2008年01月20日

泰山刻石

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今回は「臨書のすすめ 篆書」で『泰山刻石』です。

「臨書のすすめ 篆書」を待ち続けていた方、遅くなって本当にごめんなさい。

もっと早くアップしたかったのですが、何を取り上げたら良いかをず〜っと悩んでいたんです。

しかも、篆書の話を文章として書こうとすると、いつも以上にひたすら話が長くなってしまって、全く収拾がつかなくなりそうな悪い予感がしているのです・・・

それでも、いつまでも避けて通るわけにはいきませんから、何とか始めてみましょう。


それにしても今回、初学者による篆書の独習の難しさというものを改めて強く感じました。

何故なら、臨書を始めてみようにも、テキストとして適当なものがなかなか無いのです。

随分と悩み続けた結果、色々と問題はあるものの、最も順当と思われるものに決めました。

それが今回紹介する『泰山刻石』です。


因みにテキストについてですが、これまで「臨書のすすめ」では二玄社『中国法書選』をテキストとして話をしてきました。

理由は前にも書きましたが、現在最も入手しやすい影印本だと思われるからで、絶対にこれでなければならない、というのではありません。

他に入手しやすい影印本としては、天来書院から出ているシリーズなどもありますが、私自身はあまり使用していないので、このブログではとりあえず『中国法書選』を挙げてきました。


今回も『中国法書選』をテキストとして話を済ませたいのですが、『中国法書選』の『泰山刻石』の底本は、いわゆる「五十三字本」と呼ばれているもので、その呼び名の通り、文字数が少ないという問題点があります。

そこで、無理にとは言いませんので、もしも可能であれば二玄社の『書跡名品叢刊』を併用して欲しいのです。

名品叢刊の底本は「百六十五字本」と呼ばれているもので、「五十三字本」よりも遥かに多くの文字を見ることが出来るからです。

但し、私の持っている名品叢刊は旧版で、数年前に再版された新版の底本が何なのかについては確認していないので、注意して下さい。

因みに「五十三字本」「百六十五字本」ともに、原石からの拓ではなく、模刻からのものではないか、という議論があり、今日まで結論に至らないままのようですが、今回その点については目をつぶっておきます。


今回『泰山刻石』を取り上げるのを躊躇した理由はこのテキストの問題です。

名品叢刊をテキストとして考えてしまうと、旧版は既に絶版となっているので、既に持っている人以外は古書を探さなければなりませんし、新版は基本的に分売不可の筈ですから、初学者にとっては尚更入手し難くなってしまいます。

私の記憶では神保町にある清雅堂からも「百六十五字本」を底本とした影印本が出ていたように思いますが、一般の書店では入手出来ないでしょうから、これまた問題の解決にはなりません。


テキストを入手する段階でハードルが高いというのでは、このブログで扱うのは少々気が引けてしまいます。

ですから、それぞれが入手しやすいテキストを使って下さい。



話を本題に戻しましょう。


『泰山刻石』はいわゆる小篆の典型です。

「小篆って何?」

と思われるかもしれませんが、見ての通りの縦長足長、横画は水平、縦画は垂直、左右相称を基本とした字形が特徴で、秦の始皇帝の時代に公用書体として定められました。

因みに小篆の「小」とは「小さい」という意味ではありません。

これに先行する大篆との区別です。(大篆の代表例としては『石鼓文』をイメージして下さい。)

先行したものに「大」を付け、後発に「小」を付けて区別するというのはよく見られる使い方で、王羲之・王献之親子を大王・小王と呼んだり、徐鉉・徐カイ兄弟(五代末の人。『説文解字』の研究・校訂で有名。「カイ」の字が表示出来ません。かねへんに「皆」という字です。)を大徐・小徐と呼んで区別するのと同様です。


極めて厳密な構造を持っているので、感情の入り込む余地など全く無いかのような印象を受けるかもしれません。

何と言っても線の太さが最初から最後まで均一ですし、始筆も収筆も全くの無表情です。

つまりは字形そのものの骨格が全てと言っても過言ではなく、線の表情に頼る(逃げる)事は許されないわけです。


それにしても、骨格のみでこれだけの美しさを成立させてしまうのですから、その造形感覚は驚くべきものです。

この感覚は、我々日本人にとっては最も遠い部分でしょう。

以前にも似たような話をしましたが、日本人は良くも悪くも抒情に流れやすいという面を持っています。

私は日本人のそれを

「ゆるい」

と表現しますが、日本人の「ゆるい」造形感覚では、このような文字造形は絶対に生まれ得なかったと思います。


これは優劣の話ではありません。

違いの話です。

中国人の造形感覚では、仮名の散らし書きは絶対に生まれ得なかったであろうというのと同じ事です。


とにかく、この『泰山刻石』の厳密な構造構築性は、日本人の感覚からすると、ついつい「ゆるさ」に逃げてしまいたくなるところですが、そこを堪えて辛抱しなければ意味がありません。

覚悟を決めて頑張りましょう。


もう少しだけ、具体的な話をしておきます。

逆筆については解説書があれこれあるようですから、ここでは触れません。

無事に逆筆が成った後、送筆する時こそが肝心です。

ひたすら同じ筆圧、同じ速度を心掛けて下さい。

実は、このブログで度々繰り返してきた

「同筆圧、同速度」

の練習には、このような篆書の練習が最も適しています。

何故なら、今回の『泰山刻石』を見れば分かるとおり、元々の線が同筆圧同速度で書かなければ書けない線だからです。

恐らく最初のうちは、どれ程に息を押し殺すようにしながら引いてみても、芯の通った生きた線は引けないと思いますが、それこそが練習のしどころです。

上手くいかないということは、それだけ自分の体に効いているという証拠なのですから。


それから横画について。

篆書の横画は先にも触れたように水平が原則です。

ところが、我々は楷書の中で育ってきていますので、横画を右上がりに引いてしまう癖が体の芯まで染み付いています。

ですから、余程注意しないと、水平に引いたつもりがすぐに右上がりになってしまいます。


趙之謙の書いた篆書は横画が右上がりになっていたりしますが、あれは言わば応用編です。

今は基本の話なので、厳密に水平を守って下さい。


それから、初学者にとって、しっかりとした線を引く事と同じくらいに難しいと思われるのが、左右相称に書く事だと思われます。

これを実現する為には大前提として、縦画垂直、横画水平が自由自在に書けるようにならなければならない事は言うまでもありません。

その上で左右相称に形作るのですが、最初のうちは、自分の書いたものがきちんとシンメトリーになっているかどうかすら、よく分からないと思います。

そこで、例えば「帝」のように、左右相称になるはずの字を書いてみて、それを中心から縦に二つに折ってみて下さい。

本当に左右相称になっているのであれば、二つに折った字形はそのまま重なってくれるはずです。

最初のうちは、自分でも呆れるくらい左右がずれていると思いますが、そこが我慢のしどころです。

これまた投げ出さないで頑張りましょう。


以前、雑誌『書』誌上に掲載された(牛窪梧十氏の記事だったと思いますが)篆書の練習方法で興味深いものがありました。

それは、先程の話とは反対に、先ずはシンメトリーになるはずの字を、中心から左半分の部分だけ書くのです。

左半分を書いたら、すぐに紙を中心で縦に折ってよく押し付けます。

すると、墨はまだ乾いていませんから、当然、今書いた左半分の部分が、鏡写しとなって中心から右側部分に薄く転写されます。

そこで、その転写された右半分部分をなぞって練習するのです。

これは左半分とシンメトリーな形を自分の体に覚え込ませるという意味では、極めて有効な練習方法だと思いますので、興味のある方は試してみてはいかがでしょうか。


書の練習方法としては随分と奇抜な方法と感じるかもしれませんが、そもそも「篆書を書く」という行為は、大げさに言えば、今まで皆さんが行ってきた「字を書く」というものとは全く異質の感覚を伴う行為です。

ですから、皆さんの中にある「字を書く」という事に対する固定観念を全て取り払って、全く新しい事を始める、というつもりで臨んで下さい。


「そんな事までして一体何になる?」

と思われる人がいるかもしれませんが、そう思われるのなら、そもそも無理をしてまで篆書を書く必要などないと思います。


ここでの話はあくまで

「篆書を書いてみたい」

と思われる人にとっての話ですから。


と、これだけではまた随分と冷たく突き放した言い方になってしまいますね(苦笑)

そこで、敢えて理屈を付け加えるとすれば・・・


「水平垂直左右相称、線はどこまでも均一で無表情」

こんなものは他の書体にはありません。

ですから、

「こんなものをいくら練習しても、他の書体とは何の関係も無い。」

と思われるかもしれません。


確かに直接的な関係は無いでしょう。


しかし、

「筆を自在にコントロール出来るか否か?」

という意味では、篆書もやはり他の書体と同じなのです。


筆を自在にコントロールする為には、当然の事ながら、自分の手を自在に動かせなければなりません。

手本を見る力や自分の書いたものを見る力といった部分については尚の事、書体の違いなど関係の無い部分でしょう。


「水平垂直左右相称、線はどこまでも均一で無表情」

他の書体では絶対にありえないこれらの特徴があるからこそ、その練習を繰り返す事で、他の書体を書いているだけでは与える事が出来ない刺激を、自らの手や脳に与える事が出来るのです。


そしてその結果として、自分でも気が付かないうちに自分の力が底上げされ、全く関係無いと思えた他の書体に於いても良い影響が出てくるという事に繋がるのです。


尤も、このような打算的な考え方は私の好むところではありませんし、このブログの主旨とも反しますので、余り

「役に立ちますから!」

と、声高に強調したくはないのですが・・・


そもそも

「効果が有るならやってみる」

とか

「関係無さそうだからやる気がしない」

とかいう考え方自体、少々ずれていると思いますし・・・



さて最後に。

篆書を学ぶには、どうしても一度は必ずこの『泰山刻石』のようなものをとことんやっておく必要があるように思います。

それによって、篆書に対する審美眼の芯が、自分の中にしっかりと出来上がるからです。

その芯無しに、ただ闇雲に篆書に手を出してみてもどうにもならないと思います。

「どうせやるのなら、最初にしっかりと向き合って欲しい。」

との思いから、今回、色々と悩んだ挙句、「臨書のすすめ 篆書」の1回目として、『泰山刻石』を紹介しました。

投げ出さず、諦めず、頑張って下さい。


やれやれ・・・

どうにかこうにか書いてはみましたが、案の定ダラダラと長いだけで締りの無い文になってしまいました(苦笑)

篆書の独習、やっぱりかなり手強そうですね・・・


次回はまた別のお話を。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。
ラベル:書道 臨書
posted by 華亭 at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨書のすすめ 篆書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする