2009年07月04日

相性

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私はこれまでこのブログで色々な話をしてきました。

皆さん御存知のとおり、このブログは「書道の話」と銘打ちながらも、書の写真なんて殆んど無し(『小篆千字文』は例外ですが)、只ひたすら、書に関して私の思っている事や考えている事を話し続ける、というスタイルですから、ネット上に数多く存在する他の書関連のブログ等と比較すると明らかに異質なものではありますが、気にもせずそのまま続けてきました。

但し、「思っている事」「考えている事」とは言っても、その多くは単なる私の個人的な意見というよりは、書を学ぶ上で絶対に知っておくべき客観的事実であり、会派の違いなどという下世話な違いは勿論の事、書風の違いや個々の趣味嗜好をも越えた、それらの根底に共通して流れているはずの問題点を中心として扱ってきたつもりです。

話の内容に客観性を持たせたいが故に、いま一つ具体性に欠ける内容になってしまったり、どうしても話が理屈っぽくなり過ぎたり、という事も少なくありませんでしたが、それでも幸いな事に一部の読者の方達からの反応では概ね好評を頂いてきたようです。


私の説明がやけに理屈っぽいのは、とかく感覚的な表現を用いた説明だけで済まされてしまいがちな書に対して、可能な限り論理的に分解した説明を試みる、という私の指導方法の基本的な考え方に因るものですが、それは、何かと言うとすぐに「才能」だの「向き不向き」だのといった曖昧な言葉を理由にして、自らの練習不足を正当化しようとする人達に対する私なりの反論でもありました。(この辺の話はこれまで何度も書いていますよね。)

つまり、

「そんな言い訳など私には通用しないよ。」

という私なりの辛口のメッセージというわけです。

また、掴み所の無い感覚的な表現を用いた説明だけで、教える側の私が「教えたような気」になったり、教わる側の人達が「教わったような気」になったりする前に、もっともっと具体的に出来る事があるはずだ、という強い思いが、私の説明を更に理屈っぽいものへと片寄らせてきたのだとも思います。

この事自体には私としては何の後悔も有りません。


但し、一つ問題があるのです。


私の話を好意的に受け取ってくれる、つまりは素直に聞いてくれる人達がいるのと同時に、私の話にどうしても馴染めない人達がいるのもまた事実です。

教える側と教わる側という関係も言わば人と人との関係ですから、そこにはやはり相性があります。

以前どこかにも書いたように、ある意味では皆さんの目から鱗を落とすのが私の仕事ですが、私の理屈に馴染めない人達の場合、目から鱗が落ちるより前に、私の話の理屈っぽさに拒絶反応を起こしてしまうのです。


ブログの記事として書くのなら、

「それはそれで仕方がない事。読みたい人にだけ読んでもらえればそれで良し。」

として済ませる事も出来ますが、問題は教室で実際に当人を目の前にして教えている場合です。

この場合、「仕方がない」では済みません。

ブログで好き勝手な事を書いている場合と違い、目の前の人を相手にしているからには、相手に合わせた教え方をするのは当然の話になりますから。

それこそ下世話な言い方になりますが、こちらも商売ですから(苦笑)、お客様に合わせた方法をとらなければ辞められてしまいますしね。


それでも事が相性だけの話なら、私の教え方を「相手に合わせた方法」に変えれば済むのですが、それでは済まない場合もあります。

どのような場合かというと、「相手に合わせた方法」というのが書の上達の為の道程と一致しない場合です。

この場合は非常に厄介なのですが、そもそもどうしてそんな事が起こってしまうのでしょう?


実はこのような人(私の理屈を素直に聞けない人)の中には、本人の自覚の有無は別として、書の上達が第一義ではない人達が少なくありません。

「え〜?上達したいから教室に通ってるんでしょ?」

と思うでしょうが、この手の人達というのは、口では「上達したい」と言いながらも、その実際は「上達したような気になりたい」だけであって、上達の為の道程を進んでいくに際して絶対に不可避であるはずの「地味で地道な手間暇」を自分自身で請け負う事を極端に嫌がります。(この辺の話も書いた事がありますね。)

つまり、もっとインスタントなやり方を求めたいのです。

面倒な事は抜きにしたまま結果だけを求めたがると言っても良いでしょう。

「そんな理屈はどうでもいいから、上手くなるコツを早く教えてよ。」

というわけです。

しかしですねぇ、そんな簡単な方法があるのなら、私だって苦労しませんよ(笑)


このような場合、本来その人にとって上達の為の最短の道筋であるはずの進め方とは大きく隔たったものにならざるを得ない場合が多く、私はそれを承知しながら話をしなければなりません。

つまり、「その人にとっての最善」とは、「書の上達を図る」という事や「その為の最短の道筋を進む」という事と必ずしも同義ではなく、その結果、極めて消極的な意味で「その人が気に入ったやり方で進める」という事になってしまうのです。

たとえそれが全くの無駄足であるという事を私が分かっていたとしてもです。


これまた以前どこかでも書いたように、そもそも本当に学び方が分かっているのであれば、わざわざ教室に通う必要など無いはずですから、裏を返せば、このような人達は学び方が分かってもいないのに、自分で自分の気に入ったように学び方を決めてしまうのです。

そんな事では教わる意味など全くありませんし、上達などしませんよ(苦笑)


それでもそこまで承知の上で、私はその人に合わせた話をしなければならないのです。

ここに、教える側としてのジレンマがあるわけです。


「自分の指導力の無さを棚に上げて、何がジレンマだよ!何でもかんでも教わる側だけが悪いみたいな言い方するな!」

と言われてしまえばその通りで、返す言葉もありません。

勿論私も只諦めて放り出してしまっているというわけではなく、そのような人達の場合でも出来るだけ上達出来るように、あれこれと色々工夫しながら教えてはいるのですが・・・

なかなか難しいですね・・・


時々私は思います。

私の仕事は書を教える事などではないのだと。

とにもかくにも、相手に満足してもらうのが仕事なのだと。

繰り返しますが、ここで言う「満足」とは、「書の上達」と同義とは限りません。


理想を言えば、

「そんな弟子は破門だっ!」

と突き放す事が出来れば良いのですが、現実としては私も食べていかなければいけませんから…


しかし、嘘をつき続けているような、騙し続けているような、偽善を続けているような、そんな気持ちが自責の念となって、この事について考え始めると憂鬱になります…(苦笑)

その反動もあって、このブログでは言いたい放題なんですけどね(笑)


因みにこのブログの通信添削を受けている人達の場合、このブログを読んだ上で、つまりは私の理屈っぽさは最初から承知の上で、私の添削を受け始めるわけですから、今回のような問題は起こりません。

ですから通信添削の場合には、私にしてみれば非常にすっきりした心持ちで教える事が出来ます(笑)


私は市井の書道教室の先生に過ぎません。

教室に来る人達は目的も熱意の度合いも様々です。

それはよく分かっています。

分かっているのですが…

時々虚しくなるのです。


というわけで、今回は好き勝手に書けるブログだからこその、長い長い独り言(愚痴)でした。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 通信添削
posted by 華亭 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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