2008年10月31日

基準。その2

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前回は、「自分の中の基準」についての提案という事で、先ずは道具についてでした。

これは何も道具だけに限った話ではありません。


例えば私の場合、

「筆で字を書く。」

という肉体的感覚が鈍っていないかどうか、もっと簡単に言えば、手が思うように動くかどうかの判断の基準となるものがあります。

漢字なら『九成宮醴泉銘』、仮名なら『高野切第三種』、この二本です。

時々これらを臨書してみて、ちゃんと書けるようなら「良し」。

ダメなようなら「鈍った」と判断するのです。

私の場合、この二本が問題無く書けているようなら、他のものを書く際にも、少なくとも肉体的感覚としては、自分の中での最低限の水準は維持した状態で書く事が出来るからです。


もしも鈍っていた場合には、感覚が戻るまで、ひたすら臨書を続けます。

言うなれば、料理人が包丁を研いで、切れ味を元に戻しておくようなものでしょうか。

勿論、包丁がよく切れるというそれだけで必ずしも料理が上手に出来るというわけではありませんが、思うように切れない包丁では話にならないというのもまた事実です。


誤解しないで欲しいのですが、

「この二本は簡単だからウォーミングアップに丁度良い。」

という事なのではありません。

事実は全く逆です。

私にとって、肉体的感覚が少しでも鈍っていたら書けないのが、この二本なのです。


「何故『九成宮醴泉銘』と『高野切第三種』なのか?」

と問われると答に窮するのですが(笑)、私の場合、肉体的感覚が少しでも鈍っているとすぐに粗が出やすいのがこの二本という事なのです。

と言うよりも、僅かな粗でも自分自身ですぐに気付く事が出来るのがこの二本だと言った方が適当かもしれません。

私にとってこの二本は、試し切りの材料にもなれば砥石にもなる、そんな感じでしょうか。


元来怠け者の私は、自分自身で少し油断すると、すぐに楽な方へと自らを向けがちです。

そんな私でも、自分の状態をこの二本の基準に照らし合わせてみると、有無を言わせずその時点での自分自身を付き付けられる事になりますから、そうすると、

「やばいなぁ・・・頑張るか。」

と、現実から目を逸らす事無く、筆を持つ気になれるのです。

私の場合はたまたま『九成宮醴泉銘』と『高野切第三種』を自分の中での基準としていますが、それは人ぞれぞれ違っていて当然ですし、そもそもこんな考え方自体、する人はあまりいないのかもしれませんが(笑)


前回と今回、「自分の中での基準」という事で話してきました。

「自分の中での基準」

私はとても大切な事だと思うのですが、皆さん、どう思われますか?


今回はここまで。

次回は何の話にしましょうか。(全然決まっていません。)

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道
posted by 華亭 at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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