2008年09月16日

感覚。その4

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さぁ、何とか今回でこの話題を終わりに出来るように頑張りましょう(汗)


前回まで3回に亘って、学ぶ際に於ける「肉体的修練」の有無による違いについて考えてきました。

ここで皆さん、自分自身の事を思い返して欲しいのですが、ペン字とかボールペン字とか呼ばれるもの(以下ペン字)の場合、「肉体的修練など必要無い」と思っている人、いませんか?

つまり、毛筆のようにそのものの扱いを覚える手間が無い分だけ簡単だと。


このブログをずっと読んできた方ならお分かりいただける筈ですが、これはとんでもない大間違いです。

自分ではどれ程使い慣れていると思っている筆記具であっても、実際には自由自在に「使いこなせている」わけではありません。

この辺の話はこれまでにもあちこちで何度かしているので、これ以上ここでは繰り返しませんが、あなたの体(手や指先)はあなたが思っている程あなたの思ったとおりになど動いてはくれないのです。

つまり、たとえペン字であろうと、肉体的修練とその結果として体得されるはずの肉体的技術が必要不可欠である事には変わりありません。


ところが、です。

多くの人がこの部分を思い違いしています。

「自分はペンを自由自在に使えている」

と。

「きれいな字の形さえ覚えれば、それで自分の字はきれいになるんだ」

と。

実際には「きれいな字の形さえ覚えれば」と思ってみても、肉体的技術が無くては覚えようにも覚えられないのですが・・・


この思い違いは非常に根が深く、多くの場合、ちょっとやそっとの説明くらいでは本当の実感として理解していただけません。

となると、

「実際には肉体的修練が必要不可欠であるにも関わらず、それを抜きにしたまま学び続けようとする」

という、極めて不自然な状態になってしまいます。


前回までのいけ花のような例では、そもそも最初から、肉体的修練もその結果として体得すべき肉体的技術も存在しませんでしたから、それを抜きにしたままと言うよりも、それに頼る事無く感覚的技術を磨いていくしか方法がありませんでしたが、ペン字の場合、「それに頼る事無く」といった具合に進めようにも、進めようがないのです。

何故なら、肉体的技術を必要とするものに於いて、肉体的技術が無いという事は、感覚的技術を具現化する術が無いという事を意味します。

仮に百歩譲って、肉体的修練無しに感覚的技術を磨く事が出来たとしても、それを具現化する術が無いのでは、結局何も出来ないのと同じ事になってしまいます。

つまりは、いつまで経っても書けるようになどならない、ということになるのです。


前回までのいけ花の話のように、肉体的修練が不要のまま感覚的技術を磨く事ですら、話は極めて厄介なのです。

その上、実際には肉体的修練が必要不可欠であるにも関わらず、それを抜きにしたまま感覚的技術を磨くなどという芸当、我々凡人に出来るわけがありません。

ところが世のペン字の技法書などでは、この肉体的修練の必要性については殆んど触れず、手本としての字形を示す事にのみ終始しています。

それでは上手くなどなれる筈がないのです。


先日もいけ花の稽古中、相変わらず手応えの無い稽古が進む中、私はこんな事を考えていました。

「これでもペン字よりはましかな・・・地道にいきましょう」


教える側の態度としては決して褒められたものではありませんね(苦笑)

でも、本音です・・・


今回の話ではペン字を槍玉に挙げましたが、そもそもペン字ではなく毛筆の場合でも、ありとあらゆる場面で見られます。

「いくら書いてもちっとも上手にならない」

これは「いくらも書いていない」人の決まり文句ですが、この場合などは正にその典型です。

毛筆の場合、ペン字よりも遥かに高度な肉体的技術を必要としますし、その体得の為に必要となる肉体的修練の度合いも比べ物になりません。

端的に言えば、

「そうそう簡単に書けるようになどならないし、上手になどならない」

のです(苦笑)

肉体的修練にかかる手間暇を抜きにして上手になろうと思っても、それは無理な話なのです。(この辺りの話は随分前に「向き不向き」の回でさんざん愚痴をこぼしていますから(笑)、そちらをお読み下さい。)


話が錯綜を繰り返してしまいました。

書といけ花との相違点から始まり、ここまで色々と考えてきましたが、書の場合、肉体的修練とその結果として体得すべき肉体的技術というものに、良くも悪くも極めて強く依存しているのだという事をあらためて思い知らされます。

所謂「感覚」という言葉で呼ばるものについてすら、肉体的修練という過程を抜きにして語ろうとする事には意味がありません。


手島右卿氏は生前あるところでこう語っています。

人は今日の書を「技術ばかりが先行していて中身が無い」と言う。

確かにその批判は正しいのだろうが、見る側に技術を感じさせてしまうという事は、まだまだ技術が足らないからだとも言えるのである。


耳が痛いですね(苦笑)


技術を超越出来る程の技術・・・


目の前の道のりは果てしなく続いています。


さてと。

私も屁理屈ばかりこねてないで、練習、練習。


それではまた。

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いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


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定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道
posted by 華亭 at 03:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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