2014年02月14日

「正しい字」の不思議

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私は普段教室で小・中学生も教えていますが、その手本を書く際、「正しい字」で書かなければいけません。

「そりゃそうでしょ」

と皆さん思うでしょうね。

ところがですねぇ。


実はこの「正しい字」というのが曲者なんですよ。


この場合の「正しい字」というのはあくまで「学校のテストで間違いなく〇をもらえる字」という意味です。

ところがその「正しい字」の内容たるや、字の成り立ちや書体・字形の変遷など一切無視した(としか思えない)、統一性のかけらも無いような摩訶不思議なものだったりするのです。

まぁ、結局のところお役所が決めたものですから、そんなものなのでしょうが、「それにしてもさぁ」なのです。

専門家の偉い先生だって携わっているのでしょうに、どうしてこんな事になってしまったのでしょうか?


基本的には私自身が小学生の時に学校で教えられた字を書いていれば大丈夫なんですが、私の思い込みで

「えっ!?そうなの?知らなかった(汗)」

という事が時々あるので、子供の手本を書く時にはこんな本を使ったりして確認しながら書いています。

小学生の新レインボー漢字読み書き辞典 第5版 [単行本] / 矢澤真人 (監修); 学研マーケティング (刊)

特に私のように長い間書を学んできた人間の場合、古典に出てくるような字形が染み付いていますから、知らないうちに「学校のテストで×になってしまう字」、つまりは「正しくない字」を書いてしまう事があるのです。

子供の手本でそれはまずいですよね。


例を挙げ始めたらキリがないのですが、先ずは漢字(楷書体)で例えば「天」の1画目と2画目の横画の長さについて。

「正しい字」では長いのは1画目という事になっています。

ところが、試しに何でも良いので書の字形字典を引いてみてください。

そんな字どこ探したって出てきません。(どれもこれも長いのは2画目です。)


他には例えば木偏、牛偏、手偏。

これらの中で、縱画の最後をはねなければならないのは手偏だけ、と学校では教わります。

しかし、これまた字形字典を引けば分かりますが、木偏も牛偏も元は殆どの場合はねてたんです。

手偏だけが「はねないと×」で、木偏や牛偏は「はねたら×」って何故ですか?


摩訶不思議な話は漢字だけではありません。

「う」「え」の1画目は止めます。

でも、「ふ」の1画目ははねます。

「う」「え」の1画目を「とめるべし」としておきながら、「ふ」の1画目は「はめるべし」とする理由、私にはまるで分かりません。


「こ」の1画目ははねます。

でも、「た」の3画目や「に」の2画目はとめます。

意味が分かりません(笑)


このように様々な箇所で(私にとっては)意味不明な正誤基準が存在するのです。


以前、この辺りの事情を知っている方と少しお話をさせて頂く機会がありましたが、どうやら現場(学校)からの「これはどっちが〇でどっちが×なのか、はっきりして欲しい。(でないとテストの採点時に困る)」という声に対して、その場毎に場当たり的な対応を繰り返してきた結果、今のような状態になってしまった、というのが真相のようです。


勿論文部科学省でも、ここで取り上げたような字形の許容範囲については、文字の持つ記号性を著しく損なう場合は別として、概ね認めています。(興味のある方は詳細な答申書がありますので御自身で検索して御一読を)

しかし実際の教育現場では、「う」や「え」の1画目は「とめるのが正しい字」として、「ふ」の1画目は「はねるのが正しい字」として教えている場合が殆どなのでしょうし、実際私の息子が使用している国語の教科書や、某大手通信講座の教材でも、この区別を明確にするべきものとして、内容が作られています。


私は何も「う」の1画目は絶対にはねるべきだ、とか言いたいのではありません。

現場の声として、はっきりとした正誤基準が存在していないと教えようがない、というのもよく分かります。

ただ、その正誤基準そのものが、あまりにも滅茶苦茶ではありませんか?

と言いたいのです。

個人的な本音としては、例えば「う」「え」の1画目ははねた方が自然に思えるんですが、「とめるべし」と言うならそれでもも構いません。

但し、それなら「ふ」の1画目も「とめるべし」とするべきでしょう?

仮に息子に「どうして『ふ』の1画目だけははねなきゃいけないの?」と訊かれても、私はその質問に対し、自分自身が納得した上で答える事など、とても出来ません。

皆さん、おかしいと思った事ありませんか?


と、この辺りの話、本当にネタは尽きないのですが、書いていて段々腹が立ってきた(愚痴の度合いが増えてきたともいう)ので、この辺で強制終了としておきます。

気が向いたらもう少し、別の回で別の例を挙げて書いてみたいと思います。


今回はいつにも増して話が散らかったままで申し訳ありませんでした。

それではまた。

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初めてこのブログを読まれた方へ。

いらっしゃいませ。

あれこれ思いつくままに書いているので、書道独特の専門用語や人名などの固有名詞に関しては、その都度解説を付ける事はしていません。

初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

「何だか下手な事を書いたら説教されそう・・・」

という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

誹謗中傷を目的としたような常識に反するもの以外、お返事させていただきます。

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posted by 華亭 at 02:01| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月12日

手も足も出ない事の前に

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確定申告の準備で脳が沸騰中です。


普段教室で書を教えている時、時々思う事なのですが、皆さん「出来ない事をやろうとし過ぎ」のように感じます。

「出来ない事が出来るようになりたい」と思う事自体は所謂「向上心」として当たり前の気持ちですし、特に問題などありません。

問題は、「現時点で手も足も出ない事」にとらわれ過ぎてしまう、という事にあるように思います。


ひと言で「出来ない」と言っても、実はその中身は色々なわけで、

「10回やろうが100回やろうが出来ない」

つまり成功率0割という事もあれば、

「10回中2、3回しか出来ない(つまり成功率2〜3割)」

という事もあります。

「手も足も出ない」という状態は言うまでもなく前者ですが、私から見ると皆さんこれにとらわれ過ぎてしまう事で、必要以上に「出来ないよ〜」と嘆いているように思えるのです。


「手も足も出ない」というその原因を大きく分ければ、「そもそもやり方が全く間違っている」か、「まだその段階まで達していない」か、といったところだと思いますが、そのどちらであるにせよ、問題は「その判断が自分自身では出来ない」という部分にあるわけで、その意味ではこのブログでよく出てくる話が、やっぱり今回もポイントなのではないでしょうか。


「やり方が全く間違っている」という場合、あなたが誰か先生に教わっているのなら、当然その先生が間違いを指摘してくれるはずですから、あとはその指摘を素直に聞くだけなので、ここでは触れません。

独学の場合、その間違いを指摘してくれる人がいないのですから問題は極めて深刻ですが、これについてもこれまで度々繰り返してきたので、やはりここでは触れません。


今ここで考えてみたいのは、

「まだその段階まで達していない」

という状態です。


私の考えでは、書の上達というのは(例えば鉄棒の逆上がりのように)ある日突然出来るようになる、という類いのものではありません。

少しずつ少しずつ前進し、ふと気付いて後ろを振り返って見たら

「知らないうちに随分進んできたんだなぁ」

と感じるような、そんな世界です。

つまり、逆上がりのように自分の上達をはっきりと自覚する「区切りとなる目安」が無いのです。(この辺りの話も以前「思い違い。その2」の回で縄跳びの二重飛びの例を挙げて書いています。)


この事を再確認してください。


「区切りとなる目安」が無いという事は、自分がどのような段階にいるのかを自分自身で判断する事が難しい、という事を意味します。

この判断を誤ると、結果として、「手も足も出ない」事に拘り続けてしまう、という状態に陥ってしまうのではないでしょうか。


一方で今の自分を再度客観的に省みると、成功率5〜6割、といった要素も、実はいくつもあるはずなのです。

先ずやるべきなのは、そういった「手が届きかけている領域」にある要素の成功率を上げる事ですよね。

それらの成功率を、10割とは言いませんが、8〜9割、つまりは「意識しておけば大体いつも大丈夫」、という状態にしておく事が肝心なのではないかと思うのです。

そういった「成功率8〜9割の要素」を1つずつ増やしていく事が全体的な底上げにつながり、その底上げがあってこそ初めて、それまで全く手も足も出なかった事が成功率2〜3割という領域に少しずつ少しずつ入ってくるのだと思います。


今回の話、それまでとは違った「新しい指摘」を受けた後には特に注意が必要です。

皆さん新しい指摘を受けた後というのは、どうしても意識がそれにばかりむいてしまいがちですが、そもそも新しい指摘というのはそれまでの事柄が前提となってこそ初めて意味を持つものなのであって、

「新しい指摘にばかり意識が向いて、それまでの事柄が意識から抜けてしまって疎かになっている」

というのでは、先に進むどころではありません。(この辺の見極めは本来指導する側の責任ではありますが。)

先に進むどころか、新しい指摘が「手も足も出ない事」としてドンッと目の前に置かれてしまったような気分になるだけです。

これではいけません。


自分でも気が使いないうちに、「手も足も出ない事」換言すれば「今はまだ手も足も出さなくて良い事」に振り回されている、なんて事にはなっていませんか?

普段の自分を振り返ってみて頂けたらと思います。

それではまた。

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いらっしゃいませ。

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初心者の方や学び始める以前の方には難解な部分も多かったかもしれませんが、お許し下さい。


「一言書いてみたいんだけど、みんなに読まれてしまうコメントに書くのは何だか気が引ける・・・」

という方や、

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という方、また、通信添削について御質問のある方は、下記のアドレスまで御意見御質問をお送り下さい。

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