2017年04月11日

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お久しぶりです。

4月3日の未明、私の師であった父が亡くなりました。

斎場の都合で日が経ってしまいましたが、今日、無事に告別式が終わりました。

90歳という高齢でしたし(私は父が43才の時の子です。)、もう2年以上も寝たきりの状態だったので、そう遠くはないうちにその時がやってくるという事を、家族は、そして恐らく本人も、ずっと前から覚悟していた中での最期でした。


私事で仕事を休む事をとても嫌う人だったので、亡くなった当日も、その後も、通夜(昨日)と告別式(今日)に重なってしまった以外の稽古の日程は一切休まずいつも通り行いましたが、当日、亡くなって僅か数時間後の稽古はさすがに精神的にキツかったですねぇ(苦笑)


書に於いて、私がどれ程に努力を重ね、自らの足跡を残す事が出来たような気になってみても、どこまで行っても、どの方向に進んでみても、そこには必ず父の足跡がありました。

父の足跡を見付けるその度に、言い様の無い大きな無力感に苛まれたのは事実ですが、それと当時に、父の足跡があるという事は、私の進んできた道は間違っていなかったのだ、という一種の安堵にも似た気持ちを覚えてきたのもまた一方の事実でした。

父は書について、具体的な事は殆ど何も教えようとはしませんでしたが、書との関わり方というものを、自分の姿を通してずっと私に見せ続けてくれていたのだと、今改めて思います。


亡くなる1週間くらい前だったでしょうか。

父に私の最近の作品の写真をスマホで見せながら、次回作の構想やこれから書いていきたいものについて、私があれこれ話した事がありました。

頷きながら話を聞いていた父は、

「不思議なものだなぁ。お前には何一つ教えてこなかったのに、ちゃんと、俺がやってきたのと同じような事を考え、同じようにやってる。よく頑張ってやってる。安心したよ。」

そう言って笑顔で何度も頷いてくれました。

書に於いて、父から「安心した」などという言葉を聞いたのは、その時が文字通り最初で最後です。

父の死後、母から聞いた話では、その日の父は私が帰った後も何度も「良かった。安心した。」と嬉しそうに話していたそうです。

子を心配する親心というものは、どこまでいっても尽きることがない、という事は、私も3人の子を持つ親としてよく分かりますが、この時の父の姿は、子として、弟子として、ほんの僅かながらでも父に安心してもらえる事が出来たのかもしれない、と私に思わせてくれるものでした。

そして、「お前の歩き方は間違ってなどいない。これからもそのまま進みなさい。」と言われたような気がしました。

今にして思えば、自分の最期が近い事を悟った父が、「安心した」と私に告げる事で、私を安心させようとしたのかもしれませんし、自分の死後に私が抱くであろう悔いを、少しでも軽くしようとしてくれた親心だったのかもしれませんが、いずれにせよ、今の私はその時の父のその言葉に救われた思いがしています。


これまでも「父に顔向け出来ないような仕事は絶対に出来ない」という思いがありましたが、父を失った今、その思いを改めて強くしています。

今の私は、父を失った悲しみと師を失った喪失感で、心の真ん中にぽっかりと大きな穴が開いてしまったような感覚ですし、

「これから先、父の足跡の無い場所にまで、果たして自分の力で辿り着く事が出来るのだろうか?」

という思いに押し潰されてしまいそうですが、「辿り着いてみせる」という強い気持ちを持ち続け、決して歩みを止めない事が、父が私に託した思いに応える事になるのだと信じて、これからも自分なりの歩みでやっていこうと思っています。

私は今47歳。

父が亡くなった90歳までは43年、その間、歩みを止めなければ、私にも父が見ていた景色を見る事が出来るでしょうか?

それには私も90歳まで長生きしなければいけませんね(笑)


今回の話、このブログの読者の皆さんには関心の無い、余りに個人的な話でしたが、私自身への決意として、ここに書き残しておく事にしました。

最後までお付き合い頂き有難う御座いました。


それではまた

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

尚、「この草書で書かれた文の読み方を教えて欲しい。」「この古典の訳を教えて欲しい。」といった主旨の御依頼は受けかねますので、何卒御了承下さい。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

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posted by 華亭 at 20:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月31日

「手本そっくりに」というお題目。

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随分と前に「形臨をすすめる理由」の回でも同様の事を書いていますが、私は普段の教室でも通信添削でも、

「とにもかくにも手本そっくりを目指してください。」

と繰り返します。

と同時に、

「結果としてそっくりに書けなかったとしても、気にする必要はありません。」

とも話します。


これだけ聞くと矛盾しているようですが、そうではありません。

「とにかくそっくりに」という本当の目的は、「そっくりに書けるようになる事」なのではなく、「そっくりに書けるように精一杯努める事で、書く際に必要な様々な感覚を磨く事」にあります。

そっくりに書けるように精一杯努めるその中で、四苦八苦し、悪戦苦闘する、その過程こそが、自身の感覚を磨いてくれるからです。

なので、その時点の結果として、手本とそっくりに書けなかったとしても、それは仕方がない事ですし、大した問題でもありません。

だからこそ、

「結果は気にする必要はありません。」

という話になるのです。


ところが、こういった話をすると、時々「手本そっくりに書けなかったとしても大した問題ではない」という部分のみを捉えてしまう人がいます。

「そっくりになんて書けなくてもいいんだ。」

という短絡的な捉え方です。


このような捉え方をしてしまう人の場合、こちらの真意は横に置いたまま、

「そっくりに書こうとする必要などないんだ」

と、曲解してしまいます。

結果、

「そっくりに書けるように精一杯努める」

という、感覚を磨く為に一番肝心な過程がすっぽりと抜け落ちてしまうのです。

これでは「そっくりに書けるように精一杯努める」からこそ磨かれるはずの様々な感覚は、当然の事ながら磨かれてなどいきません。


そもそも、「手本そっくりに」というのは、初学者の皆さんに「出来る限りの事をする」という意識を目一杯高めてもらうために掲げている言葉です。

換言すれば、「何となく」といった曖昧な意識を、その時点毎に出来るだけ払拭してもらうためのお題目なのです。

皆さんとしても、ただ「手本をよく見て書きましょう」と言われるより、「そっくりに」と言われる方が手本に向かう意識が高くなりませんか?

勿論、「そっくりに」と言うだけではその内容に一切の具体性がありません。(私が最も嫌いなパターンですね。)

ですから、実際の指導では、「それならどうすればそっくりになるのか」についての具体的なポイントを、その人のその段階毎に適した内容として、様々な角度から提示する事になりますし、それらのポイントを踏まえながら練習するからこそ、様々な感覚が磨かれていく事にもなるわけです。

とすれば、最初から「そっくりに」というお題目を放棄してしまったのでは、尚更どうにもなりません。


私が指導していて最も困るのは、その人が不器用であるとか、なかなか上達しないとか、そんな事ではなく、私の話を自分勝手な解釈で受け止めて、それをそのまま実行してしまう人です。

この場合、厄介な事に、当の本人にはその自覚が無い場合が殆どです。

私としては、指導する側としてそのような状態を看過出来ませんので、なるべく早い段階で軌道修正するようには努めるのですが、本人は自分なりに腑に落ちた状態での解釈とそれに基づく実行ですから、1度そのような状態に陥るとなかなか私の話に耳を貸してくれません。

理想で言えば、こちらが先手先手を打ってそのような状態にならないようにすべきですし、その為にこその指導する側の存在なのですが、私の想定を上回ってしまう事が少なくないのも事実です。


まぁ、早い話が私の指導する側としての力量不足という事なのです。

というわけで、最近のあれこれの自分の力量不足に対する反省を、自戒の意味を込めてここに書き残しておくのでした。

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2015年05月02日

書道教室の選び方

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このブログでこれまで頂戴した御質問の中で、度々受けるものが、

「書道教室を選ぶ際のポイントは何ですか?」

というものです。

考えてみれば、皆さん、いざ「書を学ぼう」とか「子供に習わせたい」とか思ってみても、一体どのような教室が良いのやら、判断のしようが無いのでしょう。


そこで少し考えてみますが、当たり前の判断基準として、先ずは場所。

これはそれこそ言うまでもありませんが、教室に通う事が前提の話なのですから、通いやすいに越したことはありません。

それから費用ですよね。

書道教室の場合、いわゆる月謝制になっているところが多いかと思いますが、月にいくらかかるのか、というのは当然気になります。


さて、問題はその次なのではないでしょうか?


その次の判断基準として、一体何を考えるべきなのか、これは難しいところかもしれません。

「いやいや、指導内容が気になるでしょ!」

と思われる方も少なくないでしょうが、そもそも、これから書を学ぼうと考えている、つまりは書について全くと言ってよい程に知識が無い方が、指導内容の説明を聞いてみたところで、一体どこまで本当にその良し悪しを判断出来るのか、といった問題が生じます。

仮に説明を聞いて「なるほどね〜」と思ってみたところで、つまりは納得したような気になっているだけの事に過ぎず、実質的には「納得出来ないままに選ぶわけにもいかない」という意味程度での判断基準にしかなりません。

口先の達者な説明を聞いて「なるほど!」とおおいに感心したとしても、それが教室の良し悪しとは必ずしも直結しない、などとは皆さんなかなか考えないのかもしれませんが、ここは一つ冷静になってみる必要があるように思います。


冷静になってみたところでその他に考えられそうな事と言えば、昇級制度の有無や「師範」などの資格の取得について、といった点かもしれませんが、この辺りについての私の考えについては以前述べていますので、ここでは繰り返しません。(「必要悪」の回参照)


とまぁ、こんな具合で、実際的な判断基準というのは実は有りそうで無い、という事になってしまいそうです。


それではどうしたら良いのでしょうか?


これはあくまで私見の極論に過ぎませんが、

「その教室の先生の手本のような字が書けるようになりたい。(子供に書けるようになって欲しい。)」

と思えるかどうか、これが極めて重要だと思います。


実は「手本」と一言で言っても、正に十人十色、先生の数だけ趣の異なった手本があるわけです。

試しに「書道 手本」とでも検索してみると、それこそ数えきれないくらいの様々な手本の画像が出てきますし、それらを見てみると、本当に色々な趣のものがある事が分かるはずです。

とにかく線は太く字粒も大きくどっしりと書いたもの、それとは反対に線も細目で繊細な感じのもの、きっちりとした印象のもの、緩い感じのもの、等々、見る人によって感じ方は様々でしょうが、決して一通りのものなのではない、という事は分かるはずです。

その中で、「こんな字が書けるようになりたい」と思える先生に学ぶのが一番なのではないか、と思うのです。


これは「手本の字の良し悪しを判断すべき」という話なのではありません。

そもそも、その手本の字の良し悪しについては正しい判断など出来ないのですから。

となれば、もう単純に、感覚として好きか嫌いかで考えるしかありません。

「そんなテキトーな」

と思われるかもしれませんが、これから学ぼう(学ばせよう)としている先生の字が、その時点の自分にとって「何だか好きになれない」といったものなのだとしたら、わざわざその先生に教わる気などしないというものでしょうし、反対に、「こんな字が書けるようになったら嬉しいな」と思えるようなものなのだとしたら、実際に学び始めても、自分にとって充実した時間が過ごせるのではないでしょうか。


実際に教室を検討する際には、「ネットでお気に入りの字を書く先生を見つけてそこに通う」というのでは、最初の判断基準である「場所」を無視する事になってしまいますから、現実的ではありませんよね。

勿論、「教室に通う」という学び方が自分の中での前提ではないのであれば、ネットで見つけたお気に入りの先生に「通信添削のような形での指導は行っていないのか問い合わせてみる」というのも1つの手かもしれませんが、「実際に教室に通う」という事で考えると、場所や費用が自分の許容範囲にある教室が複数見つかった場合、その中での最終的な選択判断基準として、その先生の字を見て判断する、という事になるのではないか、と思います。


何だか今回の話、実に当たり前の内容になってしまいましたが、既にどこかの教室に通っている方にとっては、

「先生の字、好きですか?」

と、置き換えてみると、改めて考え直す事もあるかもしれませんね。


それではまた。

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2015年01月04日

ずっと考え続けている事。その2

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早速前回の続きです。

皆さん、LD(学習障害)という言葉を知っていますか?

LDについての詳細はググって頂くとして、LDの中でも特に文字を書く事が苦手という特性(ディスグラフィア、書字障害)がありますが、最近の私はこのディスグラフィアに絡めながら、あれこれ考えています。

尤もこの辺りの話については、実際にその障害で苦しんでいる人達がいらっしゃる事を考えれば、単なる思い付きレベルの内容を得意気に話すべきではありませんので、ここでは現時点での私の考えの概要を述べるに留めます。


さて、このディスグラフィアを持った人の中に、「絵を描くのは得意」という人がいます。

字を書くのは苦手だけど絵は得意、という事ですね。

更には「映像記憶」とか「瞬間記憶」とか呼ばれるような、ちょっと見ただけでその瞬間的な映像をまるで写真に撮ったかのように正確に記憶してしまう能力を持ち、それを絵として正確に再現する人までいます。


その能力は正に驚異的ですが、この事は、彼等が

「それが『文字』でさえなければ、正確にその『形』を自らにインプットし、正確にその『形』をアウトプット出来る」

という事を意味していると同時に、私に1つの素朴な疑問を抱かせます。

仮に彼等が「文字」を「文字」としてではなく「形」として認識する事が出来たとしたら、彼等のディスグラフィアはどうなるのか?

という疑問です。


彼等のディスグラフィアを改めて素人なりに考えてみると、彼等のディスグラフィアは「文字」を「文字」として認識した状態で字を書こうとしているからこそ、その特性が顕れるのだろう、という点に立ち返ります。

この一見すると至極当たり前のように思える点を再確認しておく事は、実は極めて重要な事に思えます。

何故なら、その対象が「文字」ではなく「形」でさえあれば、彼等は驚異的なまでに正確にその形を再現出来るのですから。


私がこれまで見聞してきた(極めて狭い範囲ではありますが)ディスグラフィアを持った人達に対しての所謂「字の練習方法」といった観点からの話というのは、基本的に、「文字」を「文字」として認識している状態のままどうにかしようとしているように、私には思えるのです。


だとしたら、何らかの方法によって、彼等に文字を「文字」としてではなく「形」として認識してもらう事が出来たとしたら、一体何が起きるのか?

この「何らかの方法」について私の立場から考えてみる事が、結果として皆さんに「文字」と「形」との垣根を越えてもらう為の手掛かりを見付ける事になるのではないか。

と、そんな事を考え続けています。

つまりは、以前書いた「脳の使われ方の違い」の回での話をいまだに考え続けているというわけです。


しかしこの話、本気で具体的に詰めていこうと思ったら、何処かの脳科学の先生にでも私の脳の使い方を調べてもらったり、LDの当事者さんにも本格的に協力してもらう必要があったり、といったものなので、結局は私1人の勝手な空想止まりの話なのですが(苦笑)

あ、でも、私の脳の使い方については調べてもらえたらと本当に嬉しいので、どなたか脳科学の研究をされている先生を御存知でしたら、紹介していただけませんでしょうか?

さて、この空想の続き、どこまで記事として書けるかどうか分かりませんが、もう少し考えてみたいと思います。

それではまた。

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2015年01月03日

ずっと考え続けている事

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お久し振りです。

このブログはすっかり放置してしまいましたが、その間にもブログの記事には出来なかったものの、色々な事を考え、無い知恵を絞って悩み続けたりもしていました。

その中でも最も私を悩ませ続けたのは、文字認識と図形認識についての問題です。

これについてはこのブログでも以前少しだけ触れた事がありましたし、

「字を『文字』としてではなく『形』として見る」

という事については何度もお話してきました。

しかし私自身、この辺りの問題を度々皆さんに話しながらも、今一つしっかり伝えてきれていないような感覚がずっと付いて回っていて、何だかすっきりしませんでした。

それはこのブログに限った話ではなく、普段の教室でも同様でしたし、実は今も全く変わりません。


この問題、私自身の感覚としては、

「字を見た瞬間から文字認識と同時に図形認識の回路が働いている」

もしくは、

「基本は図形認識先行で、それを『読もうとした時』に、後から文字認識の回路がつながる」

といった感じなのですが、この感覚、皆さんにはなかなかピンときてもらえないようです。

何しろ私の場合、いつの間にやら無意識のうちにやってきた事なので、それを改めて言葉で説明しようとすると、丁度「どうやって呼吸しているのか説明してください。」と言われているのと同じようなもので、「え〜と、ちょっと待ってくださいね(汗)」といった感じになってしまいます。


が、「説明出来ません」と開き直ってしまうわけにもいかないので、どのようにしたら皆さんがこの文字認識 と図形認識との間の垣根を越えて、「文字」と「形」とを自由に行ったり来たり出来るようになるのか?

その為の明確な方法論を何とか構築出来ないか?

などと、それこそ無い知恵絞って考え続けているわけです。


結論から言えば、未だに答は見つかっていません。

ですが、ヒントとなりそうな事が幾つか見付かりつつあるのも確かなので、諦めずに考え続けたいとも思っています。


と、これで終わりにしてしまってはせっかく久しぶりにアップしたというのにあまりにもあんまりなので、私の中でヒントになりそうな事の1つを挙げてみようと思いますが、このネタ、黙って勝手に流用したりしたら本気で怒りますからね(笑)

というわけで今回はここまで、前振りで終わりです。

大丈夫、この話の続きはちゃんと用意出来ていますから、このまま放置なんて事にはなりません。

それではまた。

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2014年02月14日

「正しい字」の不思議

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私は普段教室で小・中学生も教えていますが、その手本を書く際、「正しい字」で書かなければいけません。

「そりゃそうでしょ」

と皆さん思うでしょうね。

ところがですねぇ。


実はこの「正しい字」というのが曲者なんですよ。


この場合の「正しい字」というのはあくまで「学校のテストで間違いなく〇をもらえる字」という意味です。

ところがその「正しい字」の内容たるや、字の成り立ちや書体・字形の変遷など一切無視した(としか思えない)、統一性のかけらも無いような摩訶不思議なものだったりするのです。

まぁ、結局のところお役所が決めたものですから、そんなものなのでしょうが、「それにしてもさぁ」なのです。

専門家の偉い先生だって携わっているのでしょうに、どうしてこんな事になってしまったのでしょうか?


基本的には私自身が小学生の時に学校で教えられた字を書いていれば大丈夫なんですが、私の思い込みで

「えっ!?そうなの?知らなかった(汗)」

という事が時々あるので、子供の手本を書く時にはこんな本を使ったりして確認しながら書いています。

小学生の新レインボー漢字読み書き辞典 第5版 [単行本] / 矢澤真人 (監修); 学研マーケティング (刊)

特に私のように長い間書を学んできた人間の場合、古典に出てくるような字形が染み付いていますから、知らないうちに「学校のテストで×になってしまう字」、つまりは「正しくない字」を書いてしまう事があるのです。

子供の手本でそれはまずいですよね。


例を挙げ始めたらキリがないのですが、先ずは漢字(楷書体)で例えば「天」の1画目と2画目の横画の長さについて。

「正しい字」では長いのは1画目という事になっています。

ところが、試しに何でも良いので書の字形字典を引いてみてください。

そんな字どこ探したって出てきません。(どれもこれも長いのは2画目です。)


他には例えば木偏、牛偏、手偏。

これらの中で、縱画の最後をはねなければならないのは手偏だけ、と学校では教わります。

しかし、これまた字形字典を引けば分かりますが、木偏も牛偏も元は殆どの場合はねてたんです。

手偏だけが「はねないと×」で、木偏や牛偏は「はねたら×」って何故ですか?


摩訶不思議な話は漢字だけではありません。

「う」「え」の1画目は止めます。

でも、「ふ」の1画目ははねます。

「う」「え」の1画目を「とめるべし」としておきながら、「ふ」の1画目は「はめるべし」とする理由、私にはまるで分かりません。


「こ」の1画目ははねます。

でも、「た」の3画目や「に」の2画目はとめます。

意味が分かりません(笑)


このように様々な箇所で(私にとっては)意味不明な正誤基準が存在するのです。


以前、この辺りの事情を知っている方と少しお話をさせて頂く機会がありましたが、どうやら現場(学校)からの「これはどっちが〇でどっちが×なのか、はっきりして欲しい。(でないとテストの採点時に困る)」という声に対して、その場毎に場当たり的な対応を繰り返してきた結果、今のような状態になってしまった、というのが真相のようです。


勿論文部科学省でも、ここで取り上げたような字形の許容範囲については、文字の持つ記号性を著しく損なう場合は別として、概ね認めています。(興味のある方は詳細な答申書がありますので御自身で検索して御一読を)

しかし実際の教育現場では、「う」や「え」の1画目は「とめるのが正しい字」として、「ふ」の1画目は「はねるのが正しい字」として教えている場合が殆どなのでしょうし、実際私の息子が使用している国語の教科書や、某大手通信講座の教材でも、この区別を明確にするべきものとして、内容が作られています。


私は何も「う」の1画目は絶対にはねるべきだ、とか言いたいのではありません。

現場の声として、はっきりとした正誤基準が存在していないと教えようがない、というのもよく分かります。

ただ、その正誤基準そのものが、あまりにも滅茶苦茶ではありませんか?

と言いたいのです。

個人的な本音としては、例えば「う」「え」の1画目ははねた方が自然に思えるんですが、「とめるべし」と言うならそれでもも構いません。

但し、それなら「ふ」の1画目も「とめるべし」とするべきでしょう?

仮に息子に「どうして『ふ』の1画目だけははねなきゃいけないの?」と訊かれても、私はその質問に対し、自分自身が納得した上で答える事など、とても出来ません。

皆さん、おかしいと思った事ありませんか?


と、この辺りの話、本当にネタは尽きないのですが、書いていて段々腹が立ってきた(愚痴の度合いが増えてきたともいう)ので、この辺で強制終了としておきます。

気が向いたらもう少し、別の回で別の例を挙げて書いてみたいと思います。


今回はいつにも増して話が散らかったままで申し訳ありませんでした。

それではまた。

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2014年02月12日

手も足も出ない事の前に

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確定申告の準備で脳が沸騰中です。


普段教室で書を教えている時、時々思う事なのですが、皆さん「出来ない事をやろうとし過ぎ」のように感じます。

「出来ない事が出来るようになりたい」と思う事自体は所謂「向上心」として当たり前の気持ちですし、特に問題などありません。

問題は、「現時点で手も足も出ない事」にとらわれ過ぎてしまう、という事にあるように思います。


ひと言で「出来ない」と言っても、実はその中身は色々なわけで、

「10回やろうが100回やろうが出来ない」

つまり成功率0割という事もあれば、

「10回中2、3回しか出来ない(つまり成功率2〜3割)」

という事もあります。

「手も足も出ない」という状態は言うまでもなく前者ですが、私から見ると皆さんこれにとらわれ過ぎてしまう事で、必要以上に「出来ないよ〜」と嘆いているように思えるのです。


「手も足も出ない」というその原因を大きく分ければ、「そもそもやり方が全く間違っている」か、「まだその段階まで達していない」か、といったところだと思いますが、そのどちらであるにせよ、問題は「その判断が自分自身では出来ない」という部分にあるわけで、その意味ではこのブログでよく出てくる話が、やっぱり今回もポイントなのではないでしょうか。


「やり方が全く間違っている」という場合、あなたが誰か先生に教わっているのなら、当然その先生が間違いを指摘してくれるはずですから、あとはその指摘を素直に聞くだけなので、ここでは触れません。

独学の場合、その間違いを指摘してくれる人がいないのですから問題は極めて深刻ですが、これについてもこれまで度々繰り返してきたので、やはりここでは触れません。


今ここで考えてみたいのは、

「まだその段階まで達していない」

という状態です。


私の考えでは、書の上達というのは(例えば鉄棒の逆上がりのように)ある日突然出来るようになる、という類いのものではありません。

少しずつ少しずつ前進し、ふと気付いて後ろを振り返って見たら

「知らないうちに随分進んできたんだなぁ」

と感じるような、そんな世界です。

つまり、逆上がりのように自分の上達をはっきりと自覚する「区切りとなる目安」が無いのです。(この辺りの話も以前「思い違い。その2」の回で縄跳びの二重飛びの例を挙げて書いています。)


この事を再確認してください。


「区切りとなる目安」が無いという事は、自分がどのような段階にいるのかを自分自身で判断する事が難しい、という事を意味します。

この判断を誤ると、結果として、「手も足も出ない」事に拘り続けてしまう、という状態に陥ってしまうのではないでしょうか。


一方で今の自分を再度客観的に省みると、成功率5〜6割、といった要素も、実はいくつもあるはずなのです。

先ずやるべきなのは、そういった「手が届きかけている領域」にある要素の成功率を上げる事ですよね。

それらの成功率を、10割とは言いませんが、8〜9割、つまりは「意識しておけば大体いつも大丈夫」、という状態にしておく事が肝心なのではないかと思うのです。

そういった「成功率8〜9割の要素」を1つずつ増やしていく事が全体的な底上げにつながり、その底上げがあってこそ初めて、それまで全く手も足も出なかった事が成功率2〜3割という領域に少しずつ少しずつ入ってくるのだと思います。


今回の話、それまでとは違った「新しい指摘」を受けた後には特に注意が必要です。

皆さん新しい指摘を受けた後というのは、どうしても意識がそれにばかりむいてしまいがちですが、そもそも新しい指摘というのはそれまでの事柄が前提となってこそ初めて意味を持つものなのであって、

「新しい指摘にばかり意識が向いて、それまでの事柄が意識から抜けてしまって疎かになっている」

というのでは、先に進むどころではありません。(この辺の見極めは本来指導する側の責任ではありますが。)

先に進むどころか、新しい指摘が「手も足も出ない事」としてドンッと目の前に置かれてしまったような気分になるだけです。

これではいけません。


自分でも気が使いないうちに、「手も足も出ない事」換言すれば「今はまだ手も足も出さなくて良い事」に振り回されている、なんて事にはなっていませんか?

普段の自分を振り返ってみて頂けたらと思います。

それではまた。

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いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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2014年01月30日

上達した結果

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先日妻に教わって知ったのですが、なんでも昨年は「美文字」なるものが流行っていたそうで。(流行りものにはまるで疎いのです。)

まったく残念な事をしました。

もっと早く知っていれば、私もその波に便乗して

「じぇじぇじぇ!?これが美文字への最短距離!これであなたも女子力アップで倍返し!いつ始めるの?今でしょ!」

とかなんとか言って、ひと儲け出来ていたかもしれません(出来るかっ!笑)

まぁ、字を書く事に興味を持つ人が少しでも増えたのなら、それはそれで素直に嬉しい事だと思いますから、これ以上ひがむのは止めにしておきしょうね。


ところで、美文字に恋い焦がれた人達にも当てはまる話を1つ。

皆さん書を習い始めた時、きっと、大雑把に言えば「上手になりたい。」と思って始めましたよね。

御自身ではなく子供に習わせる事にした場合などは尚更、「上手になって欲しい」と思ったでしょう。

至極当然です。


さて、それではその「上手に」というのは、何を基準にした「上手」でしょうか?(何も難しい話をしたいのではありませんので御安心を。)

ここでの「上手」というのは、「人に上手と思ってもらえるような字が書ける」という意味である場合が多い、というかそれが殆どのように思います。

これまた当然です。


ところが、このような考えにばかり偏ってしまうと、肝心な事がすっぽり抜け落ちてしまうような気がします。

それは「今の自分よりも上手になる」、つまりは「他との比較ではなく、自分自身に於ける上達」という観点です。


話を分かりやすくする為に、(あまり気は進みませんが)偏差値に置き換えて考えてみます。

ごく普通の字は「美文字偏差値50」、といった具合です。

同じ「偏差値を上げる」と言っても、元々の偏差値が30の人が70を目指すのと、50の人が70を目指すのとでは、やっぱり話が違います。

裏を返せば、努力の結果美文字偏差値が20上がったとして、元々が50だった人が20上がれば70になり、見事に「美文字達成!」となりますが、元々が30だった人は20上がってもやっと50にしかならず、「美文字まではまだまだ」という事になります。

この時、自分の期待がさっきの「上手と思ってもらえるような字が書ける」という基準にばかり偏っていると、一歩間違えると

「なぁんだ。せっかく頑張ったのにちっとも上手にならないや。」

という事になってしまいかねません。

これはとても残念な事だと思うのです。


元々美文字偏差値30の字を書いていた人というのは、持って生まれた造形に対する感覚が鈍かったりする場合が少なくないわけで(ごめんなさい)、その人が20上げて50の字が書けるようになるまでには、並々ならぬ努力と忍耐が必要だったはずです。

その結果、「とんでもない字」を書いていたものが「ごく普通の字」を書けるようになったというのなら、もっともっと素直に喜んで良いと思うのです。


今回の謂わば「期待外れ」という感覚は、子供を書道教室に通わせている親の立場になると、更にその傾向が強くなるように感じます。

「せっかく習わせてはみたものの、うちの子ちっとも上手にならない。」

というわけです。


しかし実際にはしっかり上達しているんですよ。

ただそれが、現時点では美文字偏差値70にまでは到達していない、というだけなのです。

にも関わらず、「ちっとも上手にならない」と切り捨ててしまうのでは、本人のそれまでの努力を全否定する事になってしまいます。

そんなの絶対にダメですよ。


そもそも「うちの子ちっとも上手にならない」と愚痴をこぼしている親自体、普段どれだけの字を書いているのか、という話ですしね。

自分の遺伝子を色濃く受け継いだからこその美文字偏差値30からのスタートだったりするわけですから、自分の字を棚に上げたままのあまりに過度な期待は子供が気の毒です。

自分の子供を書道教室に通わせている、という方はこのブログの読者には極めて少ないように勝手に想像していますが、もしもいらっしゃいましたら、今回の話、特に耳に留めて頂けたら嬉しいです。

それではまた。
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2013年12月11日

それが仕事となった時に求められるもの

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随分前にどこかの回で書いた事があるように思いますが(確認するのが面倒臭いだけというのは内緒)、私は書道教室で書を教える他にも、いけ花も教えています。

地元にある大きな神社に巫女さん達を主とした華道部があって、そこに月に3〜4回、教えに行っています。

その際、神社に併設されている結婚式場の中に数か所、花を生けるように頼まれていて、華道部での稽古の後に毎回生けて帰ってきます。

この神社での仕事が終わった後というのは教室での書の稽古があるので、時間的な余裕が殆どありません。

いけ花の稽古時間が押してしまうと、式場に生け終わって教室に着いた時には書の稽古開始時間ギリギリ、という事も少なくありません。


さて、このような時に問題になるのが、「スピード」です。


花を生ける際にいくらでもゆっくり時間を掛けられるのであれば何の問題もありませんが、実際にはそうはいかないのです。

先述のように書の稽古時間が迫っている事もありますし、結婚式場の都合で「今日はこの後にお客様がいらっしゃるので何とかこの時間までにお願いします。」という事も多々あります(ホントに勘弁して)。

つまり、短時間で生ける「スピード」が要求されるのです。


ところが考えてみれば、この「スピード」という要素、「花を生ける」という本来の能力とは関係がありません。

今は仮に「花を美しく生ける」という事がいけ花本来の目的だとしておきますが、その本来の目的からすれば、ゆっくりじっくり時間を掛けて生けようと、花を美しく生ける事が出来るのであれば、それで何の問題もないはずです。

が。

実際にはそうはいかないのが現場の現実なのです。


話は書でも同様です。

例えば、教室で生徒や弟子の見ている目の前で手本を書くような場合、1枚の手本を書くのに5枚も10枚も失敗した挙句に漸く書き上げる事が出来た、などという事では話になりません。

1枚の手本を書くのに妥当な時間というのは一概に規定出来るものではありませんが、書いている姿を含め、それが生徒や弟子への手本として考えるのであれば、「このように書けるようになるのが目標ですよ」と言えるだけの内容を、時間的要素も含めて目の前で1発で提示出来なければなりません。

今夜のうちに条幅の手本を30枚書いておかなければならない、というような場合でも、30枚の手本を書き上げるのに50枚も100枚も書かなければならないようでは、30枚書き上がる前に夜が明けてしまいます。

これでは現実問題として仕事になりません。


趣味としてであれば、どれ程時間を掛けてでも、その結果としてクオリティの高いものが出来上がればそれで良いでしょう。

しかし、それが仕事である以上、ある一定のクオリティを「いつでもすぐに」提供出来る必要があるのです。

換言すれば、厳しい時間的制約の中であろうと、しっかりとしたクオリティを間違い無く提供出来なければ仕事にならない、という現場の実情がある、という事なのです。

これは何もいけ花や書に限った事ではなく、世の中の様々な仕事でも同様なのではないでしょうか。


これまた以前どこかで書きましたが、私は今の仕事をする前に、(短い期間でしたが)パソコンソフトのシステムエンジニアやプログラマとして会社に勤めていた事があります。

そこで求められたのは、システム設計やプログラムに関する知識と技術がしっかりしている事などはあくまで大前提、その上で、極めて厳しい納期に間に合わせる事が出来るだけの「スピード」でした。

他の職種でも、「どうぞ好きなだけ時間を掛けてゆっくりやってくださいな。」などという悠長な現場などなかなか無いでしょう。

その意味では、私の仕事も、一般的には何だか呑気な稼業と思われがちのようですが、実は皆さんと何ら変わる事がないのです。


この「スピード」、話を書に限定すれば、皆さんがこのスピードという要素だけを表面的に真似しようとしてみたところで、全くの別物、ゲテモノまがいものにしかなり得ません。

このスピード、ゆっくりじっくりとした練習を気の遠くなる程に積み重ねていく中で、自分自身で確実に実現出来るスピードを徐々に徐々に上げていく、という方向性を見失わないように常に強く意識しながら、確実性と同時に少しずつ少しずつ獲得していくしか方法がないのです。

ゆっくりじっくり書いても書けない人間がスピードだけを求めてみたところで、それは只単に確実性を放棄した結果の「暴走」に過ぎません。

前回の話とも重なりますが、ここのところを思い違いしてしまう人が非常に多いので、今回の話も他人事とは思わず、日頃の自分を思い返してみて頂きたいと思います。


それではまた。

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2013年12月07日

未来の為に今すべき事

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お久しぶりです。

放置が続くこのブログですが、数年来通信添削を受けていらっしゃる方とのやりとりの中で「閉鎖する事も考えた」とついつい弱音を吐いたところ、先日励ましの御言葉を頂戴しました。

怠け者の私に、本当に有り難い事です。

その方の御気持ちに僅かながらでもお応えすべく、久々のアップです。


1年程前から、普段私が書を教えている教室に通っている男性(Tさん)の話です。

このTさん、一言で言うと、とてつもなくせっかちなんです。

とにかくまぁ、この1年間、私がどれ程「もっとゆっくり、もっとじっくり線を引きましょう。」と繰り返し続けても、どうしてもチャッチャカとせっかちに引いてしまいます。

教室で練習する時には、毎回のように私が一緒に筆を持って「このくらいの速度ですよ。」と、実際の速度感を体感してもらっていますし、私が目の前で見ている時には「まだ速過ぎますよ。」と注意されながら書くのでまだ良いのですが、少し目を離すとすぐに元に戻ってしまいますし、自宅で練習してきたものを見てみると、

「どうしてこうなっちゃうんだろう・・・」

と、思わず(心の中で)大きく溜め息をついてしまいたくなる程、チャッチャカせっかち具合が改善されません。

そして、この1年間、Tさんが言い続けたのが、

「ゆっくり引くと線が震えてしまう。」

という事でした。


当然の事ながら、私は最初から

「今は線が震えてしまう事は全く気にする必要はありません。と言うよりも、気にしてはいけません。どんなに線が震えても構わないので、とにかく今はゆっくりじっくり引く事を最優先させて下さい。これは形骸化したお行儀や作法などといった類の話ではありません。震えてしまう事を気にしてそんな引き方をしていたのでは、何年経ってもしっかりとした線が引けるようにならないからです。いいですね。最優先させる事柄を自己判断してはいけませんよ。」

といった話を繰り返し繰り返し、言う方の私もうんざりするほど続けてきたのですが、それにも関わらず、Tさんはいまだに

「ゆっくり引くと線が震えてしまうので、ついつい速く引いてしまう。」

と言います。


そんな事を1年間も繰り返されたら、こちらもしまいには

「んじゃ、もう好きにしてよ・・・」

と言いたくなるってもんですが(苦笑)、そこは仕事、グッと堪えて呑み込んで、

「今は線が震えてしまう事は〜〜」

というさっきのくだりを繰り返すのです。


こうなるともう、書の練習としてどうのこうのというレベルの問題ではないと思うのですが、まぁ、それも含めての仕事ですから仕方ありません。


そうは言うものの、こちらも月謝を頂戴しているからには、少しでも前に進んで頂かなければなりません。

何と言っても、本人は上達したいと思っているのですし、だからこそ、息子のような歳の私に叱られ続けながらも、辞める事無く通い続けていらっしゃるのですから、それにお応えするのが私の務めでしょう。


そこで先日、

「今からする話、これまでにも何度も同様の事をお話させて頂きましたが、ここで敢えて苦言を繰り返します。もしも気分を害されましたら何卒お許しください。」

と前置きしてから、次のような内容の話をしました。


教室に通っていらっしゃる皆さんは、それぞれが自分なりに「字が上手になりたい」「上達したい」と思って教室に通っています。

それは言ってみれば、3か月先、半年先、1年先、という未来の自分が「こうなっていたい」と思う事に他なりません。

とすれば、「今現在の自分」がイメージする「未来の自分」に少しでも近づく為に、

「今すべき事」

があるはずです。

その「今すべき事」が自分で正しく判断出来るのであれば、時間とお金を使ってまで教室に通う必要などありません。

その判断がつかないからこそ、それを見極めてもらうためにこそ、専門的な知識や技術を持った私のところに通っているのであるはずです。

ところが、「線が震えるから」と言ってゆっくり書こうとしないのは、私の判断を無視したまま、全く何のあてにもならない自己判断に依ったまま、つまりは自己流に書いている、という事であって、そんな事で結果としての上達が付いてくるはずがありません。

実際、1年経った今でも同じ事を繰り返し続けているだけではありませんか。


「今の自分」(つまり今のTさん)が「ゆっくり引くと線が震えてどうにもならない」などという事は、私もよくよく承知しています。

だからこそ、「今はそれを気にしてはいけない。それよりも大切な事があるのだから。」と言い続けてきたのです。

「そっちではありません。こっちですよ。」と言い続けてきたのです。

にも関わらず、「今の自分」の判断を優先させて自分のやりたいようにやってしまうという事なら、その先に、「今の自分」がイメージしている「未来の自分」などいるはずがありませんし、「今の自分」の誤った判断に「未来の自分」までも道連れにしている、という事になります。

その事、お分かりになりますか?

お分かりになった上で、それでも自己判断に依るのでしたら、私はそれ以上何も申しません。

但し、結果としての上達を求められましても、正直申し上げて私も困りますので、その点は御理解下さい。



いや〜、重いですね〜(苦笑)

苦言も苦言、早い話が最後通牒ですから、私だってこんな話はしたくありませんでしたよ。


そもそも桁外れにせっかちなTさんですから、そんなTさんが筆を持てばやっぱりせっかちに書いてしまうわけで、線の引き方というのも、実のところそれが表面上の行動の1つとして顕れているに過ぎません。

ですから「人格変えなさい」と言われても無理なように、本質的にはどうなるものでもないのですが、それにしても、という話なのです。


未来の自分の為に今の自分がすべき事。

それが具体的に分かっていながらそれを実行しようとしないのなら、結果として、今から1年後も今の自分と何1つ変わる事などありませんし、変わるわけがありません。

その結果を自分で引き受けるのなら、それで自分が納得しているのなら何の問題もありませんが、「結果だけは欲しい」、というのでは、あまりに図々しいのではありませんか、というのが私の考えなのです。


今回の話、「随分と大袈裟だな」と思う方もいるでしょうが、他人事として済ませてしまわずに、少しでも自分に引き付けて考えて頂けたら、と思います。


それではまた。

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2013年10月06日

脳の使われ方の違い

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お久し振りです。

最近考えている事があります。

なかなか頭の中でその考えがまとまらないのですが、見切り発車で書いてみます。


皆さんも聞いた事があるかと思いますが、人間の脳は場面によって働く場所が違うのだそうですね。

今までそういった話を聞いても、

「へ〜、なるほどね〜。」

くらいにしか思っていなかったのですが、ある時ふと、

「あれ?これって実はかなり重要な話なんじゃないの?」

と考え始めました。


脳の働き方の詳細については私に分かるわけありませんからバッサリ割愛しますが、文字や言語を扱う場所と、図形や空間を扱う場所とは違う、つまり脳の使われ方が違う、という事だけ覚えておいてください。


文字・言語認識と図形・空間認識とでは脳の使われ方が違う・・・


う〜ん・・・



もしかして・・・



もしかすると・・・





私と皆さんとでは、

「そもそも脳の使われ方が違うんじゃないかい?」

と、最近思い始めたのです。


私は以前から、

「字を『文字』としてではなく『形』として見てください。」

と言い続けてきました。

これはこのブログだけではなく、普段の教室でも同じです。


皆さん例えば手本を見ながら真似して書こうとする時、どうしても手本を「文字」として見てしまうため、なかなかうまくいきません。(これについての詳細はここでは繰り返しません。)


これも以前どこかで書いたような気がしますが、私が教室で人に書を教え始めた頃、多くの(殆どの)皆さんが手本を「形」としてではなくどうしても「文字」として見てしまうのだ、と気付いた時の私のショックは非常に大きなものでした。

その時まで、私自身は自分が手本を「形」として見ているという事など全く意識した事がありませんでしたし、私にとってはそれが当たり前と思う事すら無い程に当たり前の話だったからです。


その(私にとっての)衝撃的な事実を知ってから、私は常にその事を強く意識しながら教えるようになったのですが、今度は、何度も繰り返し指摘し続けているのに皆さんがどうしてなかなか「形」として見る事が出来るようにならないのか、その理由がさっぱり分からずに悩むようになりました。

「何度言ったら分かるんだ?教え方が悪いのか?それならどうすれば?でもそれにしても・・・」

といった感じで、随分悩みました。


結局、理由は分からないにしても、とにかくどうしても「文字」として見てしまうのなら、「形として見ましょう」と繰り返し言い続けるしかないんだろう、と思うようになったのです。

と言うか、白状すると、皆さんがどうしても「文字」として見てしまう理由が分からないまま、これまでず〜っとやってきたのです。


しかし、仮にその理由が脳の使われ方自体の違いにあるのだとすると、何だかすっきり納得出来るような気がします。

西洋の人と日本人とでは、秋の虫の音を聞く時の脳の使われ方が違う、という話を聞いた事がありますが、

「それと似たような事なのかなぁ。」

と思ったりしているのです。


本人の意識とは別に、脳が「文字」として認識してしまう、という事なのであれば、仕方がありませんものね。


とは言うものの、これは教える側にとっては厄介ですよ。


だって

「ほらまた!脳の使い方が違うでしょ!」

などと言ってみたところで何の解決にもなりませんから。


少しネットで調べてみましたが、この辺りに着目した体系的な練習方法というのは今のところ無いようです。

勿論、この辺りの事にとっくに気付いている人もいるようですが、その方法論は私を納得させ得るものではないようです。

世の中に無いのなら、自分で考えるしかありません。


というわけで、最近

「どうにか出来ないものか・・・」

と、あれこれ考え続けているのでした。

方法論としてもう少しまとまったら、ここでもお話してみたいと思います。

それではまた。(って、具体的な内容は一切無しかいっ!)

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2013年02月10日

イケメン福笑い?

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正月が来たかと思ったら早くも節分立春が過ぎてしまい、年明け早々に書き始めたはずのこの記事も既に思いっきり時期外れなのですが(汗)、皆さん「福笑い」って御存知ですよね?

顔の輪郭だけ描かれた絵に、目・鼻・口等のパーツを目隠しをして並べる、というあれです。(「福笑い」って実は全国共通ではなかったりしますか?その前に若い子は「福笑い」自体を知らなかったりして・・・)

今回はその「福笑い」についてです。


「福笑い」の目・鼻・口等のパーツですが、今回先ずはこれらのパーツをイケメン俳優の目・鼻・口から採ります。(美人女優でも勿論OK。)

単に採るのではありません。

洋の東西を問わず、数々のイケメン俳優達の中から、「これぞ完璧!!」というパーツを厳選に厳選を重ねて選び抜きます。

大変な手間をかけイケメン俳優達から厳選したパーツは、それぞれパーツとしてはまさに完璧、誰もが羨む完全無欠なパーツ(どんなの?)です。

さぁ、「福笑い」を始めましょう。

何と言ってもパーツはそれぞれ完璧なのですから、それらを駆使すれば、たとえ「福笑い」と言えども、イケメン俳優達に勝るとも劣らないイケメン君が出来上がる事は結果を見るまでもありません。

イケメンパーツの威力は絶対なのです!!


・・・って、ホント?

ウソウソ、そんなの嘘です。

絶対にイケメン君が出来上がる、なんてそんな事、断言出来るわけがありません。

なにしろ「福笑い」なのですから、十中八九パーツの配置はバラバラです。

イケメン君どころかまともな顔にすらなってくれない可能性の方が遥かに高いでしょう。

結果、完全無欠なパーツも台無し、パーツ選択の手間も徒労に終わってしまいました。

あ〜あ・・・


さて、気を取り直して2回目といきましょう。

今度は各パーツをイケメン俳優のものからごく普通の一般人から採った、ごくありふれたもの(これまたどんなの?)に交換してやってみます。

さっきのように厳選したりせず、とにかく「これでどうかな」といった感じで選びます。

さぁ、再度挑戦です。

但し、今度は目隠しをしません。

「それじゃ福笑いにならないだろ。」

という意見は今は無視しますよ〜(笑)

目隠しをしないのですから、全体をよく見ながら各パーツを配置出来ます。

当然の事ながら、各パーツはきちんと収まるべき位置に収まる事になり、先程のイケメンパーツを駆使したにも関わらずバラバラになってしまったものよりも、ずっとずっとしっかりした顔が完成しました。(イケメン君にこそなりませんでしたが)

完全無欠だったはずのイケメンパーツ、惨敗です。


さて、前振り長過ぎですが、実は皆さんが書く時もこれと似たような事が起きているんです。(ここから無理矢理に話を書にもっていくのがこのブログ)

これまでこのブログでは、

「枝葉末節にばかり囚われないようにしましょう。」

といった内容の話を何度かしてきましたが、この話、今回の「福笑い」に置き換えてみます。

「このはねが失敗した(汗)」

「ここのはらいが駄目(泣)」

といった感じで、部分部分の細かいところにばかり気を取られ、ついつい全体像に対する意識が抜け落ちてしまう。

結果、書き上がったものは字形がガタガタ。

もうお分かりでしょうが、これはイケメンパーツを使いながらも結局はバラバラな顔になってしまった最初の場合と同じ状態です。

福笑いでは、パーツをイケメンパーツにする事にばかり気を取られても全体のバランスがバラバラなのではまともな顔になりません。(そんなバラバラな顔を見て楽しむのが福笑いなのですから。)

書の場合もそれと全く同様で、細かい部分にばかり気を取られても駄目なんですね。

「細かい部分などどうでもよい」と言いたいのではありません。

「それだけでは駄目ですよ。」という話に耳を傾けて欲しいのです。


厳しい言い方になりますが、皆さんがどれ程にパーツに拘泥してみても、その結果として得られるパーツの精度には限界があります。

私なりのいつもの言い方をすれば、総合力が上がらないままに細部の精度だけ上げようとしても、どんなにイケメンパーツを目指してみても、それはそもそも無理なんです。

早い話が書の場合にはイケメンパーツを揃える事すら出来ない、という事なのですから、今回の福笑いで言えば2回目の場合のように、

「パーツはごくありふれたもので構わないから全体像に気を配る」

という意識を持って欲しいのです。

実際には皆さんの場合どうしてもパーツの方にばかり意識が向いてしまいますから、努めて、全体像への意識を強く持つように心掛ける必要があります。


実は更に前段階として

「パーツの方にばかり意識が向いてしまっている、という事に本人が全く気付いていない。」

という根本的な問題があるのですが、それについてはこの記事を読んで自省して頂けたとして、バッサリ省略します。(「書くのが面倒臭いだけだろ。」とか言わないの。)


意識のバランスを具体的に言えば、全体8割パーツ2割くらいのバランスをイメージしてみてください。

「え〜!?8割ぃ?そんなに全体像の方に片寄っちゃって大丈夫なの?」

と思うかもしれませんが、実際にはそのくらい極端に意識しておいて丁度良いと思います。

でないと、皆さん書き始めるとまたすぐにパーツの方にばかり意識が片寄っていってしまいますから。


そうやって全体像を強く意識し続けていくと、徐々に

「この全体像を実現するためにこそのこのパーツ」

という、パーツの本当の意味での重要性や、

「このパーツがあるからこそのこの全体像」

という、パーツと全体像の切っても切れない関係性、といった部分が見えてくると思います。

そういった部分が見えてきてこそ、パーツの精度を上げる事も可能になるのですね。


というわけで、今回は時期外れの福笑いを使って考えてみました。

それではまた。

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2013年01月01日

謹賀新年

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新年明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い申し上げます。

昨年中は殆ど放置しっぱなしに終わってしまったこのブログでした。

苦労自慢は本意ではないので詳細は省きますが、まぁとにかく、これでもかこれでもか、と次から次に事前予測不可能な厄介&深刻な問題が起こり、心身ともにズタボロになってしまい、正直な話、とてもではありませんがブログになど手を付ける余裕がありませんでした。

一時はブログの閉鎖も考えましたが、検索からの訪問数を見ますと、こんなブログでも多少なりともお役に立てているようにも思え、ついついそのままになってきました。

検索からの通りすがりの方を含め、せっかく訪問していただいた皆さんに、「なぁんだ。放置ブログか。」と思わせてしまった事が残念で、何とかアップしたかったのですが・・・


そんな私の今年の目標は、ブログのアップではなく、ブログがアップ出来るような日常を少しずつでも取り戻す、という事にしたいと思います。

皆さんにとって、今年が平穏な年でありますように。


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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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2012年10月29日

知らないよりは

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最近、少々思い立って中国史のうち古代〜BC221までを勉強し直してます。(実は先日長女が緊急入院するなど色々な事が重なりまくり、ブログのアップを含めホントはこんな事している場合ではないのですが・・・何かしていないと気分的に余計しんどいので)

まぁ、勉強なんて言っても手持ちの本を数冊読み直しながらカードにあれこれまとめているだけなので、大げさな話ではありません。

春秋辺りというのは特に、様々な国同士の関係が複雑に絡み合い、それらの国の時系列が複数同時進行するわけですが、それらの時系列を個々に踏まえた上での横の繋がり(各国間の関係)が頭の中で今一つ整理されていないように感じていたので(ダメじゃん)、その辺りをすっきりさせておきたいと思ったので。


とにかく、先ずは縦の流れの重要事項を国別にカードに書き並べて、カード間で横の繋がりを確認し、それぞれの関連事項について書き入れていく、といった事をやっています。

Windows8が発売されて話題になっている(初期ロットに飛び付く気持ちが分かりません)昨今、何ともアナログ極まりない方法ですが、この作業を通して縦横の関係性を頭の中に定着させたい、というのが目的ですから、カードそのものは丁寧に作っているわけではなく、乱雑&テキトーです。

実際にやってみると、今までの自分の記憶がどれ程曖昧なものであったのかを思い知らされますね〜(笑)


ところで、古代から戦国辺りのきっちりした知識というのは、

「そんな事など知らなくても書を書くのには困らない。そもそも書を学ぶ上では直接的には必要とならないじゃないか。」

という意見もあるでしょう。

確かに、私が普段教室で書を教えている時でも、周の東遷があーだこーだ、斉桓公がどうした楚荘王がこうした、韓魏趙が晋を三分したからなんだかんだ、などといった話をする事などまずありません。(興味を持っている人が相手なら余談程度に少しはしますが。)


でも、知らないよりはやっぱり知っている方が良いと思います。

知っているからこそ見えてくる事も少なくない、というのも一方の事実であると思いからです。

極論すれば、中国に於ける思想や統治形態は、この時代までに殆どの原型が出尽くしているわけで、それ以降はそれらの焼き直しをしているに過ぎません。(ホントに極論。でもさすがに科挙は別ですね。)

三皇五帝も周文王も周公旦も、その人物像が後世の諸家によって都合の良いように脚色されている全くの虚像に過ぎないにしても、そこに彼らの主張する理想が仮託されてきた事は事実なわけで、それを知っておく事は、それ以降の価値基準の根底を押さえておく事にもなるはずです。

多少無理やり書に結び付けて考えれば、例えば周王の権威失墜と反比例して増大する諸侯の力と、青銅器製作の拡散と供に進む国(地域)ごとの文字造形の多様化とが、ほぼリンクしているように見えるのは決して偶然ではありませんし、その多様化した文字造形が、結果として小篆という1つの形に強制的に集約されてしまう過程は、所謂戦国の七雄が最終的に秦によって統一される姿そのままです。

ついでに言えば、あの小篆という造形を生み出した秦という国が採ったのが、他の諸家ではなく法家であり韓非子だったという事実は、私には極めて象徴的に思えるのです。

そのような国であったからこその造形、とでもいうべきでしょうか。

もっと皆さんに馴染みのあるところで言えば、張懐瓘の『書断』の中で『孔子廟堂碑』が『九成宮醴泉銘』よりも上である理由とされた、「虞則内含剛柔、欧則外露筋骨。君子蔵器。以虞為優。」という価値観の原型がこの時代にあると思えば、無条件で素通りしてしまうわけにはいかなくなるというものではありませんか。


繰り返しますが、このような話を全く知らずとも書は書けますし、直接的には関係ありません。

しかし、知らないよりは知っている方が良い、でしょう。

特に、普段「先生」などと呼ばれ、人様に書を教える立場にある人間であるのなら尚更です。


教室で余談ついでに歴史の話をすると、時々

「先生って書の先生ですよね?書の先生ってそんな事まで知らないといけないんですか?」

みたいに言われる事があります。

尤も、(いつも白状するように)私の歴史の知識自体は全くの素人レベル、まさに「知らないよりは知っている方が」といったレベルに過ぎませんが、それでも皆さんにとっては「書の先生」から聞く話としては随分とイメージを超えた範囲に思えるのでしょう。

そんな時には

「知らないよりはやっぱり知っている方が良いでしょ。」

と答える事にしています。


文字学の知識を身に付けようとする場合なども同様ですが、机に向かって出来る勉強と、実際に筆を持つ時間とは、そのバランスが難しいところです。

私達は文字学や歴史の研究者ではないのですから、筆を持つ時間を忘れてしまっては偏り過ぎですし、かといって普段の私達を省みると、ついつい筆を持つ事だけで済ませてしまいがちです。

「最低限の知識」と一言で言っても、それではその「最低限」という一線をどこに画するのか、というのも一概には言い切れない問題です。

ですから、いつでもその時点の自分自身にとって、一回り広い知識を求めようと意識し続ける事が大切なのではないかと思います。

それが、結果としてそれまでよりも深い理解と面白さを書に与えてくれるのではないでしょうか。

知らないよりは、です。

それではまた。
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2012年08月13日

夏休みなので

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世の中所謂お盆休みですが、毎日暑いですね〜!

私は暑いのが大の苦手なので、夏は辛〜い季節です。

心頭滅却すれば、なんて無理無理、ぜ〜ったいムリッ!

暑いものは暑いのです!

私は普段1日1食(夕食)か殆ど食べない日が多いのですが、ただでさえ慢性的な睡眠不足の上にこの暑さが加わるので、食事をしっかり採らずに適当に済ませていると、立ち上がる度に頭がク〜ラクラします(笑)

このままでは夏バテ必至か!?

あ〜早く秋にならないかなぁ…(と、梅雨明け前から毎年同じ事をぼやいて周囲に笑われているのは内緒)


さて、夏と言えば勿論夏休みですが、大人の場合、子供のそれとは違い日数的にもごく限られていますから、

「夏休みの目標!」

みたいに、夏休みをきっかけに何かを始めてみたり頑張ってみたり、というわけにはなかなかいきませんよね。

ましてやその限り有る休みに帰省だの家族サービスだのとなれば尚更です。

それでも折角ですから気分だけでも「夏休みの目標」という御題目に乗っかってみたくもあります。


そこで今回の提案ですが、

何処か1箇所だけでも博物館や美術館に行ってみる。

1冊だけでも良いから何か書に関する本を買ってみる。

というのは如何でしょうか?


博物館や美術館となると、この暑さの中で実際に足を運ばなければなりませんし、諸事情あって自分だけ出かける事などとても許されない、という人もいるでしょうが、本ならネットで家にいながら探せますし買えますから、こちらの方がより現実的かもしれませんね。


「書に関する本っていってもどんな本?」

と思われるかもしれませんが、書に関するものならこの際何でも良いではありませんか。

字書でもテキストとしての影印本でも、このブログで紹介してきた本でも、とにかく何でも良いです。

普段なら意識を素通りさせて済ませてしまっているような、つまりは気持ちの上で見て見ぬ振りをしているような本なら更に良いかもしれません。

無論、折角買うのですから買っただけで満足してしまうのではなく、少しは中身も見ましょうね(笑)

まぁ、買った本がすぐさま直接的に役立つ事などなかなか無いのかもしれませんが、新たな興味の扉を開くきっかけくらいにはなるかもしれませんから、あまり深く考えずに選んでしまうというのも一興です。


「何かお薦めの1冊は?」

と訊かれそうですが、そもそも万人向けの1冊など有りませんし、自分であれこれ探してみるのもこの機会こそ、という事で、敢えて不親切なままに(笑)


というわけで今回はさらっと。

皆さん良い夏休みを。

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2012年06月25日

アプローチの違いに関する考察。その5

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独学の皆さん、大変お待たせ致しました。(汗)

今回のテーマを独学の皆さんに当てはめて考えてみると、自分自身がA、B、どちらの傾向に沿って学んでいるのか、という問題として捉える事が出来ます。

換言すれば、自身が学ぶ上での意識の優先順位の問題です。

その4で書いた、Aの

1・書を楽しむ
2・書を学ぶ

なのか、それともBの

1・書を学ぶ
2・書を楽しむ

なのか、という話ですね。


そもそもこのブログの読者の皆さんというのは、傾向としてはBに近い人達が多いのではないかと想像しています。

完全にBの立場から書かれているこのブログに共感して頂いているのだとすれば、それはやはり皆さん自身がAではなくBであるからだと考える方が妥当でしょうから。

だとすると、「Aしか知らない人達に伝えたい」という私の意図はなかなか叶わないという事になってしまいますが、それはそれ、今の話の中心は独学している皆さんですので。


さて、皆さん自分自身を考えてみるとどちらに近いでしょうか?


「私はAかなぁ。」

と思ったのでしたら、話は簡単です。

前回までに書いたような「Bという進め方もある」という事実を、よ〜く覚えておいて下さい。

その事実を知った上で、自分がどうするのか、という事については、私が口出しすべき問題ではありませんので、皆さん各自が自分自身で選択すれば良いのだと思います。

Aを選択したとしても、これからもこのブログは御贔屓に。(と、さりげなく宣伝も忘れない)


意外に思われるかもしれませんが、本当に問題なのは、

「私はB」

と思っている人達です。

「Bと思っているなら問題無いんじゃない?」

と思われるかもしれませんが、実は、自分ではBと思っていて、普段の練習でもBの進め方をしていると思っているにもかかわらず、実情がAになってしまっている、という「隠れA」とでも呼ぶべき人が極めて多いのです。

「人を隠れ肥満みたいに言うな!」

と叱られそうですが、本人にその自覚が全く無い、という点では正に共通していますので御勘弁を。


隠れ肥満の事はさておき、何故「隠れA」という状態が起きてしまうのかについて考えてみましょう。

「隠れA」かどうかにかかわらず、「自分はB」という自覚のある人は、例えば古典の臨書をするにしても、「ただ何となく書いてみる」といったような態度ではなく、「出来るだけ古典に忠実に迫ろう」という姿勢で望んでいるのだろうと思います。

前回までの話で言えば、「詳細な視点」を意識しながらの練習を心がける、という事になるわけですが、ここで独学ゆえの問題が生じます。


自分が書いたものに対する客観的な視点の絶対的な不足です。


前回までお話してきた「詳細な視点」というのは、先生からの「段階に応じた細かな指摘」という客観的な視点の存在を伴ってすら、その獲得、蓄積醸成は容易な事ではありません。

「段階に応じた細かな指摘」を受け続けていたとしても、そう簡単にはいかないのですから、それを自分1人の視点だけでやろうとすれば、その難しさが桁違いに増してしまう事は避けられません。


これまで私の通信添削を受けた事のある皆さんの中には、独学の人もそうではない人もいらっしゃいますが、どちらの皆さんも、最初はそれまでの自分の学び方について、完膚無きまでに叩きのめされたような思いをしたはずです。

要はそれだけ皆さんの視点が甘かったという事なのですが、「良薬口に苦し」である事を信じて、いつも敢えて遠慮せずにダメ出しをさせて頂いてきました。

幸いな事に、私の苦言がきっかけとなり、その後の学書の姿勢がガラッと変化した人も少なくありません。


しかし、これまでずっと独学を続けてきた人の場合、ダメ出しをされる機会自体が無いのですから、

「御自身ではBのつもりかもしれませんが、残念ながら、実際にはAと何ら異なるところがありません」

と、指摘してもらう事のないまま、時を重ねてしまう事になります。


「詳細な視点の不足」を更に分かりやすく言えば、「観察眼の不足」という事になります。

それは手本を見る際にもそうですし、自分の書いたものを見直しす場合にもそうです。

「自分では細心の注意を払って見ているつもりでも、実は肝心なところがちっとも見えていない」

という状態です。

つまり、自分の目だけではいつまで経っても「肝心なところ」が何処なのかが分からないし、気付く事が出来ない、という事なのですが、更にもとを辿れば、「分からないし気付く事が出来ない」、という事実そのものにそもそも気付いていない、という状態だと言えるでしょう。

その結果、本人にはそんなつもりなど全くなくとも

「ただ何となく手本を見て何となく書いている。でもそれで十分楽しい。」

といった、Aと非常に良く似た学書行程になってしまっているのです。


これは非常に厄介な状態で、なにしろ本人は自分がそんな状態であるとは夢にも思っていないのですから、なかなか有効な解決策がありません。

自分の目に客観性を持たせる為のヒントは、このブログでもこれまであちこちに書いてはきましたが、当の本人が「私は大丈夫」と思ってしまっているような場合、それらのヒントも馬耳東風でしょうから、正直なところ一方通行のブログでは打つ手がありません。


ん〜、困りましたねぇ(汗)


皆さん1度私の通信添削でも受けて叩きのめされてみると話が早いのですが、ホントに皆さんから一斉にドドドーッと送られてきたりしたら、怠け者の私には対応しきれなくなって途方に暮れてしまうので、この方法は却下です(苦笑)

せめて、このブログで書いてきたヒント(苦言)の数々を、決して他人事とは思わずに、自分自身への言葉として反芻して頂ければ、と切に願います。

書の独学というのは、とにかくそれくらい難しい、という事は忘れないで下さい。


最後は何とも歯切れの悪い話になってしまいましたが、5回に亘ったこのテーマも今回で終わりです。

御蔵入りしていただけあって、話の散らかり方が尋常ではありませんでしたが(汗)、最後まで長話にお付き合い頂き有難う御座いました。

頑張り過ぎた反動でまた放置したりする事のないよう、皆さん祈っていて下さい。(自分で頑張れよ)

それではまた。

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2012年06月24日

アプローチの違いに関する考察。その4

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さぁ、やっと本題です(汗)

今回も頑張れ俺〜。


本題を展開する為のネタは前回までに全て散りばめておきましたので、

「話が長過ぎて最初の方なんて忘れちゃったよ」

という方は、「アプローチの違いに関する考察。その1」から読み直しておいて下さい。(面倒とか言わないで〜)


前回まで3回に亘ってA、Bの違いについて考えてきました。

ここまではどちらかと言うと両者の違いの中でも表面化しやすい部分について見てきたわけですが、今回はもう少し本質的な部分の違いについて考えてみたいと思います。

様々な違いがあるAとBですが、その根底にあるのは重要とする事の優先順位の違いであるように思います。


Aにとっては何よりも

「書を楽しむ」

という事が優先されます。

それは

「書を楽しみながら書を学ぶ」

という姿勢であるとも言えますから、優先順位としては

1・書を楽しむ
2・書を学ぶ

となるでしょう。


その際のポイントは、ここでの「書の楽しさ」というものが、初学者にとっても最初から実感出来る楽しさである、という点です。

その1で書いたA先生の

「のびのび書きましょう」

という台詞は、この姿勢を象徴したものです。


一方Bの場合には、

「書を学ぶ」

という意識が全ての前提です。

「書を学んでいくその中で、書を学ぶ楽しさや、更には書そのものの面白さや楽しさを見付けていこう。」

という姿勢です。

優先順位としては

1・書を学ぶ
2・書を楽しむ

となります。


言うまでもなく、ここでの「書の楽しさ」とは、初学者が最初から実感出来るような類いのものではありません。

B先生の

「ただがむしゃらに書けば良いというものではない」

という台詞も、ただがむしゃらなだけでは、B先生が学ぶ側に伝えたい「書を学ぶ楽しさや書そのものの面白さや楽しさ」に気付く事が出来ない、という考えから出ています。


さて、ここまでで分かる事は、AとBとでは、学ぶ側が感じる「書の楽しさ」の内容が異なっている、という事実です。


前回までに見てきたように、Aの楽しさとは初学者にとっても最初から実感出来るものですから、書の世界への導入に際してはその楽しさが有効に作用します。

一方Bの楽しさとは初学者が最初から実感出来るような類いのものではありませんから、導入に際してはそれが高いハードルとなります。


しかし、です。


「書道ってものをほんのちょっと体験してみたいな。」

という事ならまだしも、多くの方はもっと長期的な関わりを想定して書を始めたはずです。(長期的とはいってもその長さや内容には当然個人差がありますが)

長く書と関わっていこうとする中での楽しさが、「すぐに手には入るが底が見えてしまうのもまた早い」、というようなもので、皆さん本当に良いのでしょうか?


書の楽しみをどこに見出だすのかは人それぞれですから、それについて私がとやかく言うのは余計な御世話というものでしょう。

私の教室に入ってくる人達の中でも、「お手軽」に得られる楽しみを求めてくる人が少なくない、という事もまた事実です。

それらを承知の上で敢えて言えば、Aの行き着く先に、Bが手にするような楽しみを見付ける事など、殆ど不可能だと思うのです。(皆さんの練習量には限度があるのですから。)


私の仕事は書を教える事ですが、それは私にとっては、皆さんが書を学ぶ、そのお手伝いをさせて頂く、という事に他なりません。

このブログでも、その思いは同じです。


ブログというのは基本的にはこちらからの一方通行の媒体ですから、私とこのブログの読者の皆さんとが相互的に繋がる場面は、コメントやメールや通信添削などのごく限られた場面です。

改めて言うまでもなく、このブログは開設当初から完全にBの路線で続けてきていますが、それは、Bの価値観の中で書を続けてきた読者の皆さんに対して、「次の1段」の為の様々なヒントを示したい、と考えてきたのと同時に、Aの価値観の中で書を続けてきた読者の皆さんに対して、「本当に今のままでいいの?」という疑問を投げかけたい、と思い続けてきたからです。

Aの価値観の中で書を続けてきた人達が、「今のままで本当にいいのだろうか?」と、自分自身に問いかけ始めるきっかけくらいは、一方通行のブログでも与えられるかもしれない、と思い続けてきたからです。


そもそも今回の話を改めて記事として書こうと思ったのには理由がありまして。

読者の皆さんの中で

「これまで数ヶ所の教室で何人かの先生に教わった事がある」

という経験がある人は少ないでしょうし、一般的には

「1つの教室でずっと1人の先生に教わってきた」

という人が大多数でしょうから、そうなると、良くも悪くも1人の先生の1つの価値観のみが刷り込まれるわけで(「刷り込み」の回参照)、他の価値観が存在している事すら知らずに過ごす事になります。

今回はA、Bを両極端な形として説明しましたが、Aの進め方しか経験した事がない人にとっては、自分の知らないところで自分が教わってきたものとは正反対のBの進め方というものが存在している、という事自体、全く知る由も無いままに時を重ねています。

当然私はその事実も弊害も知っているわけで、知っているにもかかわらず、それについてこのブログで書かないのは

「やっぱりイカンでしょ。」

と思ったからです。


皆さんが見出だした楽しみが、私の言う楽しみとは異なるものであったとしても、それを否定するつもりなどありませんし、Aのような進め方についても「間違っている」と言うつもりはありません。

しかし、皆さんがひとたび「学ぶ側」として私と関わる事となったのなら、私としてはAしか知らない人を黙って見過ごすわけにはやっぱりいきませんからね。


尤もBの私も実際の教室での話となると、教室に入ってきたばかりの人にB全開というだけでは、それこそハードルの高さばかりが前面に出過ぎてなかなか馴染んでもらえないという事にもなりますので、そこは様子を見ながらバランスを取りながら、という感じになりますが。

それでも私が基本的にBであるというのは今後も変わらないでしょうし、当然このブログはこれからもB全開のまま続けていきますよ(笑)


ひゃ〜、疲れた(汗)

久し振りに長い話を書いたらえらく疲れました。

でも、やれば出来るじゃん俺!

書けば書けるじゃん俺!

よく頑張った俺!(ならもっとアップ率上げろよ)


あ・・・

まだ大事な事を書いていません・・・

独学の皆さん、本当にお待たせ致しました(大汗)

これまでの話を踏まえて、独学の皆さんについて考えてみたいと思います。

次回に続きます。(また持ち越しかい)

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2012年06月23日

アプローチの違いに関する考察。その3

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ん〜・・・

この話、実は御蔵入りしていた時には既にこの辺りで挫折していたので、ここから先、一体いつまで続くのやら、自分でも見当が付きません(汗)

前回はAについて色々と(ダラダラと、とも言う)考えてみましたが、今回はBについてです。

因みに「その1」にも書いた通り私はBなので、話の客観性に少々(大きく?)揺れが生じますがお許しを。


前回も触れましたが、書を習い始めたばかりの人にとっては、Bは少々堅苦しく息苦しく取っ付きにくく感じるのかもしれません。

最初からあれやこれや言われ過ぎて頭がパンク寸前、言われた事を気にすればする程腕が動かなくなり、

「ひぇ〜っ(汗)、書ってこんなに難しいのかい!?」

と、早くも息が上がってしまいそう。

といった感じでしょうか。

書を学ぶという行為がその人なりのペースでその人の生活の中に習慣として馴染むまでには、どうしても多少の時間が必要になります。

その馴染むまでの間は特に、とにかく最初は「楽しい」と感じられなければそれこそつまらないでしょうし、続ける気にもなれないでしょうから、その意味ではBは初学者にとっては最初からやけにハードルが高い、という事になります。

前回も触れた「書の世界への導入」という観点から見たら、これはやはりBの短所とせざるを得ないでしょう。


話がここで終わりなら、

「やっぱりBは無しって事でもいいんじゃない?」

となりそうですが、この話には(まだまだ)続きがあります。


Bは最初から(学ぶ側の段階に応じながら)細かい事まで指摘するわけですが、これは、その時点毎の問題点を、学ぶ側に出来るだけ具体的に明確に意識してもらう、という事が目的です。

「細かい指摘」とは、要はBが求める「詳細な視点」を獲得する為のヒントに他なりませんから、「細かい指摘」による具体的で明確な問題意識を持った上での練習は、結果として、そのまま「詳細な視点」の獲得へとつながっていく事になります。

つまり、「細かい指摘」にちゃんと耳を傾けながら頑張っていれば、自ずと「詳細な視点」は身に付いていくわけです。


ここでもう1つ重要なのが、Bの細かい指摘があくまで「段階に応じて」なされるものである、という点です。

只の闇雲な指摘では毒にこそなれ薬にはなりませんからね。

「何はさておき今意識すべき点」

これこそがBの「細かい指摘」の正体です。

例えば、「萎縮してしまう」という点は一見するとBの問題点として捉えるべき点のようですが、この萎縮の問題が「何はさておき今意識すべき点」として取り上げるべき段階に至った後に、萎縮せずに書けるようになる為の具体的な練習方法を提示しそれを実行してもらえば、この点はすっかり克服出来てしまうのです。


さて、学ぶ側にするとBは、「細かい指摘」によって、自分がどれだけ書けていないのかという事を嫌という程に思い知らされ続ける、という事になりますが、同時に、徐々に獲得する「詳細な視点」によって、自分がどれだけ進んだのかという事を具体的にその内容を理解し実感する事が出来る、という面もあります。

自分がどれだけ書けていないのかを嫌という程に思い知らされ続けるというのは、確かに楽しい事ではないのかもしれませんが、自分の不足箇所を正しく把握しておく事無しには順調な成長は望めませんから、その楽しくない面も含めて、Bの良い点であるのだと思います。


まぁ、早い話がBというのは

「1段ずつ着実に確実に階段を上っていきましょう。」

という進め方なんですね。


Aの場合には致命的な問題となる練習量の不足も、Bのこのような進め方に於いては、1段ずつ上っていくペースが人それぞれになるというだけの話で、それ以上の問題を生じません。

「1段ずつ着実に確実に」ですから、Aに比べて受ける印象は地味で地道なものかもしれませんが、そもそも書を学ぶというのは地味で地道なものですから、表面上を取り繕って「お手軽お気軽」な雰囲気を装ってみても仕方がありませんからね。

地味で地道ではあっても、自分の目前に浮かんでくる課題を1つ1つクリアしていく事によって、新たな発見や驚きや喜びに出会う事が出来る。

「書を学ぶ」という事の楽しさの大きな一面とは、そういうところにあるのではないかと思いますし、新たな発見や驚きや喜びに出会う為のお手伝いをさせて頂く事こそが、Bの役目なのだろうと、Bの私は思うのです。


さてさて、この辺で漸く本題に入る準備が整ったようです。(まだ前振りだったんかい!?)

という事で、次回はいよいよ本題です。

それではまた。

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「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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2012年06月22日

アプローチの違いに関する考察。その2

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話全体の見通しが立たないままに見切り発車で始めてしまった前回でしたが、ものの見事に前振りだけで終わってしまったので(汗)、早速その続きです。


A、Bは全く正反対ですから、その長所短所についても丁度表と裏の関係になります。


書が持つ様々な側面の中で、初学者が先ず最初に書を「楽しい」と感じるのは、「筆で書くという行為自体」という一面からである事が少なくないと思われますが、その点で言えば、初学者にとっては「最初はあまり細かい指摘まではしない」Aの方が嬉しいでしょうし取っ付きやすいでしょう。

裏を返せばBは(Bの私が言うのも何ですが)取っ付きにくいに違いありません。

最初から細かい点まであれこれ言われてしまうと、

「何だかそれだけで書く気が失せてしまう…」

という人もいるかもしれませんし、そんな事になるくらいなら、先ずは

「のびのび書かせてよ。」

と思うのが自然でしょうからね。

書の世界への導入としては、入りやすいに越した事は無いのですから、この点では完全にAに軍配が上がります。


「と言うか、いっその事Bはいらないんじゃない?」

と思う人もいるでしょう。


ところが話はそれ程簡単ではありません。

問題は、前回触れた

「書いていくうちに」

という前提です。


Aの場合、どれ程に線や形が暴れても、それは「書いていくうちに」収まり、Bの求める詳細な視点についても、「書いていくうちに」獲得出来る、という考え方でした。

ところが、です。

これを実際に当てはめようとした場合、この「書いていくうちに」という前提、どうにも怪しくなってくるのです。


問題は皆さんが書く量、つまりは練習量です。

皆さんの実際の練習量というのは、Aが「書いていくうちに」という前提として想定している量に比すると、圧倒的に少ない、というのが殆どの人に於ける実情です。

つまり、「書いていくうちに」という前提で期待されている線や形の暴れ方の収束も、詳細な視点の獲得も、(練習量が少ないが故に)その段階に至る事自体が極めて難しい注文となってしまうのです。


早い話が、Aというのは学ぶ側の練習量頼みになってしまうんですよ。


その結果、書いていくうちに至る事を期待された段階には全く到達出来ないまま、当の本人の中には

「のびのび書けば(のびのび書きさえすれば)良い」

という歪曲された認識のみが植え付けられる。

只の「暴走」を「勢いがある」などと勘違いしたまま、それに気付かない。(気付く為に必要な視点を獲得出来ない。)

いつまで経っても代わり映えのしないものを、それとは気付かないままに書き続ける。

という、何とも厄介な状態に陥ってしまう事にもなりかないのです。


これまで私はこのブログで「量よりも質」を重視すべきだと言い続けてきましたが、それは皆さんに期待出来る「量」にはそもそも限度があるからであり、その限度ある「量」のみを先行させた意識の中で「質」を追随させるというのは、極めて困難であると考えるからに他なりません。


先程、Aは学ぶ側の練習量頼みになってしまうと書きましたが、だからといって、闇雲に学ぶ側に練習量の増加を求めるわけにもいきません。

書との関わり方というのは人それぞれなのですから、

「とにかくもっとたくさん練習しなさい!」

と言ってみたところで、

「そんなにたくさん練習出来ないし、そもそもそこまで大変な思いをしてまで書を続けたいとは思わない。」

と言われてしまえばそれまでですから。

となると、結局本人の練習量頼みという状態は変えようがないわけで、話が行き詰まってしまいます。

この状態が続けば、本人の進歩は遅かれ早かれ必ず停滞膠着してしまいますので、その停滞の中でいつの間にか書に対する興味も熱意も冷めてしまい、書そのものをやめてしまう、という結末にすらつながってしまいます。

言うまでもなく、最も残念な結末です・・・


何だか重〜い雰囲気になってしまいましたが(汗)、先ずはAについて考えてみました。

次はBについて考えてみたいと思いますが、話がひたすら長くなってきたので、続きは次回に。(やはり御蔵入りにしておいた方が良かったのかも・・・)

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


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2012年06月21日

アプローチの違いに関する考察。その1

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未練がましく御蔵入りだったネタを掘り起こしてみますが、果たして話の収拾がつくのか、と〜っても不安です(汗。こういうのを見切り発車といいます。)


目指すところは同じでも、そこに向かうアプローチの方法が異なる。(因みにゴルフの話ではありません。ゴルフやらないので。)

これは様々な場面で起こり得る話ですが、書を学ぶ時にも当てはまるように思います。

実際的には「学ぶ側」単独の問題としてよりも「学ぶ側」と「教える側」との関係性をも含んだ問題として扱う方が妥当かもしれませんが、このブログの読者の方々の中には「教える側」の介在しない独学という方法で学んでいる方も少なくありませんし、なるべく皆さんに当てはまる話として考えてみたいと思います。


さて、ここでは便宜上、手本そっくりに書く事を一応の目的(目指すところ)としておきますが、例えば初学者に書を教える際(独学の方、暫くお待ちを)、大まかには

「最初はあまり細かい事までは指摘せず、先ずは萎縮せずにとにかく筆で書くという行為が思い切って出来るようになる事を心掛けさせる。」

という方向からのアプローチ(以下A)と、それとは正反対に、

「最初から段階に応じて積極的に細かい事も指摘し、出来得る限り詳細な視点を持てるようになる事を心掛けさせる。」

という方向からのアプローチ(以下B)の2通りがあるように思います。(勿論これ以外の分け方も出来ますが)


Aの場合、

「最初はどれ程に線や字が暴れても気にしなくてOK。それは書いていくうちに徐々に収っていくから。」

という立場です。

この立場では、Bが求める「詳細な視点」についても、「書いていくうちに獲得出来る」という考え方が前提にあるので、「最初はあまり細かい指摘まではしない」という事になります。


一方Bの場合、

「最初はどれ程に線や字が萎縮しても気にしなくてOK。ある段階までいけば萎縮せずに書けるようになっていくから。」

という立場です。

この立場では、Aが求める「筆で書くという行為が思い切って出来る」という点についても、「ある段階までいけば思い切って出来るようになる」という考え方が前提にあるため、「最初から段階に応じて積極的に細かい事も指摘する」という事になります。

まぁ、ものの見事に正反対ですね(笑)


「細かい事を気にし過ぎず、のびのび書きましょう。」

というのはAの先生の決まり文句ですし、

「只がむしゃらに書けば良いというものではありません。」

というのはBの先生の口癖です。

「書の難しさについて最初はあんまりあれこれ言い過ぎない。」

というのがAの教え方であり、

「書の難しさについて最初からしっかり身に染みてもらう。」

というのがBの教え方である、とも言えそうです。


ここまで読んで、以前からのこのブログの読者の方はお気付きかと思いますが、私は基本的にはBですね。

尤も、「何が何でもB」という話ではなく、当然状況を見ながら臨機応変に対応する事になりますので、「どちらかと言えばB」といった感じではありますが。


さて、今回の話、私がBだからといって、「Bでなければダメ」という話なのではありません。

冒頭にも書きましたが、A、Bの違いはアプローチの方法の違いであって、目指すところの違いではありません。

只、皆さんに普段の自分の学び方を振り返ってもらう為にも、それぞれについてもう少し考えてみたいと思います。

思いますが、話が長くなってきたので続きは次回に。(実は最後まで話がまとまっていない、というのはここだけの話)

頑張ってちゃんと早目にアップしますから(ホントか?)、自分の先生はA、B、どちらかと言えばどちらに当てはまるかを考えておいて下さい。

それではまた。

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いらっしゃいませ。

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初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


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