2007年03月12日

科挙

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これまでこのブログでは『文庫本の実力』『文庫本の実力。その2』として数冊の文庫本を紹介してきましたが、今回も文庫本です。

今回は次の本を紹介したいと思います。

『文庫本の実力。その3』としても良かったのですが、1冊だけを紹介するのに『その3』とするのも大げさな気がしたので、今回は単発として紹介します。





中国史上、極めて重要な意味を持つ科挙制度ですが、「官吏を登用するための試験」というくらいの知識はあっても、更に具体的にどのようなものであったのかという事については、知らない人が多いと思います。

そんな科挙について、極めて詳細でありながら、とても読みやすい内容として書かれているのがこの本です。

科挙にまつわる裏話や逸話がふんだんに盛り込まれていますので、最初から最後まで退屈せずに読むことが出来ると思います。


米元章も董其昌も、あれほど縦横無尽な字を書いた王鐸ですらも、これほどの試験を受けたのだと思うと、彼らの根底に敷衍されていた知識水準について、改めて考えさせられます。

勿論、科挙に求められた知識の内容が極めて偏ったものである事は言うまでもない事実ですが、宋代であろうと明代清代であろうと、時代を越えた前提条件としての知識水準を保持する役目を担っていたのが科挙であることは間違いありませんし、それが中国文化の根底の一端を厳然として支え続けていた事もまた事実です。

そこに求められた知識水準を前提とした上で、彼らの書が実現されてきた事を考える時、

「漢文はどうも・・・」

などと逃げ腰になってしまう我々は、彼らの書の表面を軽く撫でる事すら出来ていないのではないか、という思いに晒されます。

狂草で謳われた祝允明の小楷があれ程の品位を放つのも、科挙に求められた知識の裏付けと、答案を書く際に必要不可欠となる小楷の鍛錬があった事は間違いありません。


私は何も「彼らと同等の知識を持たなければならない」などと言うつもりなのではありません。

只、彼らの根底は、我々が想像しているよりも遥かに深く広いのだという事だけは、知っておいても無駄にはならないと思います。


今回はここまで。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道
posted by 華亭 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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