2008年10月18日

刷り込み

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最近どうにも以前にも増して話がややこしい方向に行っているような気がします。

書に関連したブログというのは世の中にたくさんありますが、このブログほど具体的な書の内容について書かないものも珍しいかもしれませんね(笑)

それもまぁ良し、という事で、今回のお話は「刷り込み(インプリンティング)」についてです。

刷り込みというと、生まれたばかりの雛などが、初めて目にした動くものを親と思い込んでしまう、というあれです。


こんな話、書にはあまり関係無いように思うかもしれませんが、実はとてつもなく重要です。

何故なら、書を学ぼうと思った際、どこかの教室に通ったり、通信講座を始めたり、或いは本を買ってきて独学したり、と方法は様々でしょうが、何れの方法にせよ、その時最初に触れた価値観というものが、その人の書に対する基本的な価値観として極めて色濃く刷り込まれる事になるからです。

それは道具の選び方から始まり、ありとあらゆる面に於いて起こるわけですが、言うなれば

「これこそが書の正しい姿である」

といったものを、本人の意識とは無関係に、無意識のうちに、刷り込まれる事になるのです。


「それの何処が問題なの?」

と思うかもしれませんね。

もしも本当に

「これこそが書の正しい姿である」

といった絶対的な唯一無二の価値が存在し、教える側の人間全てがその価値観の共有を前提としているのであれば何の問題もありません。

ところが実際には、教える人間が10人いたら10通りの、100人いたら100通りの価値観があり、それぞれが

「自分の価値観こそが正しい」

と思っています。(それが悪いと言っているのではありません。)

それに対し、刷り込まれる側が植え付けられるのは、あくまでそれら多種多様な価値観の中に於ける「ある1つの価値観」に過ぎません。(これまたそれが悪いと言っているのではありません。)


そしてここからが問題なのですが、ある1つの価値観に対する刷り込みが起きた場合、刷り込まれた側に、それ以外の価値観(特に対照的な価値観)を無条件に拒絶排斥しようとする傾向が極めて強く現れるのです。


何故なら、ある価値観を是とするという事は、単純に裏を返せば他の価値観を非とするという事ですから、ある価値観を是とする教えを受けた人は、必然的に、盲目的に無条件で他の価値観を非であると判断してしまう事になりやすいのです。

この「盲目的に無条件で」というのが問題の部分なわけですね。


ところが多種多様な価値観の中にあっては、これはどの国の視点から世界地図を描くのかというような事ですから、自分にとっての世界地図の上では日本が世界の中心にあるといっても、ヨーロッパの視点から見ればそれは東の果てであるというのと同じ事で、全ての人にとっての世界の中心が日本であるという事にはなりません。

にも関わらず、盲目的に無条件で

「世界の中心は何が何でも日本だ!」

となってしまうとしたら、それはやはり問題と言うべきでしょうし、更に強行的に

「日本だけ描いてあればそれで十分だ!」

となってしまっては、それはもはや世界地図とは呼べません。


勿論それぞれの価値観に於ける主義主張にはそれ相当の理屈があるわけで、その理屈の上では只闇雲に他を排斥しようとするものではない筈です。

ですが、要はそれを教える側が学ぶ側に

「これが全て。これこそが全て。」

といった思い込みを抱かせてしまっているのだとしたら、それは非常に大きな問題だと思うのです。

そもそも刷り込まれる側からすれば、自分が最初に目にしたものの他にも多種多様な価値観が存在する、などという事実自体、全く知る由も無いのですから。


私のブログを読んだ方から

「とても驚いた」

「新鮮に感じた」

「目から鱗が落ちた」

といった嬉しい感想を頂く事がありますが、これなども、私の長々しい屁理屈(苦笑)に出会うまで、そのような考え方や捉え方があるとは思いもしなかったからこその感想なのだと思うのです。


学ぶ側の人間は

「自分が今まで習い覚えてきた事だけが全てなのではない。」

という事を知っておくべきですし、教える側も、

「私はこう考える。私の考える書とはこういうものである。しかし、それとは全く異なる考え方や価値観も存在する。」

という事実を、学ぶ側に伝えておくべきだと思うのです。


私はこれまでこのブログに於いて、出来る限り、書風や嗜好というようなものとは無関係の話を続けてきました。

それは、多種多様な価値観の根底に共通して存在していると認識されるべき問題(と私が考えるもの)について、俯瞰した視点からの提案を試みようとしてきたからに他なりません。


ところが、そもそも私のこのような考え方自体が「ある1つの価値観」なのであり、どれ程私自身が「俯瞰した視点」を設定しているつもりでも、厳密な意味での「俯瞰」ではありえない、という矛盾からは逃れられませんし、当然の事ながら、私の考え方に対する刷り込みも起こり得るわけです。

私の話を読んで

「へ〜、成程ねぇ。」

と思っていただける人がいるのと同様に、

「何をくだらない事を。バカバカしい!」

と苦々しい思いでいる人も必ずいるはずなのです。


それでも、

「サイコロの目というのは『1』しか無い。それがサイコロだ。」

と思い込んでいる人達にとって、

「あれ?他にも目があるみたいだぞ。」

と、サイコロの本当の全体像に気付き始めるきっかけになるのであれば、私のこれまでの屁理屈も無駄ではなかった事になるのでしょうし、どうせ刷り込みが起こるのであれば、出来るだけ広い視野を保てるような刷り込みであった方が、その後の弊害は少なくて済むはずです。

尤も、「済むはずです」という考えもこれまた「ある1つの価値観」に他ならず、何処までいってもキリが無いのですが(苦笑)

それでも「無駄ではない」と信じて、これからも「視野を広げるお手伝い」を続けていこうと思っています。


その為には、もっともっとアップ率を上げないといけませんね(苦笑)

頑張ります(汗)

今回はここまで。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道
posted by 華亭 at 03:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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