2007年02月04日

粘葉本和漢朗詠集

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今回のテーマは『粘葉本和漢朗詠集』です。

このブログではこれまで、中国の漢字ものばかり取り上げてきたので、読者の皆さんの中には

「仮名は取り上げないのかな?」

「この人は漢字が専門なのかな?」

と思っていた方も多いかと思います。


書を学んだ事のない一般の人達から見れば、書の中に「漢字」や「仮名」といったカテゴリーが存在している事すら不思議な話でしょうし、ましてや「漢字が専門」などと言うと

「漢字だって仮名だって、書は書でしょ?」

と思う筈です。


私の場合、実際に展覧会に作品を出品するような時には漢字の作品の場合が殆んどですし、時間的に見ても漢字を扱っている方が長いので、その意味では

「漢字が専門」

と言えるのかもしれませんが、教室で人様に書を教える立場からすると、

「漢字しか書けません」

「仮名は出来ません」

というわけにもいきませんし、それこそ漢字だろうが仮名だろうが

「書は書」

ですから、自分の中で分け隔て無く、といつも考えています。


自分の好みや興味がどちらか一方に傾いてしまうのは自然な事だとは思いますが、それでも読者の皆さんも、

「自分は漢字だけ!」

「私は仮名一筋!!」

とあまり一途に決め付けてしまわない方がいいと思いますよ。

漢字も仮名も

「書は書」

なんですから。


前置きが長くなりましたが、今回は「臨書のすすめ 仮名」の1回目として『粘葉本和漢朗詠集』を取り上げます。

前置きの続きとして言えば、この書には漢字も仮名も含まれているので、その両方からの視点に立って見る事が出来ます。

「臨書のすすめ 仮名」として扱うのは便宜上の事ですのでそのつもりで。

テキストはとりあえず二玄社『日本名筆選』として話を進めます。


『和漢朗詠集』の写本として有名なものはいくつかありますが、書で扱う場合、先ず挙がるのがこの『粘葉本和漢朗詠集』です。

と言うよりも、書の世界では特に説明が無い場合、『和漢朗詠集』と言えばこの『粘葉本和漢朗詠集』のことだと思ってもらってかまいません。

以下『朗詠集』と記述します。


戦前戦後から現代にかけて活躍した仮名の大家達が異口同音に、

「文検対策にこの『朗詠集』をひたすら練習した。そのせいか、そのうち退屈なものに思えてきて『関戸本古今集』などに目がいくようになった」

といったような内容の話をしています。


時々、その言葉の表面だけを鵜呑みにして

「『朗詠集』は退屈なものなんだ」

と勘違いしている人がいます。

更には歪曲して

「やる必要などないんだ。」

などと思っている人までいますが、言うまでもなく、これは大きな誤解です。


「退屈なものに思えて」

なんてセリフは、退屈なものに思えてくるほどまでにやった人だからこそいえるセリフであって、我々凡人がそんな事を言ってはいけません。


この辺りの扱われ方は、ちょうど『九成宮醴泉銘』に似ているかもしれません。

一見すると何のことはないように見えても、少し本気でやってみれば、その凄さが嫌と言うほど分かる筈です。


漢字まで含めるとかなりの分量がありますので、余程本腰を入れてかからないと

「ちょっとだけ臨書してみたことくらいならある」

という結果に終わってしまいます。

頑張りましょう。


漢字については、中国ものの勉強ばかりしてきた人にとっては、最初は非常に強い違和感を感じるだろうと思います。

実は私自身もそうでした。

最初に見た時は

「何がいいんだろ?」

というのが正直な感想でした。


それでも我慢して臨書を続けているうちに、中国ものの感覚とは全く異質の書の凄さが見えてきたのです。

所謂「和様」と呼ばれる書姿ですが、そういう理屈は抜きにして、とことん付き合ってみて下さい。

「和様」「唐様」といった話は別にしても、このような細字でありながら、これ程の結体や用筆を見せている、というだけでも、十分に驚異的です。


特に中国もののみで学んできた皆さんに強くお薦めします。

とことん付き合ったその結果として、「和様」とは何か?「唐様」とは何か?という、言葉ではなかなか具体的に説明しづらい部分も、自然と感覚として理解出来ている筈です。


その上で

「やっぱり自分は中国ものの方が好きだ」

というのであれば、それも一つの道でしょう。(ちなみに私はこれです)


話が脱線しますが、「和様」「唐様」といったものを理解する為には、単純に「日本人が書いた書」「中国人が書いた書」というだけでは全く意味がありません。

日本人が書いても「唐様」は「唐様」です。

『風信帖』をいくら臨書してみても、「和様」は理解出来ませんから。


閑話休題。

とにかく、これだけの書を知らないままでは余りに勿体無さ過ぎます。

仮名の部分では所謂「平仮名」の姿としての、漢字の部分では所謂「和様漢字」の姿としての、それぞれ典型として挙げられるべきものですから、これをとことんやっておけば、その後にどちらに行くにしても基準がぶれるという事が起こりにくい筈です。

仮名を専門とする先生の中には、漢字の練習もこの『朗詠集』一点張り、という場合もある、という話を聞いた時には流石に驚きましたが、そういう先生もいるほどに、この書の重要性は高い、と思っておいて間違いはありません。


さて、仮名の部分にしろ、漢字の部分にしろ、いざ実際に臨書を始めようと思った時に問題になるのが、拡大して臨書するのか、原寸で臨書するのか、という点でしょう。

話は『朗詠集』に限ったことではないのですが、現実的に考えると、初学者の方が、これをいきなり原寸大で臨書するのはまず無理、と言うよりも、正直な話、不可能だと思われます。

出来れば大きく臨書することから始めて下さい。

テキストを拡大コピーすれば、手本として用意する事はそれほど難しい話ではないと思います。

漢字なら半紙に4〜6文字大、仮名なら半紙を縦にして2〜3行、その程度の大きさから始めれば、極めて繊細な筆使いも気が付きやすいでしょう。


仮名の練習と考えれば、漢字の部分は抜かして仮名の部分だけを臨書する、というのも一つの方法かもしれませんし、漢字の練習と考えればその逆もあるのかもしれませんが、ここはせっかくなので仮名も漢字もいきましょう。


少しだけ、実際に臨書する際の具体的な注意点を挙げておけば、この書はもともとの天地間が狭いため、特に漢字の部分では字間が極めて狭く、少々窮屈な感じがあります。

漢字は上下が狭い結果の必然として、横画が水平に近付き、その分左右への広がりが大きくなります。

仮名は連綿に於いて、この『朗詠集』と同筆とされる『高野切第三種』と比較すると、下(次の文字)への動きが小さく控えめになっています。


これだけを読むと欠点のように思われるかもしれませんが、この部分があってこそ、この『朗詠集』独特の雰囲気を醸し出している事もまた事実ですから、臨書するに際しては、先ずはこの辺りから注意してみてはいかがでしょうか。


とにかく1回通して臨書するだけでもかなりの根気を必要とするでしょうが、諦めてはいけません。

途中で投げ出してもいけません。


頑張りましょう。


次回はいつになるのでしょうか(苦笑)

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

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誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。


ラベル:書道
posted by 華亭 at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨書のすすめ 仮名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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