2008年03月15日

蜀素帖

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今回の試食は米元章『蜀素帖』です。

米元章は米フツの方が通りが良いかもしれませんが、「フツ」の字が表示出来ないので、米元章の方で書きます。


因みに、書に関するブログを始めてみて痛感したのですが、表示出来ない文字が多過ぎます(泣)

余りにも頻繁に出くわすので、それだけで書く気を無くしてしまう事も少なくありません。

フツの字はくさかんむりに「市」に似た形を書くのですが、「市場」の「市」そのままと思い違いしている人がいるので注意しましょう。

正しくは「市」の上部の点を、点ではなく下まで突き抜けた縦画にした形です。(言葉で説明すると何とももどかしいですが、分かりますか?)


さて、この米元章、言わずと知れた中国書道史上屈指のテクニシャンで、この『蜀素帖』でも人間技とは思えないような技術の高さを嫌と言う程見せつけられます。

彼が38歳の頃の書だという事ですが、何とも恐ろしいものだと思います。


今回はこの部分を取り上げてみました。

蜀素帖
特に初学者の場合、書の技術と言うとどうしても筆の扱いにばかり目が行ってしまいがちですが、実際にはそれは誤りです。

書の技術に於ける筆の扱いとはあくまでその一部分に過ぎません。

過ぎないのですが、この『蜀素帖』、とりあえず筆の扱いにのみ注意を傾けたとしても、ちょっとの事ではネタが尽きてしまう心配など要りません。

魏晋や書譜を学び続けてきたような人が、

「もう少し違ったものが学びたい」

と思った時、米元章は格好の素材となってくれる筈ですが、魏晋や孫過庭よりも筆の扱いが格段に複雑になっていますから、最初は少々戸惑うかもしれません。


彼の書は大まかに捉えると、

1、『吾友帖』のような、正に魏晋の尺牘を彷彿とさせるようなもの。

2、『蜀素帖』のような、過剰とも感じる程の超絶技巧を駆使したもの。

3、『虹縣詩巻』のような、脂の抜けきった雰囲気を持つもの。


の3つに大別出来ると思いますが、米元章の書として先ずイメージされるのはこの『蜀素帖』のようなタイプでしょうか。

私個人の好みで言えば『虹縣詩巻』のようなタイプの方が好きなのですが、この『蜀素帖』のようなタイプを抜きにして米書を語るわけにもいかないですからね。



今回掲載した部分では、さんずいの変化の付け方が最も端的で分かりやすいと思います。

「二つとして同じ形が出てこない」

というのは、別に米書に限った事ではありませんし、王羲之でも孫過庭でも、名跡と呼ばれるものにはある程度共通する話ですが、その変化の付け方がハンパではありません。

さんずい一つだけとっても、これ程までに多様な姿として書き分けています。

執拗と言いたくなる程の多彩な変化ですが、どれ程変化を付けながら書いていても、そこには米特有の骨格がしっかりと備わっていて、決して破綻してしまう事がありません。


実際にはこのように、ある1行だけを切り取って見てしまうと、字の傾きや行の揺らぎ、左右の行との空間の絡ませ方、等といった部分が分からなくなってしまいます。

先程も書いたように、実はそのような「筆の扱い方以外」の部分にこそ、本当に重要な事が含まれていたりするのですが、今回はそこには目をつぶったまま話を進めましょう。


魏晋や孫過庭に馴染んだ人が彼の書を学ぼうとした時、一番戸惑うのは実は顔真卿の影かもしれません。

この時代は既に顔書を経験経過してきていますから、それ以前の書のように王書一辺倒というわけにはいきません。

距離の置き方は人それぞれではありますが、王書とともに、魯公からの影響も無視して語る事は出来ないと言ってよいでしょう。

特に、その時代の革新として新たな書の限界を画してきたような人達の場合、その根底には極めて深く魯公の書が根差しています。

そこには書に於ける精神性の問題が大きく関わっているので、単なる表面上の類似性のみに目を向けるべきものではないのですが、それでも、王書からの影響だけでは説明のつかない表現(平易に言えば筆使い)が随所に見られるようになります。


話が脇道に逸れましたが、米書でも、顔書との類似点を挙げようとすると枚挙に暇がありません。

直筆で紙に対し垂直に強く筆圧をかけていくような線などに、その影響は顕著です。

この辺りの話はいつかまた改めて「そっくりさん大会」としてでもお話しましょうね。


とにかく、本来であれば米書の前に魯公の書を学んでおいた方が良いのですが、このブログではまだ魯公の書は一つも扱っていない事に気が付きました(汗)

いつもの悪い癖で、順番などお構いなしの思い付きで書いてしまいましたね(苦笑)


臨書する際は、最初はやはり大きめに半紙4文字大か6文字大で始めた方が良いと思います。

それからこれはこの『蜀素帖』に限った話ではないのですが、大きめでの臨書を繰り返したら、徐々に小さくしていって、最終的には原寸大でも臨書してみましょう。


日常の練習では大きめに書く事が多いでしょうから、ついついそれだけで書けたような気になってしまいがちかもしれませんが、それだけでは片手落ちです。

原寸大に書いてこそ気付く事も多々ありますし、本当の凄さが分かるというものです。


何年も書を学んでいるにも関わらず

「小さいものを書くのが苦手」

「宛名書きや年賀状が書けない」

という人は少なくありませんが、そもそも古典名跡名筆と呼ばれるものは、大抵の場合が小さいのですから、それらの臨書を繰り返してきているにも関わらず、小さいものを書くのが苦手というのは、本当は妙な話であるはずです。


我々凡人が小さな字を書くと、いかにも小さな字を書いたように出来上がってしまいますが、古典名跡名筆と呼ばれるものの場合、小さな字であっても見ている方にそれを感じさせません。

簡単に言うと、良いものはどれ程拡大してもアラが見えたりしないのです。

それを臨書しているにも関わらず、いつまでたっても小さいものが書けないというのは、臨書の仕方が片手落ちであるという証拠でしょう。


話が逸れたついでにもう少し続けますが、この話は特に漢字を専門に学んできた人に多いように思います。

仮名の場合、古筆の臨書に於いて原寸大の臨書というのは極めて自然は話だと思いますが、漢字の場合、何故か半紙6文字大程度の大きさで終わってしまう事が多いようです。

これは作品制作を考えた場合に、漢字は仮名以上に大きな字への志向が強まるという事もあるのかもしれません。

仮名の場合、小字のままでの作品制作の場面が漢字の場合よりも多い傾向にあるでしょうから、原寸大の臨書という学習方法も、自分の作品制作へのヒントとして直接結び付きやすいのでしょう。

実はこの問題には、誰にでも参加可能となった公募展の功罪の一端が見え隠れしているように思います。

原寸大臨書まで手が回らないうちに、公募展へ出品する為の「作品」と銘打ったものを次々と書くようになってしまうが為に、いつまでたっても小さな字が書けない、というおかしな話になってしまっているのではないでしょうか。

どうやら話が逸れ過ぎてしまいましたので、この辺で閑話休題です。


とにかく大きく書いたり小さく書いたり、色々とやってみると、その都度新しい発見があったりするものです。

この『蜀素帖』、私は実物はまだ未見ですが、影印本ですらこれ程凄いのですから、実物を見たらさぞかし物凄いのでしょうね。


今回はいつも以上に話が散らかってしまいました(汗)

反省します。


それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。


ラベル:書道
posted by 華亭 at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 試食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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