2007年12月05日

ずれてる?その2

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------

話が途中のまま、アップが遅くなってしまいごめんなさい。


前回は王羲之『喪亂帖』を採り上げて、字形のバランスについて考えてみましたが、今回はその続きです。

さっそくこれを見て下さい。

喪亂帖『首』その1この「首」も、よく見ると、上部と下部とではその中心がずれているように見えます。

今回もこれを加工して真っ直ぐにしてみましょう。














喪亂帖『首』その2どうですか?

確かに上部と下部の中心は真っ直ぐになりました。

でもこれもやはり、何だか落ち着きません。

何故でしょう?

次を見て下さい。









喪亂帖『首』その3これは加工後の画像に色を付けたものですが、先ずは青い横画の長さに注目して下さい。

ちょっと長過ぎてしまうようです。

次に赤い縦画の太さを見て下さい。

ちょっと細過ぎるように感じます。


つまり、青い部分の長さも、赤い部分の太さも、上下がずれているからこそ成り立つ長さであり太さなのです。

裏を返せば、青い部分の長さや赤い部分の太さがこのようであるからこそ、上下がずれているようでありながらバランスが取れているのです。

長さも太さも、これ以上でもこれ以下でもダメなのです。

更に換言すれば、青い部分がこの長さで引かれた時点で、下部が右にずれる事は必然として決定し、下部が右にずれる事によって、赤い部分の太さも必然として決定した、という事でしょう。

このように、一画目の姿が次の一画の姿を決定付けていきながら書き進められ、その連鎖の結果として一つの文字としての全体像が姿を現すのです。

そしてその一つの文字の姿が次の文字の一画目を決定付け、その一画が次の一画を・・・

というように次々と連なりながら書かれていくのです。

以前、この話を最も単純な部分に限定した内容を「最初の一歩」の回でも書きましたね。


初学者の場合、どうしても今書こうとしている一点一画にだけ目がいってしまいがちです。

しかし、その一点一画がそのような姿になっているのには理由があるのです。

その一点一画がそのような姿として導き出された理由が。


ですから、例えば臨書をすると言っても、その理由に気付かずにただ闇雲に書いていてもダメなのです。

臨書とは、ある意味では、この理由を理解しながら、必然の連鎖を後追いする事によって追体験しながら、その感覚を身体に覚えこませていく作業なのです。


以前、このブログのどこかで

「書の才能とは?」

みたいな話をした事がありました。


その時には

造形に対する反射神経

とだけ書きましたが、今回の話の上でもう一度考えてみると、その意味が少しだけでも分かっていただけるのではないでしょうか。


話が脇道にそれ始めたようなので、今回はここまで。

それではまた。

----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 臨書
posted by 華亭 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 試食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック