2008年03月23日

知ったかぶり

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今回は少々視点を変えていきましょう。


突然ですが、私は自分自身も含めて、所謂「一般大衆」というものを全く信用していません。

「世間というのは何が本物なのかをちゃんと分かっている。」

などという言葉も絶対に信じません。


「おいおい、今日は一体何の話だ?」

と思われてしまいそうですね(笑)


まがいもの」の回でも随分と愚痴をこぼしましたが(苦笑)、今の世の中というのは、

「本物かどうか」

よりも

「本物と信じ込ませる事が出来るかどうか」

の方が重要になってしまっています。


そして、一般大衆は自分自身の感覚で選び取ったかのような錯覚をしながら、実は自分以外の人が

「これは本物だ」

と言ったものについてのみ、安心して自分も

「これは本物だ」

と追随しているに過ぎません。



幾つか例を挙げてみましょう。


フジコ・ヘミングというピアニストを御存知ですか?

数年前からマスコミにも積極的に取り上げられるようになった初老の(失礼)女性ピアニストです。

このピアニスト、数奇で悲運な人生を送った人で、

「その音色には深い人生の悲哀が感じられる」

といった感じの紹介をされる事の多い人なのですが、そのコンサート会場での客へのインタビューの場面、みんながみんな異口同音に

「彼女の人生を感じました。感動しました(泣)」

と、涙ぐんでいます。


私はそれを見て

「本当かぁ?本当に人生なんて感じたのかぁ?」

と思わずにはいられませんでした。


「随分とひねくれた奴だな。自分に聴く耳が無いのをひがんでるだけだろ。」

と言われるのも少々悔しいので(笑)、念の為に付け加えますが、例えば皆さん、CDから流れてくる音の塊の中から、ドラムの音だけ、ベースの音だけ、ギターの音だけ、キーボードの音だけ、聞き分ける事が出来ますか?

聞き分けたそれらの音からその曲のアレンジを自分で再現出来ますか?

確かに私にはフジコヘミングを聞き分ける事が出来る程の耳はありませんが、音の塊の中から楽器毎の音を一音一音聞き分ける事が出来る程度の耳なら持っています。

ただ闇雲にひがんでいるのではありません。



同様の話はまだあります。

もう5〜6年前になるでしょうか?(もっと前かな?)

ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」という絵が日本にやってきた事がありました。

自由を求める民衆の想いを描いた名画とされています。

上野の国立西洋美術館に展示され、その展示初日の模様はニュースでも報道されるほど話題となりました。

私も東博に行ったついでに寄って(空いていたので)、見て帰ってきました。(因みに私は国立西洋美術館が大っ嫌いです。あんなに見る側の事を無視した作りの美術館などそうざらには無いでしょう。)


で、問題は先述のニュースでの映像です。

ある若い女性が絵の前に立ち、涙を流しているではありませんか!?

インタビューされたその女性はこう答えました。

「自由を求める人々の想いが胸に迫ってきて・・・(涙)」


これを見た私は

「本当かぁ?本当に迫ってきたのかぁ?」

と思わずにいられませんでした。



さて、今日の私は我ながら随分と辛辣ですが(苦笑)、何が言いたいのかと言うとですね、


「ここに挙げた人達は、自分以外の人間による評価無しでも、本当に同じように涙を流したのか?」


という事です。


誤解しないで欲しいのですが、私は別にフジコ・ヘミングの音楽やドラクロアの絵を否定しているのではありません。


例えば、フジコ・ヘミングの演奏と、別のピアニストの演奏と、その両者の演奏を、音だけを聞いた上でフジコ・ヘミングの演奏を選び

「この音には人生の悲哀を感じる(泣)」

と彼女の演奏に対して涙ながらに言うのなら、私はその言葉を信じますし、ドラクロアの絵が描かれた時代的背景など何も知らずにあの「自由の女神」を見て涙したというのなら、それもまた信じましょう。


ところが実際には、フジコ・ヘミングの数奇な人生を知った上で、彼女の演奏にそのイメージを「後付け」で重ね合わせているに過ぎないとしか思えないですし、ドラクロアの絵の場合も、あの絵の描かれた時代背景を承知した上で、これまた「後付け」でそのイメージを重ね合わせているに過ぎないとしか思えないのです。


これまた数年前、中川一政氏の遺品がオークションに出品されたことがありました。

その中に、ゴッホ風のタッチの絵が一枚含まれていたのですが、本当にゴッホかどうか不明だったので、入札開始価格が1万円とされていたのだと記憶しています。

ところが数日後、その絵が正真正銘ゴッホ作だと判明した途端、その絵の値段は跳ね上がり、最終的には数千万円という値が付いたのです。

この珍事もニュースで報道されたので、記憶している方もいるかもしれません。


私はこの話をニュースで見た時

「くだらないなぁ・・・」

と思わずにいられませんでした。


要はこの場合、絵そのものの価値に値段が付けられているのではなく、ゴッホという名前に値段が付いているのです。

換言すれば、ゴッホという名前に価値が付けられているであって、絵そのものに価値が付けられているのではないのです。

きっと天国の中川氏もさぞかし苦笑いしていたでしょうね。


これらの話は全て、自分以外の人間による評価に基づいた判断に過ぎないと思うのです。

確かにこんな話は世の中に掃いて捨てる程あるのでしょうし、耳にする度、目にする度に、いちいちイラついている私の方がおかしいのでしょうが、それでも私は自分自身にいつもこう言い聞かせます。


「知ったかぶりや分かっているふりはやめよう」


これも数年前の話ですが、東博で「国宝展」というのが開かれた事がありました。

平成館で行われたそれは、まさに長蛇の列という形容がぴったりくるようなうんざりする程の人の数でしたが、私の好きな東洋館はいつもと大して変わらず静かなものでした(笑)


それでも「国宝展」を見に来た人が少しは東洋館にも流れてきたらしく、いつもは全くと言ってよい程に人気が無い中国書跡のコーナーにも、ポツポツと人が訪れています。

もっとも、その殆んどがちらっと一瞥だけして通過してしまう人達でしたが。


その中の一人の中年男性、明らかに書になど興味は無いらしく、奥さんらしき女性と共に、やはりガラスケースの前をどんどん素通りしていきます。

ところがその男性、趙之謙の行書軸の前で立ち止まり、それをまじまじと見上げ始めたのです。

そして一言、


「これ、どこが上手いんだ?さっぱり分からん(笑)」


私は感心しました。

分からないものに対して、何のためらいも無く、素直に分からないと言ったこの男性の潔さにです。

そして、自分もこうでありたいと思いました。


趙之謙の行書などというものは、書に興味の無い人がいきなり見て

「上手いなぁ」

などと思えるようなシロモノではありません。

それどころか、下手なだけの字にしか見えないでしょう。


そうであるなら、何やら分かっているような顔をするより、

「さっぱり分からん」

と断言してしまえる事の方が、余程立派だと思うのです。

そして、その潔さがあれば、自分以外の人間の評価に安易に追随してしまうなんて事も無いはずです。


鵜呑みにして保留」の回の内容と似た話になりますが、分からないのであれば、それはとにかくそのまま、分からないまま、自分の中に保留にしておいて、本当に分かるようになるまで自分を磨くべきだと思うのです。(もっとも、その対象に対して、そこまでの興味があればの話ですが)


話を書に限定すると、私の経験から言えば

「分かったような気がする」

などという感覚は、十中八九ただの勘違いです。

本当に「分かっている」などというのは、分かっているのかどうかなどという事を改めて意識することなど無く、実際の行動の一部として完全に馴染んでいるものの事ですよ。


私は今でも、弟子に質問された時ですら、私の知らない事や分からないものについては

「分からない」

と言ってしまう事にしています。

確かに教える側の人間としては随分と格好悪い話ではありますが、知ったかぶりをして嘘を並べ立てるよりは余程ましだと思うのです。

勿論、それが調べて分かりそうな事なのであれば、次回の稽古までに必死になって調べ上げておいて、名誉挽回に努めるのは言うまでもありませんが(笑)



さて、いつもの癖で話が散らかり過ぎてしまったようです(苦笑)

とにかく皆さん、「知ったかぶり」や「分かっているふり」など、キレイさっぱりやめてしまいましょう。

その方が結果として色々なものが見えてくるようになりますよ。


今回はここまで。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

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誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。
ラベル:書道
posted by 華亭 at 02:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お誕生日おめでとうございま〜す♪

>今の自分の実力と『蜀素帖』を比べると悲しくなりますね

あ、そういう事言い出すと 私の場合(いちおう夢もありましたが・・・過去形)何回も自殺しなくてはいけなくなるので 死ぬまでにかなえば良いと 開き直っています。
Posted by minako(f改め) at 2008年03月23日 22:48
minako様

誕生日へのコメント、わざわざ御丁寧にありがとうございますm(__)m

今日までの自分を振り返ってみると、この仕事を始めた時に自分で予想していた程には前へ進めていないような気がします。

何の事は無く、怠けてきた分だけ遅れてるんですけどね(苦笑)

それより何より、もうちょっとこのブログのアップ率も上げないといけないですね(笑)
Posted by 華亭 at 2008年03月23日 23:22
さっそく、

行書七言古詞四屏
http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/LL_380.jpg

を見てみました。

私は書道はド素人ですが、ややや!これは滅多に見られない、なかなか味のある字だと思いました。どこかの達人がそっくりに臨書した偽物でも良いから部屋に飾りたくなりました。(自分で偽物作ろうか、とも)

たぶん、まあそうやって自分で楽しむぶんには良いでしょう、誰に迷惑かけるでもなし、って華亭さんに言われそうですね。

毎度、華亭さんのブログは痛烈ですが、納得する事が多く、しばしば拝見させていただいてます。

なるべく定速、定圧、ゆっくり、丁寧に書く事を心がけています。

ありがとうございます。


Posted by nojio at 2012年06月19日 10:29
nojio様
コメント有難う御座います。

趙之謙の行書、早速御覧になられたようですね。
この記事が趙之謙を知るきっかけになったのでしたら嬉しく思います。

> 毎度、華亭さんのブログは痛烈ですが

(汗)皮肉と愚痴が入り混じった駄文を思うままに書き散らしたブログですので、何卒御海容の程。
Posted by 華亭 at 2012年06月19日 23:29
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