2007年05月10日

向き不向き。その4

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「向き不向き」として始めたこのテーマも、とうとう「その4」になってしまいました(汗)

こうなってしまいそうな予感がしていたからこそ、ついついこのテーマについて書くのを先延ばしにしてたんですよねぇ(苦笑)

果たして今回で終わるのやら・・・


さて、前回の続きです。

そもそも書の才能って何だろう?

という話でしたが、

「字がキレイに書ける能力」



「筆が自在に扱える能力」

といったものは、書の才能とは関係が無いと言いました。


「え〜〜〜〜っ!?」

と思われた方も多いと思いますが、嘘ではありません。


「字がキレイに書ける」為には、目の前の形を正確に写し取ってそれを再現するという力が必要となりますが(勿論、細かく言えばこれだけでは足りませんが)、これは何も書に限ったものではありません。

最も分かりやすい例を挙げてみましょう。

絵を学ぶ際の基本的な訓練としてデッサンというものがありますね。

そこで問われるデッサン能力とは、「目の前の形を正確に写し取って再現する」力に他なりません。


子供の場合、絵が上手な子供は殆んどの場合字もキレイに書きますが、これは、絵を上手に描くことと字をキレイに書くことと、その両者の過程には共通する感覚が働いているからです。

つまり、「字がキレイに書ける能力」というのは、書だけに必要な能力ではないのです。

確かに、持って生まれた個性として、つまりは先天的にこの感覚を強く持って生まれてきた人間がいることは事実ですが、練習によっていくらでもカバーする事が出来る、つまりは後天的な後付けがいくらでも可能な感覚であるというのもまた事実です。

もしもこの後付けが全く無意味で不可能なものであるのなら、私の仕事は単なる詐欺師ということになってしまいますよ。


臨書が好きで何が悪い」の回でも似たような話をしましたが、「字がキレイに書ける」というのは、書の全体像からすれば極めて狭い範囲の話ですから、我々にとっては「キレイに書こうと思えばいつでも書けて当たり前」ですし、この場合の「当たり前」とは「最初は書けなかったとしても、書けるようになるまで練習して当たり前」という事を意味します。

当たり前の事ではありますが、それが優れた書を書く為の絶対条件なのかと言えば、そうではありません。

皆さんにはこの辺りがややこしいのかもしれませんが、絵に関して言えば、上手にデッサンが出来れば必ず優れた絵が描けるのかというと、必ずしもそうではないはずです。

それと同様に、字がキレイに書けるからと言って優れた書が書けるというわけではないのです。

つまり、

「字がキレイに書ける能力」

というのは、書の才能とは関係が無いのです。


一方の

「筆を自在に扱う能力」

に関しては言うまでもありません。

が、言わないわけにもいかないので(笑)、話を続けましょう。


一般的には「筆を自在に扱えるかどうか」のみが、書に於ける技術の有無の全てと考えられてしまいがちですが、実際には「筆を自在に扱う」というのは、書に於ける技術の中のあくまで一部分でしかありません。(これについての詳細は今は述べません。)

ここでは話を単純にする為に「筆を自在に扱えるかどうか」という部分にのみ焦点を当て、それを技術の全てであると仮定して話を進めてみましょう。


筆を握ったまま生まれてくる人間などいないのですから(笑)、筆が自在に扱えるようになるかどうかは、単純にどれだけ練習したかによっています。

前回、キャベツの千切りや運転免許の例えを出しましたが、出来るようになるまで練習したかどうか、という以外に必要な能力も感覚もありません。


技術って本当にいらないの?」「技術って本当にいらないの?その2」の回でも書きましたが、表現する為の道具としての技術は持っているに越した事はありませんし、それを手に入れる為の努力は絶対に惜しむべきではありません。

しかし、技術が優れていれば必ず優れた書が書けるのかというと、これまたそういうわけではないのです。


つまり、

「筆を自在に扱える能力」

というのは、書の才能とは関係が無いのです。


さて、皆さんが「書は向いていない」とか「自分には才能が無い」とかいう場合に想定している「才能」とは、「字がキレイに書ける」とか「筆が自在に扱える」とか、この辺りの話なのではありませんか?

だとすると、繰り返しますが、それらは書の才能とは関係がありません。

関係の無いものを持ち出して「向き不向き」を語り、努力をしない自分への言い訳にするという事がどれ程見当違いな事か、分かっていただけたでしょうか?


「才能」という言葉を自分の努力の無さを誤魔化すための免罪符として使っているうちは、本当の意味での「才能」は決して理解出来ないと思います。


ここまで4回にわたって「向き不向き」というテーマで話を進めてきましたが、ようやく終われそうです(笑)

かなり愚痴っぽい辛口の内容になってしまいました(汗)

反感を買いそうですよねぇ・・・(苦笑)


そうそう。

このまま終わってしまっては

「それなら結局、書の才能って何なんだ?」

と言われそうですね。

ひと口では難しいのですが、私が考える「書の才能として不可欠なもの」を、ここではとりあえず一つだけ挙げておきます。


それは、

「造形に対する反射神経」

です。


「???」

と思われたかもしれません。

これについて話し始めると、それこそとてつもなく長くなってしまいそうなので(苦笑)、またいつの日にか改めて。


今回はここまで。

それではまた。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。


ラベル:書道
posted by 華亭 at 19:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
向き不向きについて自問自答していたら1ヶ月過ぎてしまいました。笑
才能って何だろう、天才とは?努力とは?と、、、色々考えてしましたが、結局私の答えは「好きかどうか」でした。自分に習字の才能があるとは思えませんし、100努力してるかと問えばしてないと思います。でも好きだから続いてるんですよね。…ただ「書道限定・いっぱい練習しても飽きない才能」なら、もしかしたら、あるかもしれません。笑
Posted by aoisora at 2016年09月10日 21:49
aoisora様

こんにちは。返事が遅くなり申し訳ありません。

この辺りの話、人によって捉え方や考え方は様々だと思います。
「こんな考え方の人もいるんだなぁ」程度に聞いて頂ければ幸いです。

随分前に書いた記事ですが、今読み返してみると、随分と感じ悪いですね(汗)
Posted by 華亭 at 2016年09月13日 22:05
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