2009年04月20日

「書道」その2

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前回もったいぶった所で終わってしまったので(笑)、早速前回の続きです。

何故私が

「安易に書に精神修養的な意味合いを求めようとする態度」

をこれ程までに毛嫌いするのかと言うとですね(苦笑)


あ、前もって言っておきますが、今回かなり愚痴っぽくなりそうですよ。(苦笑)


「安易に書に精神修養的な意味合いを求めようとする態度」

というのは、端的に言えば、

「安易に書に精神性(精神論)を持ち込もうとする態度」

という事に他なりません。


これ、正に私の嫌いなパターンですが(苦笑)、その問題点の一つ目としては、安易な精神性の持ち込みは、単なる技術の欠如による書の水準の低さを、「精神性」の名のもとにいとも簡単に「味わい」だの「個性」だのといった言葉で容認してしまう傾向を生じかねない、という点です。

只単に好き勝手に書き散らしたものを、何の疑問も無いままに何でもかんでも「是」としてしまう危険性を常に孕んでいるとも言えるでしょう。


ですがそんなものは決して「味わい」でも「個性」でもありません。

以前同じ喩えをした事がありましたが、そんなものは、まともな音一つ出せないままにバイオリンをギィ〜ギィ〜掻き鳴らして

「これこそ自分の音楽だ!」

と悦に入っているのと全く同じ事でしかなく、それに対する安易な容認の先に待っているものとは、只単に書けていないだけの「まがいもの」が垂れ流され続けるだけの、精神性などとは凡そかけ離れた、寧ろ対極とも言える低俗な世界です。

ところが困った事に、書を知らない一般の視線に「書道」として認知されているものとは、多くの場合このような「まがいもの」だったりするのです。


「この誤解を何とかしてほんの僅かながらでも是正していきたい。」

という思いが、今日まで私にこのブログを続けさせてきたと言っても過言ではありません。(それがどれ程微力であったとしてもです。)


因みに前回の冒頭で触れた「書法」という呼び方には、この辺りを容認する気配は全くと言って良い程に含まれません。(この「書法」という呼び方にも、ある種の誤解を与えかねない点があるのですが、今回は触れません。)


それから二つ目としては、安易な精神性の持ち込みという態度というのは多くの場合、いとも簡単に

「書けない(書かない)事の言い訳」

にすり替えられてしまうという点です。


つまり

「精神集中出来ないから書けない。」

という言い訳です。


これまた私の大嫌いなパターンですね(苦笑)


これについては似たような話をこれまでにも何度かしてきたのでいつもの話になりますが、この手の言い訳をする人というのは、夏になれば

「暑くて集中出来ないから書けない。」

と言い、冬になれば

「寒くて集中出来ないから書けない。」

と言い、何かにつけては

「集中出来ない。」

という事を言い訳にして

「書けない。」

を一年中連発します(苦笑)

ですが、それは単に「書かない」のであって「書けない」のではない、というのはこのブログでさんざん繰り返してきましたね。


一体誰に対する言い訳のつもりなのか知りませんが、少なくとも私の場合にはこの手の言い訳は全て聞き流す事にしています。

だっていちいち本気で相手にしていたらキリが無いんですよ、ホントに(笑)


「心を静かに落ち着けなければ書けない。」

というのは丁度、

「私には才能が無いから書けない。」

という言い訳と似たようなもので、自分が書かない事にそれらしい理由を付けて正当化しようとしているに過ぎません。


「今日はやる気がしないから書かない。」

「今日は面倒だから書かない。」


それでいいではありませんか。

書かないからといって誰が困るわけでもなく、誰に迷惑をかけるわけでもありません。

書く書かないを決めるのはあなた自身の意思以外の何物でもありません。

大人なんですから、自分のやる気の有無くらい、誤魔化さずに自分で受け止めましょうよ。


と、ホントに愚痴だらけになってきましたが(苦笑)、私が

「安易に書に精神修養的な意味合いを求めようとする態度」

を毛嫌いする理由が少しは分かっていただけたでしょうか?


「書道」という言葉には、この辺りのうんざりするような雰囲気が嫌という程まとわりついてしまっているような気がするのです。


勿論「書道」を「書」と呼び替えてみたところで、内実は何一つ変わるわけではありませんし、うんざりするその一方で「書道」の全てがそのようなものばかりではない、という事も理解しています。

それこそこれまでの話と矛盾するようですが、書と同じ程に高い精神性を求められるものも無い、とも思っています。


ですが。


書は魔法ではありません。

「書道でも習わせたら少しはうちの子も。」

などとお考えの親の皆さん。

親のあなたがどうにも出来ずにきたものが、筆を持っただけで見違えるように変化するなんて、そんな期待や幻想は捨てて下さい(笑)


書は只単にその人自身を寸分違わず写し出す鏡のような存在であるに過ぎないのですから、落ち着きの無い人は落ち着きの無い姿が、粗雑な人は粗雑な姿が写し出されるだけの事です。

私も子を持つ親の一人ですが、もしも本当に書をやるだけでその人の性格まで変わってしまうものなのだとしたら、うちの子供達ももっと落ち着きのある子供になってくれている筈ですよ(笑)


繰り返しますが、私は書と精神性との関係を否定するつもりなどありません。

書は自身を映し出す鏡のような存在だと言いましたが、それだからこそ、そこには何よりも高い精神性が求められるのだと思いますし、一見すると形而下の問題としてのみ扱われてしまいがちな書の本質は、実は形而上にこそあるのだと考えています。


しかし安易な精神性へのもたれかかりは何も生み出しはしませんし、それどころか多くの歪曲した弊害を齎すばかりです。

そんな調子のままで書に精神修養的な役割を求めてみたところで一体何になると言うのでしょうか?

前回の言葉を繰り返しますが、私にははなはだ疑問です。


さて、単なる呼び名でしかない「書道」という言葉ですが、そこから出発してここまで幾つかの私見を述べてきました。

皆さんはどう思いますか?

「くだらない屁理屈だ。」

という一言で済ませてしまわずに、一度ゆっくりじっくり考えてみる事も、決して無駄ではないと思います。


とは言うものの、屁理屈を並べるのも少々くたびれました(笑)

今回はここまでにします。

屁理屈と愚痴だらけ(いつもの事ですが)の私見に最後までお付き合い頂き有難う御座いました。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道 通信添削
posted by 華亭 at 04:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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