2009年10月04日

たかが距離、されど距離

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前回はおはぎやら大福やらの話で終わってしまったので(笑)、今回は話を書に戻しましょう。

そこで今回の内容ですが、毎度の事ながら、これまでにこのブログの何処かで似たような話をした事があったような無いような、そんな感じなので、重複部分はお許し下さい。


皆さんは普段、書の練習をいうと、半紙大や半懐紙大での練習が中心の人が多いのではないかと思います。

勿論、紙の大きさは色々とありますから、半紙大や半懐紙大以外にも半切やそれ以上の大きさのものも書いている、という人もいるでしょう。

今回の主役は、そういった大きな紙にも書いている人達です。

話を単純にする為に、以後は小さいものを半紙大とし、大きいものを半切以上として考えてみます。


突然ですがここで1つ問題です。


小さいものと大きいものと、この両者に於ける決定的な違いとは一体何でしょう?


「大きさ」

ってそれは当たり前過ぎますから除きます。


答えはですね。

「作品とそれを見る人との距離。」

の違いです。


簡単に言うと、大きいものの場合、作品を見る人との距離が小さいもののそれよりも遥かに離れているのです。


「なぁ〜んだ。それだってやっぱり当たり前でしょ。」

と思うなかれ。

この当たり前の事実には、実に重要な問題が含まれています。


この当たり前の事実を別の角度から換言すると、小さいものの場合、

「書く時の『視点から作品までの距離』と、それを見る(見られる)時の『視点から作品までの距離』が殆んど変わらない。」

のに対し、大きいものの場合、

「書く時の『視点から作品までの距離』と、それを見る(見られる)時の『視点から作品までの距離』が大きく異なる。」

という事になります。


話を具体的にイメージしやすくする為に、展覧会の場合を例にとります。(ここでは展覧会の功罪については一切触れずに話を進めます。)

展覧会の会場で作品を見る時を思い出して下さい。

小さい作品を見る時は、作品のすぐ前まで行って見るでしょうが、大きい作品を見る時は、小さい作品を見る時よりもずっとずっと後ろに下がった位置から見るはずです。

そうでなければ全体が見えませんからね。


この違いを書いた本人の立場で考えた場合に何が起きるのかと言うとですね。


大きいものの場合、

「書いていた時に自分が感じていたものと、離れた距離からそれを見た時に感じるものとが大きく異なる。」

という事が起こるのです。


皆さんの中にも、展覧会に出品する作品を書いた時、

「書いている時には、墨の量もたっぷりと、黒々とした迫力のあるものが書けたつもりでいたのに、いざ会場で見てみたら、何だか想像していたよりもずっとずっと寂しくて貧弱な出来だった。」

というような事を経験した事がある人が少なくないはずです。


「あれ〜?何だかがっかり・・・」

と思った人もいるでしょう。


ここで更に考えてみましょう。

大きいものの場合、それを見る(見られる)視点から作品までの距離が離れているというのは、最初から分かっている事です。

つまり、書いている時の視点よりも遠く離れた視点から見る(見られる)事が前提となっているわけです。

であるならば、作品としてそれを書くからには、遠く離れた視点から見る(見られる)事を前提として書かなければならない、という事になります。

簡単に言えば、

「見た(見られた)時に丁度良い出来になるように書く。」

という事です。


これはある意味では極めて作為的な意図に他なりませんから、

「そんなのって、書本来の姿とは違うんじゃないの?」

という意見もあるでしょうし、私もそれには同意しますが、その一方で、離れた距離の視点から見る(見られる)事が前提であるならば、それに合わせて書こうとするのは自然な意図であり、仮にそれを完全に無視するのであれば、わざわざ大きなものを書く意味が無い、とも言えるのではないでしょうか。


何故ならこの前提に対する完全な無視は、極論すれば見る(見られる)事を前提とせずに、「書く」という行為自体にのみ意味を認める、という事になりますから、そうなるとまるで、料理をしながらも食べる(食べられる)事を全く前提とせずに、只作るだけ作って誰の口にも入れないまま捨ててしまう、というような極めて不自然な話に行き着いてしまうからです。


だってですよ。

わざわざ料理を作っても自分で食べるわけでもなし、人にも食べさせない、というのであれば塩加減や味付けなんてどうでもいいでしょうし、そもそも料理を作る意味なんて無いでしょう。

それと同じ事で、書いたものが自分の目も含めて誰の目にも触れないというのであれば、紙の大きさなんて大きかろうと小さかろうとどうでもいいでしょうし、

「そもそも書く意味なんてあるの?」

という話にはなりませんか?


実際私達は展覧会への出品作品を書く場合、ここまでに話したような作品からの距離は勿論、会場の広さや天井の高さ、明るさ、自分の作品と周りの作品との距離等、そういった事まで前提とした上で、

「この作品が会場に展示されたらどう見えるのか?」

という事を想定しながら書くのです。

何故なら展覧会に展示するのが最初から分かっているのですから。

それならそれに見合ったものを書こうとする事こそが自然の道理とは言えないでしょうか。


展覧会を例として話を進めてきたついでに言えば、今日のように、展覧会と言えば大きな作品を壁面に展示する、という所謂「壁面鑑賞」が当たり前になっている事情に於いては、これは絶対に無視する事の出来ない観点です。

繰り返しますが、展覧会に展示するのが最初から分かっているのですから。


さて皆さん、大きいものを書く時、それを離れた位置から見た時の事を想定して書いていますか?

「見た(見られた)時に丁度良い出来になるように」

書いていますか?


このように考えてみると、

「たかが距離、されど距離」

でしょ?


と、今回は距離について考えてみましたが、次回は

「見た(見られた)時に丁度良い出来になるように書く。」

という事について、もう少し実際的な話をしてみたいと思います。

なるべく早くアップしますからね。


それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 通信添削
posted by 華亭 at 04:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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