2006年10月16日

乙瑛碑

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今日は前回に続き「臨書のすすめ 隷書」です。

今回は『乙瑛碑』を取り上げます。


今回も「何から始めれば?隷書の場合」の回と内容が重複してしまう部分もありますが、お許し下さい。


二玄社『書道講座 隷書編』を読んで

「おぉっ!なるほど!」

と思った私が、その後しばらくひたすら『乙瑛碑』の臨書に明け暮れた、というのは「何から始めれば?隷書の場合」の回でも書きましたね。


前回取り上げた『曹全碑』を見慣れた目でこの『乙瑛碑』を見ると、随分と力強い印象を受けると思います。

これは『曹全碑』と比較すると、筆画が太めで、左右への払いの伸ばし方が控えめであること、などからくるものだと思います。

どっしりとした構えの力強さは、漢隷八分中でも随一と言って良いでしょう。


書道講座』の解説を読みながら、一字一字、一点一画を丁寧に観察していくと、そこには極めて理知的で用意周到な文字造形が成されている事に気が付かされます。

しかも、その理知的で用意周到な造形が、少しも嫌味に感じることなく、自然に達成されている事には驚きを禁じ得ません。

その辺りに気が付くと、西川寧氏が『書道講座』の中で、隷書の解説に『曹全碑』でも『禮器碑』でもなく、この『乙瑛碑』を選んだ理由も、次第に見えてくるのです。

この書が持つ強靭なまでの構築性は、良くも悪くも叙情に流れやすい我々日本人にとっては、恐らく最も距離の隔たりのある造形感覚だと思いますが、だからこそ、一度じっくりと取り組んでみる必要があるのではないでしょうか。


公募展の会場やネット上のHP、ブログなどで、この『乙瑛碑』の臨書を、勘違いしただけのただの

「ヨタヨタのデレデレ」

として書いているものを時々見かけますが(苦笑)、それらはただ単に『乙瑛碑』と同じ文字が配列されているというだけで、この『乙瑛碑』の持つ芯が全く見えていないとしか言いようがありません。


我々日本人は、「ヨタヨタのデレデレ」の造形を目にすると、すぐに「味わい深い」とか「味がある」などと表現して分かったような気になってしまう悪い癖がありますが、本物の「崩れ」や「揺らぎ」や「歪み」というのは、そんなものとはまったくの別ものです。

ましてやそんな「ヨタヨタのデレデレ」を叙情性と勘違いして悦に入るなどというのは、まったくもって問題外です。


この辺りの話は、「技術って本当にいらないの?」「技術って本当にいらないの?その2」で話した内容とも重なるのですが、「正」を知らずに「奇」を語る事など出来ません。

崩れても揺らいでも歪んでもいない状態というものを知りもせずに、本物の崩れや揺らぎや歪みが持つギリギリのバランスを感じる事など不可能です。

本物を知らないまま、「ヨタヨタのデレデレ」を「味」だの何だのと言って悦に入る事は、本物のダイアモンドの輝きを知らないまま、プラスチックのイミテーションの輝きについて賛美するに等しいと言えるでしょう。


話が逸れてしまいましたが、隷書の持つ構築性や造形の仕組みを学ぶのに『乙瑛碑』は絶好のテキストです。

それほど長い銘文ではありませんので、全臨を繰り返すにも都合が良いですしね。


『乙瑛碑』の臨書によって隷書の骨格を鍛えておくと、他の隷書を書いた時にも、ここで鍛えた骨格の強さが自然と表われてくるものですし、前述の

「ただのヨタヨタのデレデレ」

みたいなものを目にしても、それがまがいものであると瞬時に判断出来るようになっていきます。


前回の『曹全碑』の臨書をする際、この『乙瑛碑』の臨書を繰り返す前と後とで、違いがあるのかどうか、試しに両方をとっておいて比較してみると面白いかもしれませんね。


もちろん今回もひたすら形臨です。


「形臨ばかりを繰り返すと型にはまってしまう恐れがある」

などといった話を何処からか聞きかじってくる人がいますが、前にもどこかの回で書いたとおり、5回や10回形臨を繰り返した程度では、型にはまる事すら出来ません。

ですから安心して形臨を繰り返して下さい。


『乙瑛碑』、面白いですよ。


さて、次回は何の話にしましょうか。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


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ラベル:書道
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posted by 華亭 at 02:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 臨書のすすめ 隷書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
どの記事も大変興味深く読ませていただいています。
ところで、乙瑛碑の全臨を1日2回できるとありますが、そもそも全臨とは、同じ文字は1回だけしか書かないで全部書き通すのでしょうか?それとも、何枚かある程度納得のいくまで書いて、次の字に移っていくのでしょうか?


Posted by まり at 2008年01月19日 20:36
まりさん。はじめまして。
コメント有難う御座います。

御質問についてですが、ここでの

「乙瑛碑の全臨を1日2回」

というのは、基本的には同じ文字は1回だけしか書かずに次々と書き進んだ場合の話です。

勿論書き損じる事もありますので、全ての文字が1回だけ、というわけにもいかないでしょうが。

但し、納得いかないまま次々と書き進んでしまうという意味ではありません。

その1回で自分がある程度納得出来るだけのものを書きながら、次々と最後まで書き通すという意味です。

ですから、もしも現時点でのまりさんが

「1回だけしか書かずに納得出来るだけのものを書くなんて、とてもじゃないけどダメ」

という段階なのでしたら、次々と書き進めるような書き方は、今はまだしない方が良いと思われます。

ここでの臨書は、筆づかいや字形の練習としての意味合いよりも、後戻りの許されない1回限りの本番に近いものだと思っていただくと想像しやすいでしょうか。

書とは本質的には1発勝負の表現形態です。

後戻りも書き直しも許されません。(これについてはそのうちにまた詳しく記事で書きたいと思います。)

1字毎、1点1画毎にじっくりと学ぶ事の重要性は言うまでも無い事ですが、実はそれも

「1発勝負」

を可能とする為の練習なのですから。


どうでしょうか?
少しは御質問への回答になりましたか?

なかなかアップ率の上がらない地味ぃなブログですが、これからも遊びに来ていただけましたら幸いです。

今回のような御質問がありましたら、どうぞ御遠慮無く。

Posted by 華亭 at 2008年01月19日 22:10
ご回答有り難うございます。
大変良くわかりました。
私の場合は一回きりだったり、数枚だったり、最初は数枚だったのが途中から一回になったりとか色々です。
ただ、師匠(故人)が臨書のやり方を教えてくれなかったので、これでいいのかと疑問に思っていました。
疑問が解けてすっきりしました。
一発勝負について今後記事を書かれると言うことですので、楽しみにしています。
Posted by まり at 2008年01月21日 15:37
少しはお役に立てたようで嬉しいです。
「一発勝負」の話については、いつになってしまうか分かりませんが(苦笑)
いつか必ず書くつもりですので、気長にお待ち下さい。
Posted by 華亭 at 2008年01月22日 14:20
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