2008年09月10日

感覚。その3

これまでの記事の一覧はこちらへ
記事の一覧です

通信添削についてはこちらへ
通信添削について』

メールによる御質問はこちらのアドレスへ
nonbirishodo@mail.goo.ne.jp

----------------------------------------------------------

話の途中だというのに、また間が空いてしまいました(汗)

前回は、

肉体的修練が必要無いいけ花の場合、感覚的技術を磨く事が難しい。

それではどうしたら?

というところまででしたね。


さて、どうしたら良いのでしょう。

困った事に、根本的な解決につながるような特効薬はみつかりそうにありません。

教える側としては、決して「諦めず」、良い例を示し続け、それについて繰り返し繰り返し説明をし続けるしかありませんし、学ぶ側としては、それを少しでも自分のものにしようという強い意識を持って「諦めず」やり続けるしかありません。


繰り返しますが、いけ花には肉体的修練という面が存在しません。

その分、書などのような肉体的修練の比重が極めて重いものと比較すると、感覚的技術を磨こうとする過程での「自分の体の中を通る感覚的密度」が遥かに希薄になります。

例えるなら、濃度が非常に薄い染料で白い布を色濃く染めようとするようなものだと言えるかもしれません。

その為には、濃い染料で染める場合よりも遥かに数多く繰り返し何度も染め直し続けなければならないわけですが、学んでいる本人にはその自覚が無い場合が殆んどですし、他と比較する術を持たない人にとっては、その事実を実感しろと言うのも無理な話です。


話が横道に逸れますが、骨董店などで、例えば店主が跡継ぎの息子の「見る目」を鍛えようと思った場合、

「『良いもの』だけを見せ、触れ続けさせる。」

のだそうです。

良いものさえ分かるようになれば、悪いものは自然と判断出来るようになるからなのですが、その見たり触れたりさせる頻度が重要です。

「浴びるように」

だそうですよ。

つまり、数限り無く何度も「絶え間無く」染め直し続けるわけですね。


理屈で言えばいけ花の場合も同じような方法が成り立つ筈ではありますが、現実問題として、稽古は月に数回程度ですから、その程度の頻度では「浴びるように絶え間無く」という骨董店の話のようにはいきません。

薄い染料であるにもかかわらず、その染め直しのペースはいたって遅いのですから、白い布はなかなか色濃く染まってくれないのです。

結果として、白い布が色濃く染まるまで決して「諦めない」という、何とも当たり前過ぎる地味で地道な道程しか残りません。

となるとやはり、肉体的修練が必要無いからと言って、いけ花の方が書よりも簡単(学びやすい)という事にはならなくなるのです。


と、ここまで肉体的修練の必要の有無による違いについて考えてきましたが、ここでもう一つ、考えてみたい事があります。

所謂ペン字とかボールペン字とか呼ばれるものが学ばれる際の一般的な意識についてです。

これについては次回にして、次回でこのネタは終わりにしましょう。


それではまた。

----------------------------------------------------------

初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

nonbirishodo@mail.goo.ne.jp


定期的にアップ出来ているわけではありませんが(正直言ってサボりがちです)、よろしかったらまた覗きにいらして下さい。

ラベル:書道
posted by 華亭 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック