2015年01月04日

ずっと考え続けている事。その2

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早速前回の続きです。

皆さん、LD(学習障害)という言葉を知っていますか?

LDについての詳細はググって頂くとして、LDの中でも特に文字を書く事が苦手という特性(ディスグラフィア、書字障害)がありますが、最近の私はこのディスグラフィアに絡めながら、あれこれ考えています。

尤もこの辺りの話については、実際にその障害で苦しんでいる人達がいらっしゃる事を考えれば、単なる思い付きレベルの内容を得意気に話すべきではありませんので、ここでは現時点での私の考えの概要を述べるに留めます。


さて、このディスグラフィアを持った人の中に、「絵を描くのは得意」という人がいます。

字を書くのは苦手だけど絵は得意、という事ですね。

更には「映像記憶」とか「瞬間記憶」とか呼ばれるような、ちょっと見ただけでその瞬間的な映像をまるで写真に撮ったかのように正確に記憶してしまう能力を持ち、それを絵として正確に再現する人までいます。


その能力は正に驚異的ですが、この事は、彼等が

「それが『文字』でさえなければ、正確にその『形』を自らにインプットし、正確にその『形』をアウトプット出来る」

という事を意味していると同時に、私に1つの素朴な疑問を抱かせます。

仮に彼等が「文字」を「文字」としてではなく「形」として認識する事が出来たとしたら、彼等のディスグラフィアはどうなるのか?

という疑問です。


彼等のディスグラフィアを改めて素人なりに考えてみると、彼等のディスグラフィアは「文字」を「文字」として認識した状態で字を書こうとしているからこそ、その特性が顕れるのだろう、という点に立ち返ります。

この一見すると至極当たり前のように思える点を再確認しておく事は、実は極めて重要な事に思えます。

何故なら、その対象が「文字」ではなく「形」でさえあれば、彼等は驚異的なまでに正確にその形を再現出来るのですから。


私がこれまで見聞してきた(極めて狭い範囲ではありますが)ディスグラフィアを持った人達に対しての所謂「字の練習方法」といった観点からの話というのは、基本的に、「文字」を「文字」として認識している状態のままどうにかしようとしているように、私には思えるのです。


だとしたら、何らかの方法によって、彼等に文字を「文字」としてではなく「形」として認識してもらう事が出来たとしたら、一体何が起きるのか?

この「何らかの方法」について私の立場から考えてみる事が、結果として皆さんに「文字」と「形」との垣根を越えてもらう為の手掛かりを見付ける事になるのではないか。

と、そんな事を考え続けています。

つまりは、以前書いた「脳の使われ方の違い」の回での話をいまだに考え続けているというわけです。


しかしこの話、本気で具体的に詰めていこうと思ったら、何処かの脳科学の先生にでも私の脳の使い方を調べてもらったり、LDの当事者さんにも本格的に協力してもらう必要があったり、といったものなので、結局は私1人の勝手な空想止まりの話なのですが(苦笑)

あ、でも、私の脳の使い方については調べてもらえたらと本当に嬉しいので、どなたか脳科学の研究をされている先生を御存知でしたら、紹介していただけませんでしょうか?

さて、この空想の続き、どこまで記事として書けるかどうか分かりませんが、もう少し考えてみたいと思います。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。
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2015年01月03日

ずっと考え続けている事

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お久し振りです。

このブログはすっかり放置してしまいましたが、その間にもブログの記事には出来なかったものの、色々な事を考え、無い知恵を絞って悩み続けたりもしていました。

その中でも最も私を悩ませ続けたのは、文字認識と図形認識についての問題です。

これについてはこのブログでも以前少しだけ触れた事がありましたし、

「字を『文字』としてではなく『形』として見る」

という事については何度もお話してきました。

しかし私自身、この辺りの問題を度々皆さんに話しながらも、今一つしっかり伝えてきれていないような感覚がずっと付いて回っていて、何だかすっきりしませんでした。

それはこのブログに限った話ではなく、普段の教室でも同様でしたし、実は今も全く変わりません。


この問題、私自身の感覚としては、

「字を見た瞬間から文字認識と同時に図形認識の回路が働いている」

もしくは、

「基本は図形認識先行で、それを『読もうとした時』に、後から文字認識の回路がつながる」

といった感じなのですが、この感覚、皆さんにはなかなかピンときてもらえないようです。

何しろ私の場合、いつの間にやら無意識のうちにやってきた事なので、それを改めて言葉で説明しようとすると、丁度「どうやって呼吸しているのか説明してください。」と言われているのと同じようなもので、「え〜と、ちょっと待ってくださいね(汗)」といった感じになってしまいます。


が、「説明出来ません」と開き直ってしまうわけにもいかないので、どのようにしたら皆さんがこの文字認識 と図形認識との間の垣根を越えて、「文字」と「形」とを自由に行ったり来たり出来るようになるのか?

その為の明確な方法論を何とか構築出来ないか?

などと、それこそ無い知恵絞って考え続けているわけです。


結論から言えば、未だに答は見つかっていません。

ですが、ヒントとなりそうな事が幾つか見付かりつつあるのも確かなので、諦めずに考え続けたいとも思っています。


と、これで終わりにしてしまってはせっかく久しぶりにアップしたというのにあまりにもあんまりなので、私の中でヒントになりそうな事の1つを挙げてみようと思いますが、このネタ、黙って勝手に流用したりしたら本気で怒りますからね(笑)

というわけで今回はここまで、前振りで終わりです。

大丈夫、この話の続きはちゃんと用意出来ていますから、このまま放置なんて事にはなりません。

それではまた。

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2014年02月14日

「正しい字」の不思議

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私は普段教室で小・中学生も教えていますが、その手本を書く際、「正しい字」で書かなければいけません。

「そりゃそうでしょ」

と皆さん思うでしょうね。

ところがですねぇ。


実はこの「正しい字」というのが曲者なんですよ。


この場合の「正しい字」というのはあくまで「学校のテストで間違いなく〇をもらえる字」という意味です。

ところがその「正しい字」の内容たるや、字の成り立ちや書体・字形の変遷など一切無視した(としか思えない)、統一性のかけらも無いような摩訶不思議なものだったりするのです。

まぁ、結局のところお役所が決めたものですから、そんなものなのでしょうが、「それにしてもさぁ」なのです。

専門家の偉い先生だって携わっているのでしょうに、どうしてこんな事になってしまったのでしょうか?


基本的には私自身が小学生の時に学校で教えられた字を書いていれば大丈夫なんですが、私の思い込みで

「えっ!?そうなの?知らなかった(汗)」

という事が時々あるので、子供の手本を書く時にはこんな本を使ったりして確認しながら書いています。

小学生の新レインボー漢字読み書き辞典 第5版 [単行本] / 矢澤真人 (監修); 学研マーケティング (刊)

特に私のように長い間書を学んできた人間の場合、古典に出てくるような字形が染み付いていますから、知らないうちに「学校のテストで×になってしまう字」、つまりは「正しくない字」を書いてしまう事があるのです。

子供の手本でそれはまずいですよね。


例を挙げ始めたらキリがないのですが、先ずは漢字(楷書体)で例えば「天」の1画目と2画目の横画の長さについて。

「正しい字」では長いのは1画目という事になっています。

ところが、試しに何でも良いので書の字形字典を引いてみてください。

そんな字どこ探したって出てきません。(どれもこれも長いのは2画目です。)


他には例えば木偏、牛偏、手偏。

これらの中で、縱画の最後をはねなければならないのは手偏だけ、と学校では教わります。

しかし、これまた字形字典を引けば分かりますが、木偏も牛偏も元は殆どの場合はねてたんです。

手偏だけが「はねないと×」で、木偏や牛偏は「はねたら×」って何故ですか?


摩訶不思議な話は漢字だけではありません。

「う」「え」の1画目は止めます。

でも、「ふ」の1画目ははねます。

「う」「え」の1画目を「とめるべし」としておきながら、「ふ」の1画目は「はめるべし」とする理由、私にはまるで分かりません。


「こ」の1画目ははねます。

でも、「た」の3画目や「に」の2画目はとめます。

意味が分かりません(笑)


このように様々な箇所で(私にとっては)意味不明な正誤基準が存在するのです。


以前、この辺りの事情を知っている方と少しお話をさせて頂く機会がありましたが、どうやら現場(学校)からの「これはどっちが〇でどっちが×なのか、はっきりして欲しい。(でないとテストの採点時に困る)」という声に対して、その場毎に場当たり的な対応を繰り返してきた結果、今のような状態になってしまった、というのが真相のようです。


勿論文部科学省でも、ここで取り上げたような字形の許容範囲については、文字の持つ記号性を著しく損なう場合は別として、概ね認めています。(興味のある方は詳細な答申書がありますので御自身で検索して御一読を)

しかし実際の教育現場では、「う」や「え」の1画目は「とめるのが正しい字」として、「ふ」の1画目は「はねるのが正しい字」として教えている場合が殆どなのでしょうし、実際私の息子が使用している国語の教科書や、某大手通信講座の教材でも、この区別を明確にするべきものとして、内容が作られています。


私は何も「う」の1画目は絶対にはねるべきだ、とか言いたいのではありません。

現場の声として、はっきりとした正誤基準が存在していないと教えようがない、というのもよく分かります。

ただ、その正誤基準そのものが、あまりにも滅茶苦茶ではありませんか?

と言いたいのです。

個人的な本音としては、例えば「う」「え」の1画目ははねた方が自然に思えるんですが、「とめるべし」と言うならそれでもも構いません。

但し、それなら「ふ」の1画目も「とめるべし」とするべきでしょう?

仮に息子に「どうして『ふ』の1画目だけははねなきゃいけないの?」と訊かれても、私はその質問に対し、自分自身が納得した上で答える事など、とても出来ません。

皆さん、おかしいと思った事ありませんか?


と、この辺りの話、本当にネタは尽きないのですが、書いていて段々腹が立ってきた(愚痴の度合いが増えてきたともいう)ので、この辺で強制終了としておきます。

気が向いたらもう少し、別の回で別の例を挙げて書いてみたいと思います。


今回はいつにも増して話が散らかったままで申し訳ありませんでした。

それではまた。

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2014年02月12日

手も足も出ない事の前に

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確定申告の準備で脳が沸騰中です。


普段教室で書を教えている時、時々思う事なのですが、皆さん「出来ない事をやろうとし過ぎ」のように感じます。

「出来ない事が出来るようになりたい」と思う事自体は所謂「向上心」として当たり前の気持ちですし、特に問題などありません。

問題は、「現時点で手も足も出ない事」にとらわれ過ぎてしまう、という事にあるように思います。


ひと言で「出来ない」と言っても、実はその中身は色々なわけで、

「10回やろうが100回やろうが出来ない」

つまり成功率0割という事もあれば、

「10回中2、3回しか出来ない(つまり成功率2〜3割)」

という事もあります。

「手も足も出ない」という状態は言うまでもなく前者ですが、私から見ると皆さんこれにとらわれ過ぎてしまう事で、必要以上に「出来ないよ〜」と嘆いているように思えるのです。


「手も足も出ない」というその原因を大きく分ければ、「そもそもやり方が全く間違っている」か、「まだその段階まで達していない」か、といったところだと思いますが、そのどちらであるにせよ、問題は「その判断が自分自身では出来ない」という部分にあるわけで、その意味ではこのブログでよく出てくる話が、やっぱり今回もポイントなのではないでしょうか。


「やり方が全く間違っている」という場合、あなたが誰か先生に教わっているのなら、当然その先生が間違いを指摘してくれるはずですから、あとはその指摘を素直に聞くだけなので、ここでは触れません。

独学の場合、その間違いを指摘してくれる人がいないのですから問題は極めて深刻ですが、これについてもこれまで度々繰り返してきたので、やはりここでは触れません。


今ここで考えてみたいのは、

「まだその段階まで達していない」

という状態です。


私の考えでは、書の上達というのは(例えば鉄棒の逆上がりのように)ある日突然出来るようになる、という類いのものではありません。

少しずつ少しずつ前進し、ふと気付いて後ろを振り返って見たら

「知らないうちに随分進んできたんだなぁ」

と感じるような、そんな世界です。

つまり、逆上がりのように自分の上達をはっきりと自覚する「区切りとなる目安」が無いのです。(この辺りの話も以前「思い違い。その2」の回で縄跳びの二重飛びの例を挙げて書いています。)


この事を再確認してください。


「区切りとなる目安」が無いという事は、自分がどのような段階にいるのかを自分自身で判断する事が難しい、という事を意味します。

この判断を誤ると、結果として、「手も足も出ない」事に拘り続けてしまう、という状態に陥ってしまうのではないでしょうか。


一方で今の自分を再度客観的に省みると、成功率5〜6割、といった要素も、実はいくつもあるはずなのです。

先ずやるべきなのは、そういった「手が届きかけている領域」にある要素の成功率を上げる事ですよね。

それらの成功率を、10割とは言いませんが、8〜9割、つまりは「意識しておけば大体いつも大丈夫」、という状態にしておく事が肝心なのではないかと思うのです。

そういった「成功率8〜9割の要素」を1つずつ増やしていく事が全体的な底上げにつながり、その底上げがあってこそ初めて、それまで全く手も足も出なかった事が成功率2〜3割という領域に少しずつ少しずつ入ってくるのだと思います。


今回の話、それまでとは違った「新しい指摘」を受けた後には特に注意が必要です。

皆さん新しい指摘を受けた後というのは、どうしても意識がそれにばかりむいてしまいがちですが、そもそも新しい指摘というのはそれまでの事柄が前提となってこそ初めて意味を持つものなのであって、

「新しい指摘にばかり意識が向いて、それまでの事柄が意識から抜けてしまって疎かになっている」

というのでは、先に進むどころではありません。(この辺の見極めは本来指導する側の責任ではありますが。)

先に進むどころか、新しい指摘が「手も足も出ない事」としてドンッと目の前に置かれてしまったような気分になるだけです。

これではいけません。


自分でも気が使いないうちに、「手も足も出ない事」換言すれば「今はまだ手も足も出さなくて良い事」に振り回されている、なんて事にはなっていませんか?

普段の自分を振り返ってみて頂けたらと思います。

それではまた。

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2014年01月30日

上達した結果

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先日妻に教わって知ったのですが、なんでも昨年は「美文字」なるものが流行っていたそうで。(流行りものにはまるで疎いのです。)

まったく残念な事をしました。

もっと早く知っていれば、私もその波に便乗して

「じぇじぇじぇ!?これが美文字への最短距離!これであなたも女子力アップで倍返し!いつ始めるの?今でしょ!」

とかなんとか言って、ひと儲け出来ていたかもしれません(出来るかっ!笑)

まぁ、字を書く事に興味を持つ人が少しでも増えたのなら、それはそれで素直に嬉しい事だと思いますから、これ以上ひがむのは止めにしておきしょうね。


ところで、美文字に恋い焦がれた人達にも当てはまる話を1つ。

皆さん書を習い始めた時、きっと、大雑把に言えば「上手になりたい。」と思って始めましたよね。

御自身ではなく子供に習わせる事にした場合などは尚更、「上手になって欲しい」と思ったでしょう。

至極当然です。


さて、それではその「上手に」というのは、何を基準にした「上手」でしょうか?(何も難しい話をしたいのではありませんので御安心を。)

ここでの「上手」というのは、「人に上手と思ってもらえるような字が書ける」という意味である場合が多い、というかそれが殆どのように思います。

これまた当然です。


ところが、このような考えにばかり偏ってしまうと、肝心な事がすっぽり抜け落ちてしまうような気がします。

それは「今の自分よりも上手になる」、つまりは「他との比較ではなく、自分自身に於ける上達」という観点です。


話を分かりやすくする為に、(あまり気は進みませんが)偏差値に置き換えて考えてみます。

ごく普通の字は「美文字偏差値50」、といった具合です。

同じ「偏差値を上げる」と言っても、元々の偏差値が30の人が70を目指すのと、50の人が70を目指すのとでは、やっぱり話が違います。

裏を返せば、努力の結果美文字偏差値が20上がったとして、元々が50だった人が20上がれば70になり、見事に「美文字達成!」となりますが、元々が30だった人は20上がってもやっと50にしかならず、「美文字まではまだまだ」という事になります。

この時、自分の期待がさっきの「上手と思ってもらえるような字が書ける」という基準にばかり偏っていると、一歩間違えると

「なぁんだ。せっかく頑張ったのにちっとも上手にならないや。」

という事になってしまいかねません。

これはとても残念な事だと思うのです。


元々美文字偏差値30の字を書いていた人というのは、持って生まれた造形に対する感覚が鈍かったりする場合が少なくないわけで(ごめんなさい)、その人が20上げて50の字が書けるようになるまでには、並々ならぬ努力と忍耐が必要だったはずです。

その結果、「とんでもない字」を書いていたものが「ごく普通の字」を書けるようになったというのなら、もっともっと素直に喜んで良いと思うのです。


今回の謂わば「期待外れ」という感覚は、子供を書道教室に通わせている親の立場になると、更にその傾向が強くなるように感じます。

「せっかく習わせてはみたものの、うちの子ちっとも上手にならない。」

というわけです。


しかし実際にはしっかり上達しているんですよ。

ただそれが、現時点では美文字偏差値70にまでは到達していない、というだけなのです。

にも関わらず、「ちっとも上手にならない」と切り捨ててしまうのでは、本人のそれまでの努力を全否定する事になってしまいます。

そんなの絶対にダメですよ。


そもそも「うちの子ちっとも上手にならない」と愚痴をこぼしている親自体、普段どれだけの字を書いているのか、という話ですしね。

自分の遺伝子を色濃く受け継いだからこその美文字偏差値30からのスタートだったりするわけですから、自分の字を棚に上げたままのあまりに過度な期待は子供が気の毒です。

自分の子供を書道教室に通わせている、という方はこのブログの読者には極めて少ないように勝手に想像していますが、もしもいらっしゃいましたら、今回の話、特に耳に留めて頂けたら嬉しいです。

それではまた。
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2013年12月11日

それが仕事となった時に求められるもの

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随分前にどこかの回で書いた事があるように思いますが(確認するのが面倒臭いだけというのは内緒)、私は書道教室で書を教える他にも、いけ花も教えています。

地元にある大きな神社に巫女さん達を主とした華道部があって、そこに月に3〜4回、教えに行っています。

その際、神社に併設されている結婚式場の中に数か所、花を生けるように頼まれていて、華道部での稽古の後に毎回生けて帰ってきます。

この神社での仕事が終わった後というのは教室での書の稽古があるので、時間的な余裕が殆どありません。

いけ花の稽古時間が押してしまうと、式場に生け終わって教室に着いた時には書の稽古開始時間ギリギリ、という事も少なくありません。


さて、このような時に問題になるのが、「スピード」です。


花を生ける際にいくらでもゆっくり時間を掛けられるのであれば何の問題もありませんが、実際にはそうはいかないのです。

先述のように書の稽古時間が迫っている事もありますし、結婚式場の都合で「今日はこの後にお客様がいらっしゃるので何とかこの時間までにお願いします。」という事も多々あります(ホントに勘弁して)。

つまり、短時間で生ける「スピード」が要求されるのです。


ところが考えてみれば、この「スピード」という要素、「花を生ける」という本来の能力とは関係がありません。

今は仮に「花を美しく生ける」という事がいけ花本来の目的だとしておきますが、その本来の目的からすれば、ゆっくりじっくり時間を掛けて生けようと、花を美しく生ける事が出来るのであれば、それで何の問題もないはずです。

が。

実際にはそうはいかないのが現場の現実なのです。


話は書でも同様です。

例えば、教室で生徒や弟子の見ている目の前で手本を書くような場合、1枚の手本を書くのに5枚も10枚も失敗した挙句に漸く書き上げる事が出来た、などという事では話になりません。

1枚の手本を書くのに妥当な時間というのは一概に規定出来るものではありませんが、書いている姿を含め、それが生徒や弟子への手本として考えるのであれば、「このように書けるようになるのが目標ですよ」と言えるだけの内容を、時間的要素も含めて目の前で1発で提示出来なければなりません。

今夜のうちに条幅の手本を30枚書いておかなければならない、というような場合でも、30枚の手本を書き上げるのに50枚も100枚も書かなければならないようでは、30枚書き上がる前に夜が明けてしまいます。

これでは現実問題として仕事になりません。


趣味としてであれば、どれ程時間を掛けてでも、その結果としてクオリティの高いものが出来上がればそれで良いでしょう。

しかし、それが仕事である以上、ある一定のクオリティを「いつでもすぐに」提供出来る必要があるのです。

換言すれば、厳しい時間的制約の中であろうと、しっかりとしたクオリティを間違い無く提供出来なければ仕事にならない、という現場の実情がある、という事なのです。

これは何もいけ花や書に限った事ではなく、世の中の様々な仕事でも同様なのではないでしょうか。


これまた以前どこかで書きましたが、私は今の仕事をする前に、(短い期間でしたが)パソコンソフトのシステムエンジニアやプログラマとして会社に勤めていた事があります。

そこで求められたのは、システム設計やプログラムに関する知識と技術がしっかりしている事などはあくまで大前提、その上で、極めて厳しい納期に間に合わせる事が出来るだけの「スピード」でした。

他の職種でも、「どうぞ好きなだけ時間を掛けてゆっくりやってくださいな。」などという悠長な現場などなかなか無いでしょう。

その意味では、私の仕事も、一般的には何だか呑気な稼業と思われがちのようですが、実は皆さんと何ら変わる事がないのです。


この「スピード」、話を書に限定すれば、皆さんがこのスピードという要素だけを表面的に真似しようとしてみたところで、全くの別物、ゲテモノまがいものにしかなり得ません。

このスピード、ゆっくりじっくりとした練習を気の遠くなる程に積み重ねていく中で、自分自身で確実に実現出来るスピードを徐々に徐々に上げていく、という方向性を見失わないように常に強く意識しながら、確実性と同時に少しずつ少しずつ獲得していくしか方法がないのです。

ゆっくりじっくり書いても書けない人間がスピードだけを求めてみたところで、それは只単に確実性を放棄した結果の「暴走」に過ぎません。

前回の話とも重なりますが、ここのところを思い違いしてしまう人が非常に多いので、今回の話も他人事とは思わず、日頃の自分を思い返してみて頂きたいと思います。


それではまた。

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2013年12月07日

未来の為に今すべき事

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お久しぶりです。

放置が続くこのブログですが、数年来通信添削を受けていらっしゃる方とのやりとりの中で「閉鎖する事も考えた」とついつい弱音を吐いたところ、先日励ましの御言葉を頂戴しました。

怠け者の私に、本当に有り難い事です。

その方の御気持ちに僅かながらでもお応えすべく、久々のアップです。


1年程前から、普段私が書を教えている教室に通っている男性(Tさん)の話です。

このTさん、一言で言うと、とてつもなくせっかちなんです。

とにかくまぁ、この1年間、私がどれ程「もっとゆっくり、もっとじっくり線を引きましょう。」と繰り返し続けても、どうしてもチャッチャカとせっかちに引いてしまいます。

教室で練習する時には、毎回のように私が一緒に筆を持って「このくらいの速度ですよ。」と、実際の速度感を体感してもらっていますし、私が目の前で見ている時には「まだ速過ぎますよ。」と注意されながら書くのでまだ良いのですが、少し目を離すとすぐに元に戻ってしまいますし、自宅で練習してきたものを見てみると、

「どうしてこうなっちゃうんだろう・・・」

と、思わず(心の中で)大きく溜め息をついてしまいたくなる程、チャッチャカせっかち具合が改善されません。

そして、この1年間、Tさんが言い続けたのが、

「ゆっくり引くと線が震えてしまう。」

という事でした。


当然の事ながら、私は最初から

「今は線が震えてしまう事は全く気にする必要はありません。と言うよりも、気にしてはいけません。どんなに線が震えても構わないので、とにかく今はゆっくりじっくり引く事を最優先させて下さい。これは形骸化したお行儀や作法などといった類の話ではありません。震えてしまう事を気にしてそんな引き方をしていたのでは、何年経ってもしっかりとした線が引けるようにならないからです。いいですね。最優先させる事柄を自己判断してはいけませんよ。」

といった話を繰り返し繰り返し、言う方の私もうんざりするほど続けてきたのですが、それにも関わらず、Tさんはいまだに

「ゆっくり引くと線が震えてしまうので、ついつい速く引いてしまう。」

と言います。


そんな事を1年間も繰り返されたら、こちらもしまいには

「んじゃ、もう好きにしてよ・・・」

と言いたくなるってもんですが(苦笑)、そこは仕事、グッと堪えて呑み込んで、

「今は線が震えてしまう事は〜〜」

というさっきのくだりを繰り返すのです。


こうなるともう、書の練習としてどうのこうのというレベルの問題ではないと思うのですが、まぁ、それも含めての仕事ですから仕方ありません。


そうは言うものの、こちらも月謝を頂戴しているからには、少しでも前に進んで頂かなければなりません。

何と言っても、本人は上達したいと思っているのですし、だからこそ、息子のような歳の私に叱られ続けながらも、辞める事無く通い続けていらっしゃるのですから、それにお応えするのが私の務めでしょう。


そこで先日、

「今からする話、これまでにも何度も同様の事をお話させて頂きましたが、ここで敢えて苦言を繰り返します。もしも気分を害されましたら何卒お許しください。」

と前置きしてから、次のような内容の話をしました。


教室に通っていらっしゃる皆さんは、それぞれが自分なりに「字が上手になりたい」「上達したい」と思って教室に通っています。

それは言ってみれば、3か月先、半年先、1年先、という未来の自分が「こうなっていたい」と思う事に他なりません。

とすれば、「今現在の自分」がイメージする「未来の自分」に少しでも近づく為に、

「今すべき事」

があるはずです。

その「今すべき事」が自分で正しく判断出来るのであれば、時間とお金を使ってまで教室に通う必要などありません。

その判断がつかないからこそ、それを見極めてもらうためにこそ、専門的な知識や技術を持った私のところに通っているのであるはずです。

ところが、「線が震えるから」と言ってゆっくり書こうとしないのは、私の判断を無視したまま、全く何のあてにもならない自己判断に依ったまま、つまりは自己流に書いている、という事であって、そんな事で結果としての上達が付いてくるはずがありません。

実際、1年経った今でも同じ事を繰り返し続けているだけではありませんか。


「今の自分」(つまり今のTさん)が「ゆっくり引くと線が震えてどうにもならない」などという事は、私もよくよく承知しています。

だからこそ、「今はそれを気にしてはいけない。それよりも大切な事があるのだから。」と言い続けてきたのです。

「そっちではありません。こっちですよ。」と言い続けてきたのです。

にも関わらず、「今の自分」の判断を優先させて自分のやりたいようにやってしまうという事なら、その先に、「今の自分」がイメージしている「未来の自分」などいるはずがありませんし、「今の自分」の誤った判断に「未来の自分」までも道連れにしている、という事になります。

その事、お分かりになりますか?

お分かりになった上で、それでも自己判断に依るのでしたら、私はそれ以上何も申しません。

但し、結果としての上達を求められましても、正直申し上げて私も困りますので、その点は御理解下さい。



いや〜、重いですね〜(苦笑)

苦言も苦言、早い話が最後通牒ですから、私だってこんな話はしたくありませんでしたよ。


そもそも桁外れにせっかちなTさんですから、そんなTさんが筆を持てばやっぱりせっかちに書いてしまうわけで、線の引き方というのも、実のところそれが表面上の行動の1つとして顕れているに過ぎません。

ですから「人格変えなさい」と言われても無理なように、本質的にはどうなるものでもないのですが、それにしても、という話なのです。


未来の自分の為に今の自分がすべき事。

それが具体的に分かっていながらそれを実行しようとしないのなら、結果として、今から1年後も今の自分と何1つ変わる事などありませんし、変わるわけがありません。

その結果を自分で引き受けるのなら、それで自分が納得しているのなら何の問題もありませんが、「結果だけは欲しい」、というのでは、あまりに図々しいのではありませんか、というのが私の考えなのです。


今回の話、「随分と大袈裟だな」と思う方もいるでしょうが、他人事として済ませてしまわずに、少しでも自分に引き付けて考えて頂けたら、と思います。


それではまた。

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「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

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2013年10月06日

脳の使われ方の違い

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お久し振りです。

最近考えている事があります。

なかなか頭の中でその考えがまとまらないのですが、見切り発車で書いてみます。


皆さんも聞いた事があるかと思いますが、人間の脳は場面によって働く場所が違うのだそうですね。

今までそういった話を聞いても、

「へ〜、なるほどね〜。」

くらいにしか思っていなかったのですが、ある時ふと、

「あれ?これって実はかなり重要な話なんじゃないの?」

と考え始めました。


脳の働き方の詳細については私に分かるわけありませんからバッサリ割愛しますが、文字や言語を扱う場所と、図形や空間を扱う場所とは違う、つまり脳の使われ方が違う、という事だけ覚えておいてください。


文字・言語認識と図形・空間認識とでは脳の使われ方が違う・・・


う〜ん・・・



もしかして・・・



もしかすると・・・





私と皆さんとでは、

「そもそも脳の使われ方が違うんじゃないかい?」

と、最近思い始めたのです。


私は以前から、

「字を『文字』としてではなく『形』として見てください。」

と言い続けてきました。

これはこのブログだけではなく、普段の教室でも同じです。


皆さん例えば手本を見ながら真似して書こうとする時、どうしても手本を「文字」として見てしまうため、なかなかうまくいきません。(これについての詳細はここでは繰り返しません。)


これも以前どこかで書いたような気がしますが、私が教室で人に書を教え始めた頃、多くの(殆どの)皆さんが手本を「形」としてではなくどうしても「文字」として見てしまうのだ、と気付いた時の私のショックは非常に大きなものでした。

その時まで、私自身は自分が手本を「形」として見ているという事など全く意識した事がありませんでしたし、私にとってはそれが当たり前と思う事すら無い程に当たり前の話だったからです。


その(私にとっての)衝撃的な事実を知ってから、私は常にその事を強く意識しながら教えるようになったのですが、今度は、何度も繰り返し指摘し続けているのに皆さんがどうしてなかなか「形」として見る事が出来るようにならないのか、その理由がさっぱり分からずに悩むようになりました。

「何度言ったら分かるんだ?教え方が悪いのか?それならどうすれば?でもそれにしても・・・」

といった感じで、随分悩みました。


結局、理由は分からないにしても、とにかくどうしても「文字」として見てしまうのなら、「形として見ましょう」と繰り返し言い続けるしかないんだろう、と思うようになったのです。

と言うか、白状すると、皆さんがどうしても「文字」として見てしまう理由が分からないまま、これまでず〜っとやってきたのです。


しかし、仮にその理由が脳の使われ方自体の違いにあるのだとすると、何だかすっきり納得出来るような気がします。

西洋の人と日本人とでは、秋の虫の音を聞く時の脳の使われ方が違う、という話を聞いた事がありますが、

「それと似たような事なのかなぁ。」

と思ったりしているのです。


本人の意識とは別に、脳が「文字」として認識してしまう、という事なのであれば、仕方がありませんものね。


とは言うものの、これは教える側にとっては厄介ですよ。


だって

「ほらまた!脳の使い方が違うでしょ!」

などと言ってみたところで何の解決にもなりませんから。


少しネットで調べてみましたが、この辺りに着目した体系的な練習方法というのは今のところ無いようです。

勿論、この辺りの事にとっくに気付いている人もいるようですが、その方法論は私を納得させ得るものではないようです。

世の中に無いのなら、自分で考えるしかありません。


というわけで、最近

「どうにか出来ないものか・・・」

と、あれこれ考え続けているのでした。

方法論としてもう少しまとまったら、ここでもお話してみたいと思います。

それではまた。(って、具体的な内容は一切無しかいっ!)

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2013年02月10日

イケメン福笑い?

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正月が来たかと思ったら早くも節分立春が過ぎてしまい、年明け早々に書き始めたはずのこの記事も既に思いっきり時期外れなのですが(汗)、皆さん「福笑い」って御存知ですよね?

顔の輪郭だけ描かれた絵に、目・鼻・口等のパーツを目隠しをして並べる、というあれです。(「福笑い」って実は全国共通ではなかったりしますか?その前に若い子は「福笑い」自体を知らなかったりして・・・)

今回はその「福笑い」についてです。


「福笑い」の目・鼻・口等のパーツですが、今回先ずはこれらのパーツをイケメン俳優の目・鼻・口から採ります。(美人女優でも勿論OK。)

単に採るのではありません。

洋の東西を問わず、数々のイケメン俳優達の中から、「これぞ完璧!!」というパーツを厳選に厳選を重ねて選び抜きます。

大変な手間をかけイケメン俳優達から厳選したパーツは、それぞれパーツとしてはまさに完璧、誰もが羨む完全無欠なパーツ(どんなの?)です。

さぁ、「福笑い」を始めましょう。

何と言ってもパーツはそれぞれ完璧なのですから、それらを駆使すれば、たとえ「福笑い」と言えども、イケメン俳優達に勝るとも劣らないイケメン君が出来上がる事は結果を見るまでもありません。

イケメンパーツの威力は絶対なのです!!


・・・って、ホント?

ウソウソ、そんなの嘘です。

絶対にイケメン君が出来上がる、なんてそんな事、断言出来るわけがありません。

なにしろ「福笑い」なのですから、十中八九パーツの配置はバラバラです。

イケメン君どころかまともな顔にすらなってくれない可能性の方が遥かに高いでしょう。

結果、完全無欠なパーツも台無し、パーツ選択の手間も徒労に終わってしまいました。

あ〜あ・・・


さて、気を取り直して2回目といきましょう。

今度は各パーツをイケメン俳優のものからごく普通の一般人から採った、ごくありふれたもの(これまたどんなの?)に交換してやってみます。

さっきのように厳選したりせず、とにかく「これでどうかな」といった感じで選びます。

さぁ、再度挑戦です。

但し、今度は目隠しをしません。

「それじゃ福笑いにならないだろ。」

という意見は今は無視しますよ〜(笑)

目隠しをしないのですから、全体をよく見ながら各パーツを配置出来ます。

当然の事ながら、各パーツはきちんと収まるべき位置に収まる事になり、先程のイケメンパーツを駆使したにも関わらずバラバラになってしまったものよりも、ずっとずっとしっかりした顔が完成しました。(イケメン君にこそなりませんでしたが)

完全無欠だったはずのイケメンパーツ、惨敗です。


さて、前振り長過ぎですが、実は皆さんが書く時もこれと似たような事が起きているんです。(ここから無理矢理に話を書にもっていくのがこのブログ)

これまでこのブログでは、

「枝葉末節にばかり囚われないようにしましょう。」

といった内容の話を何度かしてきましたが、この話、今回の「福笑い」に置き換えてみます。

「このはねが失敗した(汗)」

「ここのはらいが駄目(泣)」

といった感じで、部分部分の細かいところにばかり気を取られ、ついつい全体像に対する意識が抜け落ちてしまう。

結果、書き上がったものは字形がガタガタ。

もうお分かりでしょうが、これはイケメンパーツを使いながらも結局はバラバラな顔になってしまった最初の場合と同じ状態です。

福笑いでは、パーツをイケメンパーツにする事にばかり気を取られても全体のバランスがバラバラなのではまともな顔になりません。(そんなバラバラな顔を見て楽しむのが福笑いなのですから。)

書の場合もそれと全く同様で、細かい部分にばかり気を取られても駄目なんですね。

「細かい部分などどうでもよい」と言いたいのではありません。

「それだけでは駄目ですよ。」という話に耳を傾けて欲しいのです。


厳しい言い方になりますが、皆さんがどれ程にパーツに拘泥してみても、その結果として得られるパーツの精度には限界があります。

私なりのいつもの言い方をすれば、総合力が上がらないままに細部の精度だけ上げようとしても、どんなにイケメンパーツを目指してみても、それはそもそも無理なんです。

早い話が書の場合にはイケメンパーツを揃える事すら出来ない、という事なのですから、今回の福笑いで言えば2回目の場合のように、

「パーツはごくありふれたもので構わないから全体像に気を配る」

という意識を持って欲しいのです。

実際には皆さんの場合どうしてもパーツの方にばかり意識が向いてしまいますから、努めて、全体像への意識を強く持つように心掛ける必要があります。


実は更に前段階として

「パーツの方にばかり意識が向いてしまっている、という事に本人が全く気付いていない。」

という根本的な問題があるのですが、それについてはこの記事を読んで自省して頂けたとして、バッサリ省略します。(「書くのが面倒臭いだけだろ。」とか言わないの。)


意識のバランスを具体的に言えば、全体8割パーツ2割くらいのバランスをイメージしてみてください。

「え〜!?8割ぃ?そんなに全体像の方に片寄っちゃって大丈夫なの?」

と思うかもしれませんが、実際にはそのくらい極端に意識しておいて丁度良いと思います。

でないと、皆さん書き始めるとまたすぐにパーツの方にばかり意識が片寄っていってしまいますから。


そうやって全体像を強く意識し続けていくと、徐々に

「この全体像を実現するためにこそのこのパーツ」

という、パーツの本当の意味での重要性や、

「このパーツがあるからこそのこの全体像」

という、パーツと全体像の切っても切れない関係性、といった部分が見えてくると思います。

そういった部分が見えてきてこそ、パーツの精度を上げる事も可能になるのですね。


というわけで、今回は時期外れの福笑いを使って考えてみました。

それではまた。

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2013年01月01日

謹賀新年

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新年明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い申し上げます。

昨年中は殆ど放置しっぱなしに終わってしまったこのブログでした。

苦労自慢は本意ではないので詳細は省きますが、まぁとにかく、これでもかこれでもか、と次から次に事前予測不可能な厄介&深刻な問題が起こり、心身ともにズタボロになってしまい、正直な話、とてもではありませんがブログになど手を付ける余裕がありませんでした。

一時はブログの閉鎖も考えましたが、検索からの訪問数を見ますと、こんなブログでも多少なりともお役に立てているようにも思え、ついついそのままになってきました。

検索からの通りすがりの方を含め、せっかく訪問していただいた皆さんに、「なぁんだ。放置ブログか。」と思わせてしまった事が残念で、何とかアップしたかったのですが・・・


そんな私の今年の目標は、ブログのアップではなく、ブログがアップ出来るような日常を少しずつでも取り戻す、という事にしたいと思います。

皆さんにとって、今年が平穏な年でありますように。


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