2010年12月19日

子供の字

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今回は前置き無しです。


「幼い子供が書く字のような天真爛漫な字こそが書の理想だ。」

という考えがあります。

「子供の字には『上手に書こう』などといった余計な雑念が入っていないから純粋無垢である。」

と。


このような考え方に接する度、私にはどうしても納得出来ない事があります。


子供は本当に「上手に書こう」とはしていないのでしょうか?

そんな事、私には到底信じられないのです。


私自身の記憶で言えば、漸く字が書けるようになってきた頃、自分ではそれこそ一生懸命「上手に書こう」としていた事をはっきりと覚えていますし、自分では「上手に書けた」と思っていた字が保育園の先生に直された事がとてもショックだった事を今でも鮮明に覚えているのです。

私の息子は今4歳ですが、字を覚え始めた3歳の頃、私が何も言わずとも、それこそ夢中になって私の書いたものを見ながらそっくりに書こうとしていましたし、「うまくかけないの」と言って悔しがって泣き出してしまった事も1度や2度ではありません。

これはどう考えても息子が「上手に書こう」としていたとしか思えないのです。


子供が他の事になど目もくれず夢中になって上手に書こうとしているその様子を「純粋」であると言うのであれば、私も納得出来ます。

しかし、子供が「上手に書こうなどとは思わずに書いている」という意見には、自分の経験からしても息子の様子からしても、どうしても同意出来ないのです。


そして冒頭の

「子供の字には『上手に書こう』などといった余計な雑念が入っていないから純粋無垢である。」

という考え方にも納得がいきません。


これは裏を返せば

「『上手に書こう』という意識があるとすれば、それは純粋ではない。」

という事になります。


息子の書いた字は一見何の屈託も無いものに見えますが、同時にその字は彼が彼なりに精一杯丁寧に、慎重に、「上手に書こう」として書いた結果でもあるのです。

「ほらみて、じょうずにかけたでしょ。」

と息子が私に得意気に見せる字は、言うまでもなくたどたどしいものですが、それがどれ程たどたどしいものであっても、息子が一生懸命に書いた字である事に変わりはありません。

そんな息子の字は純粋ではないという事なのでしょうか?


「あなたやあなたの息子は特殊な例だろう。」

と言う人もいるかもしれませんが、それなら私達親子は、本来誰しもが持つはずの純粋無垢であるはずの時期を持たないままに、字を覚えてしまったという事なのでしょうか?

本当に、子供は子供なりに、「上手に書こう」としてはいないのでしょうか?


この辺りの事を考え始めると、冒頭に挙げた考え方には何だか

「お前達は生まれつきの不純物だ。」

とでも言われているような気がして悲しくなります。


今回は何だか暗い話になってしまいましたね。

皆さん、子供の時の記憶、残っていますか?


今回はこれまで。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

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あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 通信添削
posted by 華亭 at 11:38| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も子どもの頃は手本に近づけるように、
と稽古していたような覚えがあります。

大人になった今、子どもの作品を見ると
お手本を注意深く見ながら書いている様子が伝わってきて
微笑ましいと同時に、キラキラとしたまぶしさを感じます。

そのひたむきさが「純粋」なのではないでしょうか。
それは子どもだけでなく大人にもいえると思います。

冒頭に挙げられているような考え方は、
手本がなく好きなように書いた場合に当てはまるように私は思います。
以前「好きなように書いてみる」という講座に参加した時に
戸惑ったり縮こまったりする大人とは対照的に、
のびのびと楽しそうに書いた作品は
見とれるほどうらやましく、持ち帰りたいほどのものでした。

大人、子どもの関係なく「書」に対して
無防備な伸びやかさがカギなのかなぁと思います。
Posted by 芝風 at 2010年12月21日 17:54
芝風様
コメント有難う御座います。

恐らく芝風様のおっしゃる通りだと思います。

この辺の話というのは、書に限らず所謂「作為性」の問題とも絡む非常に難しい問題ですが、
ただただ無条件に子供の書いた(描いた)ものを「純粋だ!」とする考え方の前提としての
「上手に書こう(描こう)としていない」という見方には、私なりの疑問を持っているので、
今回記事にしてみました。

この記事がこの事について皆さんそれぞれが何かを考えるきっかけになってくれたら嬉しく思います。
Posted by 華亭 at 2010年12月22日 08:17
華亭様

拙ブログのほうへコメントありがとうございました。英会話ブログを書いている者です。

このたびは
ブログ記事の一部無断引用失礼いたしました。

おいそがしい中、拙ブログにお足を運んでいただきありがとうございました。

みゆき
Posted by みゆき at 2011年04月25日 22:52
みゆき様

わざわざこちらにコメントを頂き有難う御座いました。

アップ出来ないままになっているブログですが、お暇な時にでも覗きにいらっしゃって下さい。
Posted by 華亭 at 2011年04月26日 08:05
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