2010年01月05日

針切

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皆さん、新年明けましておめでとうございます。

今年も「のんびり」いきますので宜しくお願いします。

昨年の最後に書いたとおり、昨年の後半はアップをサボり過ぎました(汗)

今年はアップ率を上げられるように頑張りたいと思います。

とか言いながら、早くも年明けからサボり癖が出そうですから(苦笑)、その前に早速いきましょう。


今回は「臨書のすすめ 仮名」で『針切』です。

テキストは今回も二玄社『日本名筆選』を挙げておきます。


さて、仮名の場合、初学者の多くがぶつかる壁の一つとして、古筆の原寸大臨書の難しさという事があるように思います。

何もややこしい話をしたいのではなく、早い話が、「なかなか古筆と同じ小ささや細さで書けない」という初歩的問題です。


これは実際には単なる練習による慣れの問題なのですが、

「とにかく慣れなさい!」

と言うだけではさすがに少々不親切ですよね。


そこで紹介するのが今回の『針切』です。

この『針切』、名前の如く細い筆線が特徴で、その線は只単に細いだけではなく、とても「鋭く強い」ものです。

この「強く鋭い」という点こそが、『針切』が「針のように」と呼ばれる所以でしょう。


更には他の古筆と比較しても字粒がとても小さいので、この『針切』を学ぶ事によって原寸大臨書に於ける「古筆と同じ小ささや細さで書けない」という問題に対しての集中的な練習が出来るのではないかと思うのです。


とにかくその字粒の小さい箇所は徹底的に小さいですし、筆線も細い箇所は徹底的に細いですから、原寸大臨書をやった事のないような人にとってはこの小ささや細さを再現しようとする事はかなりの難題でしょう。

難題なだけに「良薬口に苦し」といった感じで効き目もあるとは思いますが、古筆中いきなりこれをやるのは正直なかなか厳しいかとも思いますから、古筆の原寸大臨書をやった事のない人は、これまでこのブログで紹介してきた他の古筆を先にやってからの方が無難かもしれません。


字粒の小ささからくる結果として生み出された運筆のリズムは非常にリズミカルで、例えば『高野切第三種』の「のびのびとした」というような感覚とは少々異質です。


これまでこのブログで紹介してきたような古筆で線の強さについて充分に鍛えてきた人であれば、その上でこのリズム感を体得する事は技術の幅を拡げる事に繋がりますが、その反面、注意すべき点もあります。

字粒の小ささについて言えば、小さいが故に筆の動かし方まで指先だけを使ったようなこじんまりとしたものになってしまう恐れがありますし、線の細さについて言えば、その細さの再現ばかりに気をとられて、只単に細いだけのヒョロヒョロとした弱い線になってしまいがちです。


いずれもそれに気付かないままでは「良薬」どころか悪癖を付けるだけになってしまいますから、充分に留意しておく必要があります。

先程「いきなりこれをやるのは正直なかなか厳しい」と言ったのは、その辺りの事も含めての話です。

只単に「小さく細い」だけなのではなく、「鋭く強い」ものであるという事を決して忘れないようにしましょう。


この『針切』を充分やってから、例えば先程触れた『第三種』をやり直してみると、線の細さについての苦労が消えているはずですし、『第三種』が持つ「のびのびとした」といった感覚も改めて実感出来るのではないかと思います。

そう感じる事が出来るようになる日を楽しみにしながら、この『針切』に取り組んでみて下さい。


今回はここまで。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

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2009年07月10日

高野切第二種

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今回は久しぶりに「臨書のすすめ 仮名」といきましょう。

今回紹介するのは、『高野切第二種』です。

テキストは今回も二玄社『日本名筆選』を挙げておきます。


「臨書のすすめ 仮名」ではこれまでに高野切の『第一種』と『第三種』については既に紹介済みですが、『第二種』をすっかり忘れたままだった事に気が付きました(笑)

言い訳をするようですが、『第二種』を後回しにしたままになってしまったのにはそれなりの訳があります。


この『第二種』、これまでここで紹介してきたものと比較すると、非常に癖のある字なのです。

「臨書のすすめ」は「特異なものは後回し」という方針ですから、癖のある『第二種』も後回しにしていたのでした。


「癖」と言うと言葉が悪いかもしれませんから「特徴」としておきましょうか。

最大の特徴は、字が右に傾いている、という点でしょう。

とにかく殆んどの字が右に強く傾いていますから、例えば『第三種』をやった人がこの『第二種』を始めると、恐らく最初のうちは非常に強い違和感を覚えると思います。


その筆線は側筆の傾向が強く、時々独特の「揺れ」が混じります。

この点も『第三種』とは丁度対照的な特徴になるわけですが、側筆の傾向が強いが故に、初学者がこれを臨書しようとすると、右回りの動きの時などに筆がドスンとしりもちを付いたままの状態での線になりやすいので注意が必要です。

『第二種』は紙に対する筆の食い込みが強いのですが、しりもちをついた線では、『第二種』のそれとはおよそ正反対の全くの別物になってしまいますからね。


先程「初学者が」とは言いましたが、正直な話、初学者の練習にこの『第二種』はお薦め出来ません。

少なくとも、古筆の臨書をこの『第二種』から始めるという事だけは避けた方が良いと思います。

字が右に傾いているという点一つをとっても、仮名のオーソドックスな字形をマスターする前に、この『第二種』のような「特徴」のある字形の練習をしてしまう事は避けた方が無難だからです。


高野切の三種中、分量としてはこの『第二種』が最もあると思いますが、もしも三種全てを学ぶとしたら、この『第二種』は最後にすべき、というのが私の考えです。(因みに『第三種』『第一種』『第二種』というのが私の考える順番です。)


何だか悪口を並べたような感じになってしまいましたが、そうではなく、それ程までに特徴的な書であるという事です。

だからこそ本音としてはこの『第二種』はここでは紹介したくなかったんです(苦笑)

そもそも「臨書のすすめ」なのに「薦めたくない」なんて、おかしいじゃないですか(笑)


「そこまで言うのにどうして?」

と思うかもしれませんが、先ずは、『第一種』と『第三種』は紹介しておいて、『第二種』だけは触れずじまいというのも如何なものか、という単純な理由です(笑)


それから、今回ここまで書いてきたように、『第二種』は初学者が扱うにはある種の「危険」を伴う書ですから、独学者がそれとは知らずにこの『第二種』から古筆に入ってどっぷり浸ってしまう、というような事にはなって欲しくなかったからです。(もしもあなたに先生がいるのなら、「最初はこの『第二種』から」という事はまず無いはずです。)

仮名を学ぶ道程としてはやはり、これまでにここで紹介してきたようなものから始める方が順当だと思いますから、それらを十分に学んだ上で、この『第二種』に触れるのであれば、今回話してきたような「特徴」も、『第一種』や『第三種』には無い『第二種』ならではの魅力として、見誤る事無くあなたの目に写るはずです。


ですから慌てる事はありません。

『第二種』は暫くそのまま後回しにしておきましょうね。

というわけで、今回はお薦めしない「臨書のすすめ」でした(笑)

それではまた。

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2008年02月08日

寸松庵色紙

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今回は「臨書のすすめ 仮名」で『寸松庵色紙』です。

テキストは二玄社『日本名筆選』を挙げておきます。


以前『高野切第一種』の回で

「初学者の場合、仮名はこれをやれば充分」

といったような内容の話を少ししましたが、実際にはなかなかそうもいきません(苦笑)


仮名の場合、所謂「散らし書き」と呼ばれる技術がありますが、『高野切』や『粘葉本和漢朗詠集』には散らし書きが含まれていませんから、それらだけを臨書し続けても散らし書きについて学ぶ事が出来ないからです。


あくまで私見ですが、仮名の線や単体の字形、更には行の通し方や流し方といった、いわば自らの根底に準備しておくべき基本的要素については、『高野切』や『粘葉本和漢朗詠集』のように、散らし書きが無いものの方が適していると思います。

基本的要素をある程度身に付ける前から散らし書きをしようとすると、どうしても散らし方にばかり気が取られてしまい、基本的要素についての意識がおろそかになってしまいがちになるからです。


「先ずは散らさずとも見るに耐え得るだけのものが書けるようになる。」


という事を先決とし、その為の要素をある程度(どの程度か?というのが問題なのでしょうが、それについては割愛します。)身に付けおくという方が、結果として、散らし書きを学ぶ際にも効率良く学ぶ事に繋がると思います。


さて、この『寸松庵色紙』に限らず、散らし書きを学ぶ際に気を付けなければならない点があります。

それは、紙面全体に目を向ける、という点です。

これは

「散らし書きされていないものなら紙面全体は気にしなくても良い」

という意味ではありませんが、散らしていないものよりも遥かに高い意識を持っておかなければいけません。


その上で紙面全体がどのように構成されているのかを見るわけですが、その時、文字の書いてある部分は勿論の事、何も書いてない余白の部分に注意しましょう。

散らし書きとは換言すれば、余白、則ち何も無い空間をどのように形作るのか、という工夫です。

極端な言い方になりますが、文字の部分は余白の部分を形作る為の脇役である、というくらいの意識を持って丁度良いと思って下さい。


この事自体は何も散らし書きに限った話ではなく、たった一文字書く場合でも全く同じ話で、以前このブログでも少し触れた事がありました。(『書譜』の回参照)

散らし書きの場合、それが紙面全体で成されていると考えると良いかもしれません。

写真のネガとポジの関係に似ていますが、実はこの感覚は、書全般に関して極めて重要な感覚です。

これについては余り詳しく話すと本題がちっとも進まなくなってしまうので、近いうちにまた改めて考えてみましょう。


この『寸松庵色紙』、線質が『高野切』と比較すると柔らかいので、うっかりすると、線が弱々しかったり締まりがなかったりしてしまいがちなので注意しましょう。


様々な形の散らしが出てきますが、慣れないうちは同じ寸法の紙を用意して、一行をひとまとまりとした簡略な図にしてみると良いと思います。

全てのパターンを体に叩き込むというくらいのつもりでやっていると、そのうちに自分が書いている時にも

「ここでは位置が高過ぎる」

とか

「これでは行間が狭過ぎる」

とかいった感覚が掴めてきます。


「感覚」という言葉を使ってしまうと、ついつい詰めの甘い、悪い意味での「適当」になってしまう人が多いようです。

しかし、「感覚」というのは地道な積み重ねの結果として、いつの間にか少しずつ自分の中に蓄積されていくものであって、最初から自分の中に用意されているものではありません。

ここでの「感覚」とは、換言すれば「体感的審美眼」なのですから。


ですからここは極めて冷静に、努めて分析的な目で見て下さい。

ある仮名の大家のセリフではありませんが、定規、分度器、虫眼鏡、何を使っても構いません。

「寸分違わず」

という気持ちで取り組みましょう。


今回はここまで。

それではまた。

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2007年03月29日

高野切第一種

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また、お久しぶりのアップになってしまいました。

実は3月に入ってからのインフルエンザの流行で、家族が次々とかかってしまい、大変だったのです(汗)

やっと元気になったので、これからまたのんびりとやっていきますね。


さて、今回は「臨書のすすめ 仮名」として『高野切第一種』です。

テキストは今回も二玄社『日本名筆選』を挙げておきます。

それにしても、今は誰でも簡単にこれほどのテキストを入手出来るんですから、幸せですよね。

ある仮名の大家の若い時の話ですが、『関戸本古今集』に注目してはみたものの、良い本がなかなか見つからない。

困っていたところ、たまたま上京した際に立ち寄った神保町の古書店で、コロタイプの良い本を見つけた。

値段を聞くとびっくりするような値段だったのだが、上京中でたまたま手持ちがあったので、それを全額はたいて入手した。

それ以来、『関戸本』一点張りになった。

といったような話をしていた事がありました。

今の我々は拓本にしても古筆にしても、いとも簡単に優れた影印本を入手出来てしまいますが、その分、その本に対する思い入れが希薄になってしまっているように思います。

こうなると何が幸せなのか、分かりませんね。


話を戻しましょう。

これまでこのブログ中、仮名では、典型として『粘葉本和漢朗詠集』『高野切第三種』を取り上げてきました。

仮名の典型という意味では、今回の『高野切第一種』は、それら二本を遥かに凌ぐもので、これ以上のものはありません。

仮名の典型といったものを想定した時、その全ての要素を含んでいると言っても過言ではないでしょう。

一般的な学書者の場合、極論をすれば、この一本をとことんやり通せば、仮名については一生それで充分なのではないでしょうか。


『粘葉本和漢朗詠集』や『高野切第三種』と比べて、墨継ぎによる墨色の変化や、線の太細、空間の粗密など、非常に変化に富んでいます。

しかもその書格は極めて高い。

正に仮名の中の仮名と呼ぶべき一本でしょう。


さて、臨書する際の注意点ですが、先述のように、この書は色々な意味で変化に富んでいます。

見ているだけならこれらの変化はとても嬉しいものなのですが、いざ臨書するとなると、変化に富んでいる分だけ困難になります。


初学者が最も注意しなければならないのは、線の太さの変化です。

特に太い線から細い線への変化、ここが一番の難所です。

細い部分になると急にヒョロヒョロとした力の抜けた線になってしまう。

という事になりやすいですから、注意しましょう。


このブログで紹介したとおり『粘葉本和漢朗詠集』と『高野切第三種』で線の強さをしっかりと鍛えてきた人であれば、ここに書いたような弊には陥らずに済むと思いますが、それ無しにいきなりこの『第一種』に取り掛かろうとする人の場合、余程注意しないと必ずヒョロヒョロになりますので、そのつもりで。

と言うよりも、書いた本人がいつまで経っても

「ヒョロヒョロとした力の抜けた線になってしまっている事に気付かない」

と言った方が正しいかもしれません。

そして、言うまでもなく、気付かないという事それ自体が何よりも大きな問題です。

いつも以上に客観的な視点を忘れないように注意して臨書しましょう。

この本の変化にきちんと付いていけるようになれば、これから後、どのような古筆にあたっても、手が付けられない程困り果てる、という事にはならない筈です。

慌てる事はありません。

じっくり取り組んで下さい。


今回はここまで。

それではまた。

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2007年02月22日

高野切第三種

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今回は話を「臨書のすすめ」に戻しましょう。

「高野切第三種」(以下「第三種」と記述します。)

今日はこれです。

テキストはいつもどおり二玄社『日本名筆選』を挙げておきます。


「え〜?第一種じゃないの?」

と思われる方も多いとは思いますが、敢えて「第三種」を先にします。


「第三種」は前に取り上げた「粘葉本和漢朗詠集」(以下「朗詠集」と記述)と同筆とされ、実際よく似ていますので、「朗詠集」をやった後であれば、何の違和感も無く取り組めると思います。


「朗詠集」の回での話とちょうど反対になりますが、この「第三種」の方が天地間をのびのびと使って書かれているので、連綿なども「朗詠集」で見られるような控えめなところがありません。

仮名としては右上がりが強めの部分があるというところが特徴と言えるかもしれませんが、全体的には非常に癖の少ない書です。

「癖の無い」という表現をしましたが、いつも言うとおり、一見単純に見えるものほど、その奥は深いものがありますので、くれぐれも甘く見ないようにしましょう。


特にこの「第三種」には、草書を含めてほとんど漢字が出てきませんので、

「何だか平坦でつまらない」

といった印象を持ってしまう人もいるかもしれませんが、それは自分の目が節穴である事を自ら証明しているようなものです。


この線の響きの凛とした強さはとても一朝一夕で出せるものではありません。

ここで鍛えた線の響きは、他の古筆を臨書するにしても、自ら創作するにしても、必ず役に立ちます。

と言うよりも、いっその事、

「それ無しには何を書いても全くの無駄だ」

と思い込んでしまった方が、今後の間違いが無くて良いかもしれません。

字形は「朗詠集」同様、仮名の典型中の典型とでも言うべきものですから、体に刻み込んでしまうくらいのつもりでいきましょう。


そもそも「癖が無い」とか「典型」とかいうのは、我々のような後の時代の人間が考えたセリフであって、当然の事ながら、この書が書かれた当時から「癖が無い」とか「典型」とか言われていたわけではありません。

「典型」というとすぐに、色々なものの中から最大公約数としての要素を抽出して再編成して組み上げた「当たり障りの無いもの」というようなイメージを思い浮かべてしまうのかもしれませんが、事実は全くの反対です。

数多ある古筆中、隅々まで見渡した上で、その中心で唯一無二の輝きを発するほどの書であるからこそ、「典型」となり得たのです。

もしもこの書を平凡とか退屈などと感じてしまうとしたら、見る側の目こそが平凡であり退屈なのだと思います。


さて、最初はやはり拡大した臨書から始めた方が良いでしょう。

いつもながらの話ですが、その方が微細な部分にまで目が行きやすくなりますし、自分の臨書の欠点にも気付きやすいですから。

言うまでもなく形臨です。

寸分違わず書けるようになるつもりで臨みましょう。


ある時、仮名の大家と呼ばれる先生が、

「定規、分度器、拡大鏡、正確に臨書する為になら何でも使え。」

と言ったそうですが、この話は決して大げさなものではありません。

そのくらいの意気込みで取り掛からなければ、いつまで経っても上達は望めません。


話は今回に限ったものではありませんが、仮名のように微細なものを原寸大で臨書する場合、最初のうちはテキストをコピーしたものをなぞり書きするのも有効な練習方法です。


「え〜!?なぞり書き?」

と思うかもしれませんが、初学者の場合、仮名のように微細なものを原寸大で臨書しようとしても、最初は同じ線の太さや字の大きさで書こうとするだけでも至難の業でしょう。

また、太さも大きさも全く再現出来ていないにも関わらず、自分では書けたつもりになっていて、その違いに気が付いていない、という場合も少なくないはずです。(この話に全く心当たりが無いと思っている人ほど、実は一番怪しいですから気を付けて下さいね。)


そこでなぞり書きです。

なぞり書きをすることで、原寸の太さや大きさをいち早く体で感じる事が出来るのです。


「なぞっていいのなら、誰にだって書けるでしょ」

と思ったあなた。

それは違います。

実際の話、書けない人はなぞってみたところで全く書けません。

悲しくなるほどに書けません(苦笑)


勿論、ある程度慣れるまでの練習方法なので、いつまで経ってもなぞり書き、というのでは困りますが、

「自分はこれまで随分と臨書を重ねてきたから」

と思っている人でも、やってみると新たな発見がたくさんあるはずですから、是非一度お試しあれ。


「第三種」は「朗詠集」に比べれば分量が少ないので、全臨するのにも比較的短い期間で出来るはずです。

一度や二度の全臨ではなかなか話になりませんが、まずは一度、じっくりとやってみましょう。


今回はここまで。

次回は何の話にしましょうか。

それではまた。

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2007年02月15日

和漢朗詠集の補足

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前々回、『粘葉本和漢朗詠集』を取り上げましたが、今日、自分でその記事を読み返してみたところ、誤解されてしまうような記述がありました。

以下の部分です。



「和様」「唐様」といったものを理解する為には、単純に「日本人が書いた書」「中国人が書いた書」というだけでは全く意味がありません。

日本人が書いても「唐様」は「唐様」です。



これを読むと、「唐様」という概念には中国人の書いたものと日本人の書いたものと、その両方を含むかのような印象を抱くかもしれませんが、実際は違います。

「唐様」を時代的狭義に規定すれば、

「中国明代の文徴明などの書風に倣って江戸時代に行われた書風」

というのが通常言われるところだと思いますが、

そこまで時代的に制限しなくとも

「中国人の書風を倣って行われた書風」

くらいに考えておいてもいいかもしれません。


中国から輸入された書が時を経て、日本人独自の美意識に基づいた書姿を見せるようになり、それが日本人の書として定着していくのは当然の流れですが、その流れの中にあっても尚、敢えて「中国風を倣った書を書こう」という意識を強く持った人達もいるわけです。

広義では、そのように書かれたものを「唐様」と呼んでいるようです。

「和様」に対しての「唐様」ですので、話はあくまで「和様」が定着した後のことです。


「『風信帖』をいくら臨書しても和様は理解出来ない」

といった記述もしました。

これは、「和様」をただ単に

「日本人が書いたもの」

と考えるのは間違い、と言いたかったのですが、分かりにくかったですね。


空海の時代は、少しずつ「和様」と呼ばれる書姿が生まれつつある時代です。

「和様」定着前ですから、彼の書が「唐様」と呼ばれることはありません。(仮にそのようなことがあったとしても、強い違和感を感じます)

しかも空海は、同時代の中国の中でも比肩し得る例を容易には見出し得ない程の書格を漂わせた書を書いた人です。

「本場仕込が本場を越えた」

と言ったところでしょうか。

ですから、空海が日本人だからと言っても、空海の書をいくら臨書してみても、和様は理解出来ないのです。


いずれにせよ、「和様」や「唐様」というのは、日本人が書いたものについての概念ですので、誤解された方がいらしゃったとしたら、申し訳ありませんでした。


自分の書いたものを後から読み返すと、時々冷や汗をかきますね(汗)

このようなことがないようになるべく気を付けます。


それではまた。

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2007年02月04日

粘葉本和漢朗詠集

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今回のテーマは『粘葉本和漢朗詠集』です。

このブログではこれまで、中国の漢字ものばかり取り上げてきたので、読者の皆さんの中には

「仮名は取り上げないのかな?」

「この人は漢字が専門なのかな?」

と思っていた方も多いかと思います。


書を学んだ事のない一般の人達から見れば、書の中に「漢字」や「仮名」といったカテゴリーが存在している事すら不思議な話でしょうし、ましてや「漢字が専門」などと言うと

「漢字だって仮名だって、書は書でしょ?」

と思う筈です。


私の場合、実際に展覧会に作品を出品するような時には漢字の作品の場合が殆んどですし、時間的に見ても漢字を扱っている方が長いので、その意味では

「漢字が専門」

と言えるのかもしれませんが、教室で人様に書を教える立場からすると、

「漢字しか書けません」

「仮名は出来ません」

というわけにもいきませんし、それこそ漢字だろうが仮名だろうが

「書は書」

ですから、自分の中で分け隔て無く、といつも考えています。


自分の好みや興味がどちらか一方に傾いてしまうのは自然な事だとは思いますが、それでも読者の皆さんも、

「自分は漢字だけ!」

「私は仮名一筋!!」

とあまり一途に決め付けてしまわない方がいいと思いますよ。

漢字も仮名も

「書は書」

なんですから。


前置きが長くなりましたが、今回は「臨書のすすめ 仮名」の1回目として『粘葉本和漢朗詠集』を取り上げます。

前置きの続きとして言えば、この書には漢字も仮名も含まれているので、その両方からの視点に立って見る事が出来ます。

「臨書のすすめ 仮名」として扱うのは便宜上の事ですのでそのつもりで。

テキストはとりあえず二玄社『日本名筆選』として話を進めます。


『和漢朗詠集』の写本として有名なものはいくつかありますが、書で扱う場合、先ず挙がるのがこの『粘葉本和漢朗詠集』です。

と言うよりも、書の世界では特に説明が無い場合、『和漢朗詠集』と言えばこの『粘葉本和漢朗詠集』のことだと思ってもらってかまいません。

以下『朗詠集』と記述します。


戦前戦後から現代にかけて活躍した仮名の大家達が異口同音に、

「文検対策にこの『朗詠集』をひたすら練習した。そのせいか、そのうち退屈なものに思えてきて『関戸本古今集』などに目がいくようになった」

といったような内容の話をしています。


時々、その言葉の表面だけを鵜呑みにして

「『朗詠集』は退屈なものなんだ」

と勘違いしている人がいます。

更には歪曲して

「やる必要などないんだ。」

などと思っている人までいますが、言うまでもなく、これは大きな誤解です。


「退屈なものに思えて」

なんてセリフは、退屈なものに思えてくるほどまでにやった人だからこそいえるセリフであって、我々凡人がそんな事を言ってはいけません。


この辺りの扱われ方は、ちょうど『九成宮醴泉銘』に似ているかもしれません。

一見すると何のことはないように見えても、少し本気でやってみれば、その凄さが嫌と言うほど分かる筈です。


漢字まで含めるとかなりの分量がありますので、余程本腰を入れてかからないと

「ちょっとだけ臨書してみたことくらいならある」

という結果に終わってしまいます。

頑張りましょう。


漢字については、中国ものの勉強ばかりしてきた人にとっては、最初は非常に強い違和感を感じるだろうと思います。

実は私自身もそうでした。

最初に見た時は

「何がいいんだろ?」

というのが正直な感想でした。


それでも我慢して臨書を続けているうちに、中国ものの感覚とは全く異質の書の凄さが見えてきたのです。

所謂「和様」と呼ばれる書姿ですが、そういう理屈は抜きにして、とことん付き合ってみて下さい。

「和様」「唐様」といった話は別にしても、このような細字でありながら、これ程の結体や用筆を見せている、というだけでも、十分に驚異的です。


特に中国もののみで学んできた皆さんに強くお薦めします。

とことん付き合ったその結果として、「和様」とは何か?「唐様」とは何か?という、言葉ではなかなか具体的に説明しづらい部分も、自然と感覚として理解出来ている筈です。


その上で

「やっぱり自分は中国ものの方が好きだ」

というのであれば、それも一つの道でしょう。(ちなみに私はこれです)


話が脱線しますが、「和様」「唐様」といったものを理解する為には、単純に「日本人が書いた書」「中国人が書いた書」というだけでは全く意味がありません。

日本人が書いても「唐様」は「唐様」です。

『風信帖』をいくら臨書してみても、「和様」は理解出来ませんから。


閑話休題。

とにかく、これだけの書を知らないままでは余りに勿体無さ過ぎます。

仮名の部分では所謂「平仮名」の姿としての、漢字の部分では所謂「和様漢字」の姿としての、それぞれ典型として挙げられるべきものですから、これをとことんやっておけば、その後にどちらに行くにしても基準がぶれるという事が起こりにくい筈です。

仮名を専門とする先生の中には、漢字の練習もこの『朗詠集』一点張り、という場合もある、という話を聞いた時には流石に驚きましたが、そういう先生もいるほどに、この書の重要性は高い、と思っておいて間違いはありません。


さて、仮名の部分にしろ、漢字の部分にしろ、いざ実際に臨書を始めようと思った時に問題になるのが、拡大して臨書するのか、原寸で臨書するのか、という点でしょう。

話は『朗詠集』に限ったことではないのですが、現実的に考えると、初学者の方が、これをいきなり原寸大で臨書するのはまず無理、と言うよりも、正直な話、不可能だと思われます。

出来れば大きく臨書することから始めて下さい。

テキストを拡大コピーすれば、手本として用意する事はそれほど難しい話ではないと思います。

漢字なら半紙に4〜6文字大、仮名なら半紙を縦にして2〜3行、その程度の大きさから始めれば、極めて繊細な筆使いも気が付きやすいでしょう。


仮名の練習と考えれば、漢字の部分は抜かして仮名の部分だけを臨書する、というのも一つの方法かもしれませんし、漢字の練習と考えればその逆もあるのかもしれませんが、ここはせっかくなので仮名も漢字もいきましょう。


少しだけ、実際に臨書する際の具体的な注意点を挙げておけば、この書はもともとの天地間が狭いため、特に漢字の部分では字間が極めて狭く、少々窮屈な感じがあります。

漢字は上下が狭い結果の必然として、横画が水平に近付き、その分左右への広がりが大きくなります。

仮名は連綿に於いて、この『朗詠集』と同筆とされる『高野切第三種』と比較すると、下(次の文字)への動きが小さく控えめになっています。


これだけを読むと欠点のように思われるかもしれませんが、この部分があってこそ、この『朗詠集』独特の雰囲気を醸し出している事もまた事実ですから、臨書するに際しては、先ずはこの辺りから注意してみてはいかがでしょうか。


とにかく1回通して臨書するだけでもかなりの根気を必要とするでしょうが、諦めてはいけません。

途中で投げ出してもいけません。


頑張りましょう。


次回はいつになるのでしょうか(苦笑)

それではまた。

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posted by 華亭 at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨書のすすめ 仮名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする