けてきた人の場合、ダメ出しをされる機会自体が無いのですから、

「御自身ではBのつもりかもしれませんが、残念ながら、実際にはAと何ら異なるところがありません」

と、指摘してもらう事のないまま、時を重ねてしまう事になります。


「詳細な視点の不足」を更に分かりやすく言えば、「観察眼の不足」という事になります。

それは手本を見る際にもそうですし、自分の書いたものを見直しす場合にもそうです。

「自分では細心の注意を払って見ているつもりでも、実は肝心なところがちっとも見えていない」

という状態です。

つまり、自分の目だけではいつまで経っても「肝心なところ」が何処なのかが分からないし、気付く事が出来ない、という事なのですが、更にもとを辿れば、「分からないし気付く事が出来ない」、という事実そのものにそもそも気付いていない、という状態だと言えるでしょう。

その結果、本人にはそんなつもりなど全くなくとも

「ただ何となく手本を見て何となく書いている。でもそれで十分楽しい。」

といった、Aと非常に良く似た学書行程になってしまっているのです。


これは非常に厄介な状態で、なにしろ本人は自分がそんな状態であるとは夢にも思っていないのですから、なかなか有効な解決策がありません。

自分の目に客観性を持たせる為のヒントは、このブログでもこれまであちこちに書いてはきましたが、当の本人が「私は大丈夫」と思ってしまっているような場合、それらのヒントも馬耳東風でしょうから、正直なところ一方通行のブログでは打つ手がありません。


ん〜、困りましたねぇ(汗)


皆さん1度私の通信添削でも受けて叩きのめされてみると話が早いのですが、ホントに皆さんから一斉にドドドーッと送られてきたりしたら、怠け者の私には対応しきれなくなって途方に暮れてしまうので、この方法は却下です(苦笑)

せめて、このブログで書いてきたヒント(苦言)の数々を、決して他人事とは思わずに、自分自身への言葉として反芻して頂ければ、と切に願います。

書の独学というのは、とにかくそれくらい難しい、という事は忘れないで下さい。


最後は何とも歯切れの悪い話になってしまいましたが、5回に亘ったこのテーマも今回で終わりです。

御蔵入りしていただけあって、話の散らかり方が尋常ではありませんでしたが(汗)、最後まで長話にお付き合い頂き有難う御座いました。

頑張り過ぎた反動でまた放置したりする事のないよう、皆さん祈っていて下さい。(自分で頑張れよ)

それではまた。

----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:通信添削 書道
posted by 華亭 at 20:55| Comment(12) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月24日

アプローチの違いに関する考察。その4

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
さぁ、やっと本題です(汗)

今回も頑張れ俺〜。


本題を展開する為のネタは前回までに全て散りばめておきましたので、

「話が長過ぎて最初の方なんて忘れちゃったよ」

という方は、「アプローチの違いに関する考察。その1」から読み直しておいて下さい。(面倒とか言わないで〜)


前回まで3回に亘ってA、Bの違いについて考えてきました。

ここまではどちらかと言うと両者の違いの中でも表面化しやすい部分について見てきたわけですが、今回はもう少し本質的な部分の違いについて考えてみたいと思います。

様々な違いがあるAとBですが、その根底にあるのは重要とする事の優先順位の違いであるように思います。


Aにとっては何よりも

「書を楽しむ」

という事が優先されます。

それは

「書を楽しみながら書を学ぶ」

という姿勢であるとも言えますから、優先順位としては

1・書を楽しむ
2・書を学ぶ

となるでしょう。


その際のポイントは、ここでの「書の楽しさ」というものが、初学者にとっても最初から実感出来る楽しさである、という点です。

その1で書いたA先生の

「のびのび書きましょう」

という台詞は、この姿勢を象徴したものです。


一方Bの場合には、

「書を学ぶ」

という意識が全ての前提です。

「書を学んでいくその中で、書を学ぶ楽しさや、更には書そのものの面白さや楽しさを見付けていこう。」

という姿勢です。

優先順位としては

1・書を学ぶ
2・書を楽しむ

となります。


言うまでもなく、ここでの「書の楽しさ」とは、初学者が最初から実感出来るような類いのものではありません。

B先生の

「ただがむしゃらに書けば良いというものではない」

という台詞も、ただがむしゃらなだけでは、B先生が学ぶ側に伝えたい「書を学ぶ楽しさや書そのものの面白さや楽しさ」に気付く事が出来ない、という考えから出ています。


さて、ここまでで分かる事は、AとBとでは、学ぶ側が感じる「書の楽しさ」の内容が異なっている、という事実です。


前回までに見てきたように、Aの楽しさとは初学者にとっても最初から実感出来るものですから、書の世界への導入に際してはその楽しさが有効に作用します。

一方Bの楽しさとは初学者が最初から実感出来るような類いのものではありませんから、導入に際してはそれが高いハードルとなります。


しかし、です。


「書道ってものをほんのちょっと体験してみたいな。」

という事ならまだしも、多くの方はもっと長期的な関わりを想定して書を始めたはずです。(長期的とはいってもその長さや内容には当然個人差がありますが)

長く書と関わっていこうとする中での楽しさが、「すぐに手には入るが底が見えてしまうのもまた早い」、というようなもので、皆さん本当に良いのでしょうか?


書の楽しみをどこに見出だすのかは人それぞれですから、それについて私がとやかく言うのは余計な御世話というものでしょう。

私の教室に入ってくる人達の中でも、「お手軽」に得られる楽しみを求めてくる人が少なくない、という事もまた事実です。

それらを承知の上で敢えて言えば、Aの行き着く先に、Bが手にするような楽しみを見付ける事など、殆ど不可能だと思うのです。(皆さんの練習量には限度があるのですから。)


私の仕事は書を教える事ですが、それは私にとっては、皆さんが書を学ぶ、そのお手伝いをさせて頂く、という事に他なりません。

このブログでも、その思いは同じです。


ブログというのは基本的にはこちらからの一方通行の媒体ですから、私とこのブログの読者の皆さんとが相互的に繋がる場面は、コメントやメールや通信添削などのごく限られた場面です。

改めて言うまでもなく、このブログは開設当初から完全にBの路線で続けてきていますが、それは、Bの価値観の中で書を続けてきた読者の皆さんに対して、「次の1段」の為の様々なヒントを示したい、と考えてきたのと同時に、Aの価値観の中で書を続けてきた読者の皆さんに対して、「本当に今のままでいいの?」という疑問を投げかけたい、と思い続けてきたからです。

Aの価値観の中で書を続けてきた人達が、「今のままで本当にいいのだろうか?」と、自分自身に問いかけ始めるきっかけくらいは、一方通行のブログでも与えられるかもしれない、と思い続けてきたからです。


そもそも今回の話を改めて記事として書こうと思ったのには理由がありまして。

読者の皆さんの中で

「これまで数ヶ所の教室で何人かの先生に教わった事がある」

という経験がある人は少ないでしょうし、一般的には

「1つの教室でずっと1人の先生に教わってきた」

という人が大多数でしょうから、そうなると、良くも悪くも1人の先生の1つの価値観のみが刷り込まれるわけで(「刷り込み」の回参照)、他の価値観が存在している事すら知らずに過ごす事になります。

今回はA、Bを両極端な形として説明しましたが、Aの進め方しか経験した事がない人にとっては、自分の知らないところで自分が教わってきたものとは正反対のBの進め方というものが存在している、という事自体、全く知る由も無いままに時を重ねています。

当然私はその事実も弊害も知っているわけで、知っているにもかかわらず、それについてこのブログで書かないのは

「やっぱりイカンでしょ。」

と思ったからです。


皆さんが見出だした楽しみが、私の言う楽しみとは異なるものであったとしても、それを否定するつもりなどありませんし、Aのような進め方についても「間違っている」と言うつもりはありません。

しかし、皆さんがひとたび「学ぶ側」として私と関わる事となったのなら、私としてはAしか知らない人を黙って見過ごすわけにはやっぱりいきませんからね。


尤もBの私も実際の教室での話となると、教室に入ってきたばかりの人にB全開というだけでは、それこそハードルの高さばかりが前面に出過ぎてなかなか馴染んでもらえないという事にもなりますので、そこは様子を見ながらバランスを取りながら、という感じになりますが。

それでも私が基本的にBであるというのは今後も変わらないでしょうし、当然このブログはこれからもB全開のまま続けていきますよ(笑)


ひゃ〜、疲れた(汗)

久し振りに長い話を書いたらえらく疲れました。

でも、やれば出来るじゃん俺!

書けば書けるじゃん俺!

よく頑張った俺!(ならもっとアップ率上げろよ)


あ・・・

まだ大事な事を書いていません・・・

独学の皆さん、本当にお待たせ致しました(大汗)

これまでの話を踏まえて、独学の皆さんについて考えてみたいと思います。

次回に続きます。(また持ち越しかい)

----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 通信添削
posted by 華亭 at 22:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月23日

アプローチの違いに関する考察。その3

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
ん〜・・・

この話、実は御蔵入りしていた時には既にこの辺りで挫折していたので、ここから先、一体いつまで続くのやら、自分でも見当が付きません(汗)

前回はAについて色々と(ダラダラと、とも言う)考えてみましたが、今回はBについてです。

因みに「その1」にも書いた通り私はBなので、話の客観性に少々(大きく?)揺れが生じますがお許しを。


前回も触れましたが、書を習い始めたばかりの人にとっては、Bは少々堅苦しく息苦しく取っ付きにくく感じるのかもしれません。

最初からあれやこれや言われ過ぎて頭がパンク寸前、言われた事を気にすればする程腕が動かなくなり、

「ひぇ〜っ(汗)、書ってこんなに難しいのかい!?」

と、早くも息が上がってしまいそう。

といった感じでしょうか。

書を学ぶという行為がその人なりのペースでその人の生活の中に習慣として馴染むまでには、どうしても多少の時間が必要になります。

その馴染むまでの間は特に、とにかく最初は「楽しい」と感じられなければそれこそつまらないでしょうし、続ける気にもなれないでしょうから、その意味ではBは初学者にとっては最初からやけにハードルが高い、という事になります。

前回も触れた「書の世界への導入」という観点から見たら、これはやはりBの短所とせざるを得ないでしょう。


話がここで終わりなら、

「やっぱりBは無しって事でもいいんじゃない?」

となりそうですが、この話には(まだまだ)続きがあります。


Bは最初から(学ぶ側の段階に応じながら)細かい事まで指摘するわけですが、これは、その時点毎の問題点を、学ぶ側に出来るだけ具体的に明確に意識してもらう、という事が目的です。

「細かい指摘」とは、要はBが求める「詳細な視点」を獲得する為のヒントに他なりませんから、「細かい指摘」による具体的で明確な問題意識を持った上での練習は、結果として、そのまま「詳細な視点」の獲得へとつながっていく事になります。

つまり、「細かい指摘」にちゃんと耳を傾けながら頑張っていれば、自ずと「詳細な視点」は身に付いていくわけです。


ここでもう1つ重要なのが、Bの細かい指摘があくまで「段階に応じて」なされるものである、という点です。

只の闇雲な指摘では毒にこそなれ薬にはなりませんからね。

「何はさておき今意識すべき点」

これこそがBの「細かい指摘」の正体です。

例えば、「萎縮してしまう」という点は一見するとBの問題点として捉えるべき点のようですが、この萎縮の問題が「何はさておき今意識すべき点」として取り上げるべき段階に至った後に、萎縮せずに書けるようになる為の具体的な練習方法を提示しそれを実行してもらえば、この点はすっかり克服出来てしまうのです。


さて、学ぶ側にするとBは、「細かい指摘」によって、自分がどれだけ書けていないのかという事を嫌という程に思い知らされ続ける、という事になりますが、同時に、徐々に獲得する「詳細な視点」によって、自分がどれだけ進んだのかという事を具体的にその内容を理解し実感する事が出来る、という面もあります。

自分がどれだけ書けていないのかを嫌という程に思い知らされ続けるというのは、確かに楽しい事ではないのかもしれませんが、自分の不足箇所を正しく把握しておく事無しには順調な成長は望めませんから、その楽しくない面も含めて、Bの良い点であるのだと思います。


まぁ、早い話がBというのは

「1段ずつ着実に確実に階段を上っていきましょう。」

という進め方なんですね。


Aの場合には致命的な問題となる練習量の不足も、Bのこのような進め方に於いては、1段ずつ上っていくペースが人それぞれになるというだけの話で、それ以上の問題を生じません。

「1段ずつ着実に確実に」ですから、Aに比べて受ける印象は地味で地道なものかもしれませんが、そもそも書を学ぶというのは地味で地道なものですから、表面上を取り繕って「お手軽お気軽」な雰囲気を装ってみても仕方がありませんからね。

地味で地道ではあっても、自分の目前に浮かんでくる課題を1つ1つクリアしていく事によって、新たな発見や驚きや喜びに出会う事が出来る。

「書を学ぶ」という事の楽しさの大きな一面とは、そういうところにあるのではないかと思いますし、新たな発見や驚きや喜びに出会う為のお手伝いをさせて頂く事こそが、Bの役目なのだろうと、Bの私は思うのです。


さてさて、この辺で漸く本題に入る準備が整ったようです。(まだ前振りだったんかい!?)

という事で、次回はいよいよ本題です。

それではまた。

----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:通信添削 書道
posted by 華亭 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月22日

アプローチの違いに関する考察。その2

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
話全体の見通しが立たないままに見切り発車で始めてしまった前回でしたが、ものの見事に前振りだけで終わってしまったので(汗)、早速その続きです。


A、Bは全く正反対ですから、その長所短所についても丁度表と裏の関係になります。


書が持つ様々な側面の中で、初学者が先ず最初に書を「楽しい」と感じるのは、「筆で書くという行為自体」という一面からである事が少なくないと思われますが、その点で言えば、初学者にとっては「最初はあまり細かい指摘まではしない」Aの方が嬉しいでしょうし取っ付きやすいでしょう。

裏を返せばBは(Bの私が言うのも何ですが)取っ付きにくいに違いありません。

最初から細かい点まであれこれ言われてしまうと、

「何だかそれだけで書く気が失せてしまう…」

という人もいるかもしれませんし、そんな事になるくらいなら、先ずは

「のびのび書かせてよ。」

と思うのが自然でしょうからね。

書の世界への導入としては、入りやすいに越した事は無いのですから、この点では完全にAに軍配が上がります。


「と言うか、いっその事Bはいらないんじゃない?」

と思う人もいるでしょう。


ところが話はそれ程簡単ではありません。

問題は、前回触れた

「書いていくうちに」

という前提です。


Aの場合、どれ程に線や形が暴れても、それは「書いていくうちに」収まり、Bの求める詳細な視点についても、「書いていくうちに」獲得出来る、という考え方でした。

ところが、です。

これを実際に当てはめようとした場合、この「書いていくうちに」という前提、どうにも怪しくなってくるのです。


問題は皆さんが書く量、つまりは練習量です。

皆さんの実際の練習量というのは、Aが「書いていくうちに」という前提として想定している量に比すると、圧倒的に少ない、というのが殆どの人に於ける実情です。

つまり、「書いていくうちに」という前提で期待されている線や形の暴れ方の収束も、詳細な視点の獲得も、(練習量が少ないが故に)その段階に至る事自体が極めて難しい注文となってしまうのです。


早い話が、Aというのは学ぶ側の練習量頼みになってしまうんですよ。


その結果、書いていくうちに至る事を期待された段階には全く到達出来ないまま、当の本人の中には

「のびのび書けば(のびのび書きさえすれば)良い」

という歪曲された認識のみが植え付けられる。

只の「暴走」を「勢いがある」などと勘違いしたまま、それに気付かない。(気付く為に必要な視点を獲得出来ない。)

いつまで経っても代わり映えのしないものを、それとは気付かないままに書き続ける。

という、何とも厄介な状態に陥ってしまう事にもなりかないのです。


これまで私はこのブログで「量よりも質」を重視すべきだと言い続けてきましたが、それは皆さんに期待出来る「量」にはそもそも限度があるからであり、その限度ある「量」のみを先行させた意識の中で「質」を追随させるというのは、極めて困難であると考えるからに他なりません。


先程、Aは学ぶ側の練習量頼みになってしまうと書きましたが、だからといって、闇雲に学ぶ側に練習量の増加を求めるわけにもいきません。

書との関わり方というのは人それぞれなのですから、

「とにかくもっとたくさん練習しなさい!」

と言ってみたところで、

「そんなにたくさん練習出来ないし、そもそもそこまで大変な思いをしてまで書を続けたいとは思わない。」

と言われてしまえばそれまでですから。

となると、結局本人の練習量頼みという状態は変えようがないわけで、話が行き詰まってしまいます。

この状態が続けば、本人の進歩は遅かれ早かれ必ず停滞膠着してしまいますので、その停滞の中でいつの間にか書に対する興味も熱意も冷めてしまい、書そのものをやめてしまう、という結末にすらつながってしまいます。

言うまでもなく、最も残念な結末です・・・


何だか重〜い雰囲気になってしまいましたが(汗)、先ずはAについて考えてみました。

次はBについて考えてみたいと思いますが、話がひたすら長くなってきたので、続きは次回に。(やはり御蔵入りにしておいた方が良かったのかも・・・)

それではまた。

----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 通信添削
posted by 華亭 at 22:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月21日

アプローチの違いに関する考察。その1

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
未練がましく御蔵入りだったネタを掘り起こしてみますが、果たして話の収拾がつくのか、と〜っても不安です(汗。こういうのを見切り発車といいます。)


目指すところは同じでも、そこに向かうアプローチの方法が異なる。(因みにゴルフの話ではありません。ゴルフやらないので。)

これは様々な場面で起こり得る話ですが、書を学ぶ時にも当てはまるように思います。

実際的には「学ぶ側」単独の問題としてよりも「学ぶ側」と「教える側」との関係性をも含んだ問題として扱う方が妥当かもしれませんが、このブログの読者の方々の中には「教える側」の介在しない独学という方法で学んでいる方も少なくありませんし、なるべく皆さんに当てはまる話として考えてみたいと思います。


さて、ここでは便宜上、手本そっくりに書く事を一応の目的(目指すところ)としておきますが、例えば初学者に書を教える際(独学の方、暫くお待ちを)、大まかには

「最初はあまり細かい事までは指摘せず、先ずは萎縮せずにとにかく筆で書くという行為が思い切って出来るようになる事を心掛けさせる。」

という方向からのアプローチ(以下A)と、それとは正反対に、

「最初から段階に応じて積極的に細かい事も指摘し、出来得る限り詳細な視点を持てるようになる事を心掛けさせる。」

という方向からのアプローチ(以下B)の2通りがあるように思います。(勿論これ以外の分け方も出来ますが)


Aの場合、

「最初はどれ程に線や字が暴れても気にしなくてOK。それは書いていくうちに徐々に収っていくから。」

という立場です。

この立場では、Bが求める「詳細な視点」についても、「書いていくうちに獲得出来る」という考え方が前提にあるので、「最初はあまり細かい指摘まではしない」という事になります。


一方Bの場合、

「最初はどれ程に線や字が萎縮しても気にしなくてOK。ある段階までいけば萎縮せずに書けるようになっていくから。」

という立場です。

この立場では、Aが求める「筆で書くという行為が思い切って出来る」という点についても、「ある段階までいけば思い切って出来るようになる」という考え方が前提にあるため、「最初から段階に応じて積極的に細かい事も指摘する」という事になります。

まぁ、ものの見事に正反対ですね(笑)


「細かい事を気にし過ぎず、のびのび書きましょう。」

というのはAの先生の決まり文句ですし、

「只がむしゃらに書けば良いというものではありません。」

というのはBの先生の口癖です。

「書の難しさについて最初はあんまりあれこれ言い過ぎない。」

というのがAの教え方であり、

「書の難しさについて最初からしっかり身に染みてもらう。」

というのがBの教え方である、とも言えそうです。


ここまで読んで、以前からのこのブログの読者の方はお気付きかと思いますが、私は基本的にはBですね。

尤も、「何が何でもB」という話ではなく、当然状況を見ながら臨機応変に対応する事になりますので、「どちらかと言えばB」といった感じではありますが。


さて、今回の話、私がBだからといって、「Bでなければダメ」という話なのではありません。

冒頭にも書きましたが、A、Bの違いはアプローチの方法の違いであって、目指すところの違いではありません。

只、皆さんに普段の自分の学び方を振り返ってもらう為にも、それぞれについてもう少し考えてみたいと思います。

思いますが、話が長くなってきたので続きは次回に。(実は最後まで話がまとまっていない、というのはここだけの話)

頑張ってちゃんと早目にアップしますから(ホントか?)、自分の先生はA、B、どちらかと言えばどちらに当てはまるかを考えておいて下さい。

それではまた。

----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 通信添削
posted by 華亭 at 07:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

「止まれ」を応用してみる。

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
相も変わらず低迷したままのアップ率ですが、アップ率向上など今更誰も期待などしていない事を知りつつも、「何とかアップしなくちゃ」との思いは強く持っています。(ホントです。)

これでも毎日のように、確かに少しずつではありますが、記事を書き続けていまして。(これもホント。)

ところが、長々と書いたその挙げ句、話のまとまりの無さにアップする気が失せて(元々このブログの話にまとまりなんて無い、というのは内緒)そのまま御蔵入りになってしまった記事その数何と9本。

アップ率の極めて低いこのブログにとっての9本は貴重なわけで、9本分のネタ、あ〜あ、勿体無い…(苦笑)

勿体無いと思いつつ、今回その9本は放置して、新たに書きました。

また御蔵入りさせたくなる前にアップしちゃいましょう。


さて、道路に塗装してある制限速度の数字や「止まれ」などの文字が、進行方向から見た時に自然に見えるように極端な縦長になっているという事は御存知の方も多いと思いますが、今回はそれとは反対の話です。

半紙でも半切でも何でも良いのですが、自分の書いたものを手前側から覗き込むようにして見てみましょう。

という提案です。

例えば机上で半紙に書いたのなら、顔を机(半紙)に近付けて、もしくは半紙を顔の前まで持ち上げて、手前側から見るようにします。

床で半切なら、低くしゃがんでなるべく視点を紙に近付けて、やはり手前側から見てみます。

文章にするとややこしいですが、分かるでしょうか?

そうやって見てみると、字がつぶれた扁平な形として見えるはずです。

ほら、さっきの道路の話と反対ですね。


そして、書いた字がつぶれた扁平な形に見えるだけではなく、他にも気付く事があるのですが、如何でしょうか?


勿体振る程の話でもないのでこのまま話を進めますが、普通に見るよりも行の流れが分かりやすくなるんですね。

例えば半紙に6文字書いた場合、縦3文字がきちんと並んでいるかどうか、2文字目が左に飛び出した、3文字目が右にずれた、といった事が分かりやすくなるのです。

手前側から見た場合の見た目というのは、書いた字だけではなく全てが縦に圧縮された形として目に写りますから、圧縮された分だけ文字どおしの上下の間隔、つまりは字間も縮まる事になり、結果として、「左に飛び出した。右にずれた。」といった事が分かりやすくなるのです。

初学者の場合、書いたものを見た時の「自分でちゃんと意識出来る視野」がどうしても極めて狭いものになってしまうのですが、見た目が縦に圧縮される事によって、行全体が「意識出来る視野」の内側に収まりひとまとまりとして目に写ってくれるので、その結果、行の流れが分かりやすくなる、という事もあるのだと思います。

ついでに言えば、これも「意識出来る視野」の問題とも絡みますが、縦に圧縮された見た目のおかげで、「ここのはねが失敗した」「このはらいが上手くいかなかった」などといった、初学者がやってしまいがちな局所的な見方への大きな偏りが起こりにくくもなるようです。


実は、私が添削で「この字が左に飛び出しています。ここが右にずれています。」といった指摘した時、私の目には、手前側から見たような左右の凸凹として見えている、というわけなんです。

つまりは慣れれば(「意識出来る視野」が拡がれば)普通に見ていても瞬時に分かる事なのですが、最初からいきなり「分かるでしょ?」と言われても、それは無理というものですからね。


この方法は、仮名のような上から下に向けての連続性が強いものなどには、特に有効だと思います。

「この字だけ行の流れに乗っていない。」

「行の流れがここで途切れてしまっている。」

等々、今まで普通に見ていた時にはなかなか自分では気付かなかった様々な事に気付かされると思います。


それでも最初は

「ん〜…やっぱりさっぱり分からないんだけど…」

という人も少なくないでしょうから、先ずは先生からの「ここが右にずれてるよ。」などの指摘を元に、後で自分で確認する時にやってみる、というのが良いかもしれませんね。

「あ、ホントだ!ここが右にずれてる。」

といった具合に。


「独学の場合は?」

といった声が聞こえてきますが、独学では先生からの指摘が無い分、よくよく見てみるより他にありません(汗)

と言うよりも、独学であれば尚の事、今回のような方法も用いつつ、なるべく客観的な視点を持とうとする工夫が必要なのだと思います。


とにかく独学かどうかに関わらず、こういった事を繰り返していくうちに、自分自身で気付く事が出来る部分が少しずつ増えていくのだと思いますし、普通に見た時の見方にも変化が出てくるのではないかとも思います。


と、今回は話がまとまらなくなる前にさらっと。

それではまた。

----------------------------------------------------------
初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。

「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 通信添削
posted by 華亭 at 01:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月07日

元を辿ろうにも

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------
早速前回の続きですが、前回の話というのは、実は指導する側の極めて楽観的な前提の上にしか成り立ちません。(これが前回の最後に触れた「難点」です。)

書いた本人が「大きくなり始めている部分」を自分自身で見付け出せる。

という前提です。

ところが残念な事に、この前提はあまり(と言うか殆ど)期待出来ません。

何故でしょうか。


初学者の場合(実際には初学者に限った話ではないのですが)、そもそも自分が書いたものが手本よりも大きくなっているのかどうかの判断が付かない、という事が少なくないからです。

自分が書いたものが手本よりも大きくなっているのかどうかが分からないのだとすると、前回の理屈に沿って「そもそもの原因」を探り出そうという私の提案自体、無理な相談という事になってしまいます。

「大きくなっているのかどうかが分からないなんて、そんな事はないだろう。手本と見比べれば分かる事じゃないか。」

と思われるかもしれませんが、ちょっと待って下さい。


例えば私がAさんの書いたものを添削する際、

私「この1画目が長くなっていますね。」

A「はぁ…」

私「(長過ぎる部分に朱墨で印を付けながら)このくらい長いですよ。」

A「う〜ん…そうですか…」

と、こんな感じで指摘されても尚、長過ぎている事が実感出来ない人、ホントに多いんですよ。

「そんな話、信じられないよ!」

と思うかもしれませんが、考えてみればこれは至極当然の話で、書いた本人にしてみれば、それを書いた時には「手本と同じ長さ」にしようと思いながら、自分が「手本と同じ長さ」と感じた長さを書いたのですから、「手本と同じ長さで書いたはず」のそれを見て、「長過ぎる」と自分自身で気付くというのは、実はそう簡単な事ではないのです。


さぁ困りました(苦笑)

このままでは私の得意な屁理屈も、ただの机上の空論に終わってしまいますね〜(笑)


さっきのAさんとのやりとりというのは普段教室で日常的に見られる場面の再現ですが、このやりとりには続きがあります。

A「う〜ん…そうですか…」

私「あんまりピンときていないようですね。それならこうすればどうですか?」

A「あ〜ホントだ!随分長いですね。」


さて、私は何をしたのでしょうか?

答は簡単です。

Aさんが書いたものを手本と重ねてみたのです。

離れている両者を見比べているうちはなかなかその違いに気付かないAさんも、重ねてみればその違いは正に一目瞭然。

「なるほどね〜!」

となるわけです。

ただ見ているだけでは分からないというのなら、書いたものを適当に折って自分が書いた1画目が手本の1画目のすぐ側に並べられるようにしたり、両者を定規で測ってみたり、とまぁ、具体的な方法は何でも良いのですが、とにかく両者の違いが一目瞭然で分かるような、つまりは自分自身でも客観的な判断が出来るような工夫が必要なんですね。

ついでに言えば、その工夫によって、私の話も机上の空論とならずに済みますし(笑)

「なぁ〜んだ。そんな単純な事か。」

と思った人もいるはずですが、それなら皆さん、普段本当に「そんな単純な事」を当たり前の事としてやっていますか?

ホラ、怪しいでしょ?


確かに「工夫」などと大袈裟に言う程の事ではありませんし、

「こんな事までいちいち言われないと思い付かないのかなぁ…」

といった感じで少々ウンザリなのが私の本音です。

本音ではあるのですが、本人を目の前にしては言えませんし(苦笑)、多くの人が「そんな単純な事」をちっともやっていないというのが私の見てきた実情だったりするのです。

さぁ、皆さんも早速手本と重ねてみましょう。

ただ見ているだけでは気が付かなかった様々な事が見えてくるかもしれませんよ。

何だか最後は愚痴混じりになってしまいましたが、こんな話でも皆さんのお役に立てば幸いです。

それではまた。
----------------------------------------------------------
初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:通信添削 書道
posted by 華亭 at 22:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする