2009年06月08日

反省

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やっとの事で『小篆千字文』を終わらせた反動で、ついまた随分とアップをさぼってしまいました(汗)

これからまた心機一転、頑張ります。(あくまで「のんびりと」、ですけどね。)


さて、前回(と言っても随分前になりますね)「『小篆千字文』、終了です。」の回の中で、「全体の統一感」という事について一言だけ触れましたが、皆さんの中にはそれを読んで

「話の順序が逆さまじゃないの?」

と思った人もいるかもしれません。


「何が?」

という人もいるでしょうから、今回はこの点から出発してもう少し考えてみたいと思います。


私はあの『小篆千字文』を、「全体の統一感」という点について強く意識しながら書きました。

結果、残念ながら成し得なかったのは前回の話の通りですが、しかしそもそも考えてみると、「統一感」などというものは、意識して持たせようとすべき類のものなのでしょうか?


結論から言えば、それは

「只書いて、それを後から見渡してみた時にそこに感じられるもの。」

であるのが理想なのではないかと思うのです。

その意味で、私の場合は話の順序が逆さまになってしまっていたわけですね。


とは言うものの、今の私には「只書いて」と簡単にいく程の腕がありません(苦笑)

そこで、話の順序が逆になるのを承知の上で、「意識しておいてから」書く事にしたのです。


「何が悪いの?」

と思う人もいるでしょう。


「実際に書く前の段階の意識」

の重要性については、それこそこれまでこのブログで何度も繰り返し話してきた事ですからね。


ここで間違ってはいけないのは、学書の際に

「実際に書く前の段階の意識」

を明確にしておく事は確かに極めて重要なのですが、それはあくまで「学書の際」の話だという事です。


その真の目的は

「余計な意識などしなくとも書けるようになる」

という事にこそあるのであって、「事前の意識」というある種の作為性を無条件に是とするという意味ではありません。


「余計な意識などしなくとも書けるようになる」

為に

「しっかりと意識しておいてから書く」

というのは何とも逆説的な言い方ですが、ここのところを思い違いしては本末転倒になってしまいます。


それを確認した上で話を戻しますが、私のとった順序というのは、換言すれば正に「極めて作為的」なものに他なりません。

私はあの『小篆千字文』を「作品」という程の大袈裟な意識を持って書いたわけではありませんが、「学書」として書いたというのもやはり適当ではありません。

そもそも純粋に「学書」として書いただけのものなら、私の場合絶対にあのような形で提示などしませんから(笑)


元来小篆などという書体は字形そのものが持つ特質に「自己陶酔して終わり」という結果になりやすく(今回の私は正にこれでしょう。)、書いたものが単なる概念的なものに陥りやすいという性質のものですから、その上そこに「極めて作為的」な思惟を前提として持ち込もうとすれば、その結果は自ずから「つまらないもの」になる危険性を高めてしまわざるを得ません。

「小篆(篆書)の参考例をその字形という観点からから提示する。」

という今回の試みとしての意味では、それも一つのあり方なのかもしれませんが、それではやはり平易という意味での無味乾燥のテキストとして以上にはなり得ないでしょう。

ですが私自身としては「つまらないもの」にしたかったわけではありませんし、無味乾燥のテキストにしたかったのでもありません。


格好付けて言えば

「平易でありながら、只単にそれだけではない世界観を感じさせるもの。」

とでも言うべき千字文を書きたかったのです。


にも関わらず、

「色々な意味で中途半端なものにしかならなかった。」

というのが実際の結果でした。


端的に言えば、

「只単なる平易なものでしかないが、全体の統一感はとれている。」

というわけでもなく、

「只単に平易なだけではない、それ以上のものになっている。」

というわけでもない、どっちつかずの出来上がりです。


これは例えば百文字程度を書いただけでは決して分からない、実際に千文字書いてみたからこそ見えてきた結果だったと思います。


残念な結果ではありましたが、私自身、自分の腕(の未熟さ)を再確認出来ましたし、今回の反省に対する今後の課題も見えていますから、今回の試み、やはりやって良かったと思っています。

アップする手間には心底うんざりしましたが、画面上で見てみる事によって初めて気が付いた点も少なくありませんでしたから、それも含めてやるだけの価値はあったとも感じています。

アップをサボっていた間、こんな事を一人であれこれ考えていたのでした(笑)


ところで今回触れた作為性の問題というのは、極めて重要かつ難しい問題ですから、ここでいつもの調子で屁理屈を多少こねた程度ではとても扱いきれそうにはありませんが、書を続ける以上、必ず意識しておかなければならない問題でしょうし、避けて通るわけにもいかない問題です。

その事を、私の個人的な反省を吐露する事によって、皆さんにも少しでも考えてみて頂けたらと思ったのですが。

如何ですか?


『小篆千字文』の話は今回で本当に終わりです。

次回からこそは、いつものような内容に戻りますからね。

それではまた。

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あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

posted by 華亭 at 03:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 小篆千字文について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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